第2話:決めぬまま
――建安六年(二〇一年)冬、冀州。
冀州の城が、あらかた鎮まったころ、逢紀は、一度だけ、切り出した。跡目のことである。
袁紹には、三人の子があった。長子の袁譚、次子の袁熙、末子の袁尚。官渡へ出る前、袁紹は、四つの州を、その子らと甥とに分けて治めさせた。青州を袁譚に、幽州を袁熙に、并州を甥に、そして本拠の冀州は、末子の袁尚が父の傍らで見た。
あのとき、沮授が諫めた。
禍は、ここから始まります、と。一人の子に一つの州を持たせれば、その州は、その子のものになる。分けたものは、あとで、束ね直せませぬ、と。袁紹は笑って取り合わなかった。その沮授は、官渡で捕らえられ、主君のもとへ逃げ帰ろうとして、殺された。
分けられた四つの州が、いま、束ねる者を失いかけていた。
「殿。いまのうちに、跡目を、はっきりとお定めください」
「……譚は、長子だ」
「では、袁譚さまと」
「そうは言っておらん」
袁紹は、そこで口を閉ざした。
誰の目にも、この人の心は見えていた。末子の袁尚を、ことのほか可愛がっている。母が寵愛の深い側室で、袁尚自身も見目がよく、賢い。この子に継がせたい、と洩らしたことも、一度や二度ではなかった。
だが、それを、口に出しては言わない。
「いま定めれば、譚に付く者と、尚に付く者とで、家が二つに割れる。曹操は、河の向こうにいるのだぞ。割れている暇があるか」
逢紀は、言い返せなかった。
それらしい理屈だった。だが、この人が本当に嫌がっているのは、割れることではあるまい。長幼の序を破って末子を立てる、その一言を、自分の口から出すことだ。出せば、河北の大族が何と言うか。四世三公の家の当主として、それだけは言えなかった。
去年、負けて帰った主君に、獄の田豊が手を打って笑っておりました、と吹き込んだのは、逢紀自身である。あの一言で、田豊は殺された。あのとき自分は、この人が何を聞きたがっているかを、正しく読んだ。読めたからこそ、いま、分かる。聞きたくないことは、聞かない。決めたくないことは、決めない。この人は、そういう人だった。
――建安七年(二〇二年)春、冀州鄴。
年が明けると、袁紹は、床を離れられなくなった。
日ごとに痩せた。血を吐く間隔が、短くなった。府には、青州から、幽州から、使いが来た。どの使いも、同じことを探りに来ていた。跡目は、まだか。
逢紀は、寝所へ入って、最後にもう一度だけ言った。書役を、外に控えさせております。ひと言でよい、書き遺していただきたい、と。
袁紹は、天井のほうを見ていた。
「……明日にする」
声は、細かった。
明日は、来なかった。五月のある夜、袁紹は、息を引き取った。
逢紀は、灯を落とした寝所の外に、しばらく立っていた。
主君は、遺した。四つの州と、十万を養った倉と、四代の名望と。遺さなかったのは、それを誰が継ぐのか、という、ただ一言だけだった。分けたものは、あとで、束ね直せませぬ――沮授の声が、耳の底で鳴った。
この人は、決めるべきときに、決めなかった。
天子を迎えるか否かも、持久か決戦かも、諫めを容れるか否かも。そして、生涯の最後の一つ――己の跡目も、決めないまま、逝った。
夜の府は、静まり返っていた。
誰も、まだ知らない。夜が明ければ、この家の四つの州を誰が継ぐのかを、誰かが決めねばならない。主君が決めなかったのなら、決めるのは、遺された者だった。
逢紀は、審配を探しに行った。




