第1話:二度目の河
――建安六年(二〇一年)四月、黄河のほとり、倉亭。
逢紀は、河ぞいの高みに立って、味方の陣を見ていた。
去年の秋、官渡で崩れた大軍を、袁紹は、半年かけて、掻き集め直した。逃げ帰った兵をもう一度隊に組み、郡や県から人を出させ、倉を開いて食わせた。十万とは、もう言えない。それでも、河ぞいに並んだ旗の数は、対岸の曹操の兵よりは、多かった。
負けたのは、兵が足りなかったからではない。袁紹は、そう言った。
ならば、同じ河で、もう一度向き合えばよい。負けた場所の近くで勝ってみせなければ、河北の人の心は戻らぬ。逢紀にも、その理屈は分かった。分かったうえで、朝の河の水音を聞いていると、胸の底が冷えるのを、どうにも止められなかった。
その朝、曹操が、河のほとりへ兵を揚げてきた。
初めにぶつかったのは、東の端だった。曹操の兵は、数は少ないのに、当たる一点だけは、いつも厚い。押されて、味方の列が、内へ折れた。折れた分だけ、後ろの隊を前へ出せばよかった。あるいは、いっそ退いて、河を背に組み直せばよかった。どちらでもよい。どちらかを、いま決めればよかった。
袁紹は、馬上で、それを見ていた。
伝令が、幾度も、馬を寄せた。逢紀も、鐙のそばまで寄って、同じことを言った。
「殿。中軍を出すか、退くか。いま、お決めください」
「……待て」
その一言のあいだに、折れた列は、裂けた。
裂け目へ、曹操の騎が入った。入られた側から、隊が、順に崩れていった。倒れた旗が、後ろの兵の足に踏まれた。逃げる者が、河へ向かって走り、渡し場に人が詰まって、そこでまた死んだ。袁紹がようやく退けと命じたときには、退く形そのものが、残っていなかった。
二度目だった。
同じ河で、同じ相手に、同じように崩された。逢紀は、河を渡る舟の上で、後ろを振り返らなかった。振り返れば、あの高みに立っていた半日の自分を、見てしまう気がした。
――建安六年(二〇一年)夏、冀州。
鄴へ帰った袁紹を待っていたのは、叛いた自分の領内だった。
冀州の城や県が、次々に、州の府へ穀を出さなくなった。使いをやれば門を閉ざし、督促の吏を追い返す。はっきりと兵を挙げる邑もあった。曹操が攻めてきたのではない。袁紹の地が、袁紹の手から、内側で剥がれはじめていた。
袁紹は、兵を率いて、それを鎮めて回った。
夏から秋へ、秋から冬へ。逢紀は、その供をした。攻め落とした県城の門の前に、邑の長たちが並ばされる。負けた当主が、外の敵ではなく、自分の領内を、一つずつ力で押さえ直していく。ある県の年老いた長は、引き据えられて、こう言った。
「官渡へ、うちの邑から、二百人出しました。帰ってきたのは、七人です。もう、出せる者がおりませぬ」
袁紹は、しばらく黙っていた。
それから、短く、そうか、とだけ言った。老人は斬られなかった。だが、穀は、あらためて割り当てられた。
名門の名望とは、地を束ねる糸のようなものだった。四代にわたって三公を出した家――その一事が、河北の大族に頭を下げさせ、穀を出させ、人を出させてきた。負けたのは、たった一つの戦だった。その一つで、糸が、方々で緩んだ。緩んだ分を、袁紹は、兵で締め直して回っていた。
その冬、逢紀は、袁紹が血を吐くのを見た。
夜、幕の中でのことである。布で口を押さえた。布は、暗い色に染まった。逢紀が腰を浮かせると、袁紹は、手で制した。
「言うな」
それだけだった。侍医も、その夜は呼ばせなかった。
逢紀は、その布を、自分で始末した。
幕の外は、冀州の冬だった。鎮めて回った県の門が、いくつも、頭の中に並んでいた。開かせた門は、また閉まる。閉まらせずにおくには、開かせた当人が、ずっと生きていなければならなかった。




