第18話:地と人
――建安五年(二〇〇年)、官渡。
袁紹は、崩れた大軍を捨てて、わずかな騎とともに、河北へ逃げ帰った。
十万を号した軍は、烏巣の火のあとは、もう軍の体を成さなかった。逃げ遅れた袁紹の兵が、野で、数えきれぬほど降った。四世三公の名門が、家柄の低い成り上がりに、正面から、敗れた。
賈詡は、その降った者の列を、幕の前から見ていた。
列は、長かった。長すぎた。賈詡は、見た瞬間に、算を始めていた。
書役が呼ばれ、算木が置かれた。
一人が一日に食う穀は、いくらか。降った者は、何万か。掛ければ、一日にいくら要るかが出る。出た数で、いま倉に残っているものを割れば、何日でこちらが空になるかが出る。烏巣で焼いた穀は、袁紹の腹に入らなかった代わりに、こちらの腹にも、一粒も入っていない。許から届く糧は、この春から、ずっと足りていなかった。
算は、すぐに、出た。
放てば、河を渡って、また河北の兵になる。連れて帰れば、こちらの兵が、先に飢える。書役は、並べた算木から、顔を上げなかった。
曹操は、その並びを、しばらく見ていた。
それから、短く、命じた。声は、荒らげなかった。賈詡は、その声の高さが、糧の量を言いつけるときと、まったく同じであることに、気づいた。
数万が、官渡の野に、埋められた、と後に伝えられる。
曹操は、その穴のほうへは、行かなかった。行かずに、次に運ばせる糧の量を、同じ書役に言いつけた。
人を殺すのに、怒りも、憎しみも、要らない。
要ったのは、一人が一日に食う穀の量と、掛け算だけだった。賈詡は、それを、責める気にはならなかった。長安を焼いた男である。ただ、算だけで人を埋められる者の傍らに、これから何十年か坐るのだ、ということは、そこで、はっきりと分かった。分かったうえで、口を出さないと決めた。決めた理由も、算である。口を出す者から、先に死ぬ。
勝った側の野にも、声を失った者たちが、低いほうへ、低いほうへと、溜まっていった。
沮授は、逃げ遅れた。
河を渡りきれず、捕らえられて、引き出された。曹操は、沮授を知っていた。その賢さを、惜しんだ。
「袁紹が君の言を用いていれば、勝敗は、分からなかった。どうだ、私に仕えぬか」
沮授は、首を横に振った。
叔母も、弟も、まだ袁紹の下にいる。降ることはできぬ、と。曹操は、それでも、沮授を厚く遇して、手元に置いた。だが、沮授は、ひそかに、袁紹のもとへ逃げ帰ろうとして、露見し、殺された。容れられぬ策を説き続けた知将は、容れなかった主のもとへ帰ろうとして、死んだ。最後まで、その一点だけは、譲らなかった。
牢の田豊は、もっと、静かだった。
袁紹の敗北が伝わると、獄の田豊に、人が言った。これで、あなたの言の正しさが証された、必ず重く用いられましょう、と。田豊は、笑って、首を振った。
「袁公が勝っていれば、私は、生きられた。だが、負けた。負けた恥を、あの人は、私を殺すことで、忘れようとするだろう」
田豊の言ったとおりになった。
袁紹が河北へ逃げ戻ると、逢紀が、袁紹に吹き込んだ。田豊は、獄の中で、それ見たことかと、手を打って笑っておりました、と。もとより、負けた恥に、身を灼かれていた袁紹である。その一言で、袁紹は、田豊を、獄で殺させた。諫めた者を、その諫めが正しかったからこそ、殺した。負けた恥を、正しかった者の首で、覆い隠そうとした。名門の当主の、最後の意地だった。
報せは、幾日か遅れて、官渡へ届いた。
賈詡は、それを聞いて、これまで仕えた主たちの顔を、順に思い出した。董卓の下にいた。李傕の下にいた。張繡の下にいた。いずれのときも、正しさを、命より前へ出したことは、無い。田豊は、出した。出して、勝っても負けても殺される場所に、自分を置いてしまった。
賢さの使い道を、一つ間違えると、こうなる。
賈詡は、そのことを、四十年かけて覚えた。田豊は、覚える前に、死んだ。
袁紹が捨てていった荷の中に、文箱が、幾つも残っていた。
賈詡は、その場に、居合わせた。
書役が、中を検めて、顔色を変えた。
文が、束になって出てきたのである。差出人は、許の役所の官と、この陣の将と、その下役たちだった。書きぶりは、どれも、似ていた。北がお勝ちになった折には、この身を、お忘れなきよう。
春に、陳琳の檄が、天下の役所の門に貼られた。祖父は宦官、父はその宦官が拾ってきた子で、位は金で買った――そう書いてあった。あの紙が回ってから、許の廊で立ち話をする者が減り、夜になると灯を点けて何かを書く者がいる、と報されていた。
その、書かれたものが、いま、卓の上に積まれていた。
書役は、束を、名の順に並べ直そうとした。
曹操は、火を持ってこさせた。
「焼け」
「……お検めになりませぬか」
「検めぬ」
書役は、動かなかった。
曹操は、自分で束を掴んで、火にくべた。
「あの袁紹の強さの前では、私ですら、自分を保てなかった。まして、ほかの者はなおさらだ」
紙は、よく燃えた。
名が、一枚ずつ、縮れて、黒くなっていった。曹操は、最後の一枚が灰になるまで、そこを動かなかった。
賈詡は、その火を、少し離れたところから、見ていた。
誰が書いたかを、知らないことにする。知れば、罰さねばならない。罰すれば、この先、勝ち目の薄い戦のたびに、人は、書く代わりに、黙って離れる。負けそうな側へ手紙を出した者を、負けなかったからといって数え上げるのは、次に負けそうになったとき、誰も残らなくなるということだった。
春の一枚の紙は、天下の役所を走って、家々の当主に、どちらに付くかを量らせた。
量った結果が、この束である。書いた者たちは、明日から、何も無かった顔で、府へ出てくるだろう。それで、よかった。
賈詡は、自分の名が、あの束の中に無かったことを、思った。
書かなかったからではない。書く必要が、無かったからである。三度、主を替えて生き延びてきた男は、負けそうな側から離れる手順を、紙に書かずに済ませる術を、とうに身につけていた。だが、いま焼かれた者たちは、その術を持たずに、書いた。持たない者を、この男は、罰さないことにした。
降兵は、数万、掛け算で埋めた。
内通の文は、一枚も検めずに、焼いた。同じ日の、同じ人である。賈詡は、その二つを並べて、しばらく眺めた。眺めて、これは、算の違いだと分かった。埋めれば、明日の穀が足りる。検めれば、明日の人が減る。どちらも、勘定である。
人を束ねるとは、そういうことらしかった。
曹操は、官渡の野に立って、河北の方角を見ていた。
賈詡は、その斜め後ろに立った。声をかけるつもりは、無かった。かけずにいると、向こうから、言った。
「十年前、河内で、袁紹と冬を越したことがある」
声は、低かった。
「あの男は言った。南は黄河に拠り、北は燕・代を押さえ、地を広げて天下を争う、と」
「公は、何と」
「天下の知恵と力を頼み、道によってこれを率いる、と答えた」
それきり、曹操は、黙った。
賈詡は、その二つの言葉を、胸の中で、並べてみた。
袁紹は、地を欲した。この人は、人を欲した。あれから、十年。袁紹は、言葉のとおり、地を集めた。四州を併せ、十万を養い、天下の半ばを、地で埋めた。そして、その地の上で、賢い言を握りつぶし、諫めた者を牢へ入れ、見限られて、崩れた。
こちらには、地が無かった。家柄も、無かった。あるのは、人だけだった。
郭嘉が、勝てる十の理由を並べた。荀彧が、退く背を押した。荀攸が、策を授けた。程昱が、七百で後ろを守った。鍾繇が、遠い西から、馬を送ってよこした。許攸が、走ってきた。張郃が、降ってきた。関羽さえ、一時は、その武を貸した。賈詡自身も、決める一点を、指した一人だった。地を持たぬ者のもとへ、人が、集まり、動いた。
地と、人と。
どちらが、天下を決めるのか。あの日、河内で並んで立った二人の、足の下の地面の違いが、十年をかけて、ここで、決着した。
勝ち誇る素振りは、曹操には、無かった。
賈詡には、その理由が、分かる気がした。人は、地よりも、頼りになる。だが、人は、地よりも、裏切る。今日、走ってきた許攸も、降ってきた張郃も、明日には、どう転ぶか分からない。関羽は、恩を返すと、義によって去った。人で天下を取るとは、その、裏切りうる人の心を、生涯、束ね続けるということだった。
そして、賈詡自身が、いちばん、そのことの証しだった。
三度、主を替えて、ここにいる。四度目を避けるつもりでいるが、避けると決めているのは、自分の側の勘定である。束ねる側から見れば、自分は、明日どう転ぶか分からぬ一人でしかない。
曹操は、河北の空を、しばらく見ていた。
袁紹は、まだ、死んではいない。河北には、なお、袁氏の地と兵が残っている。それを平らげ、北を統一するまでには、まだ、幾年もかかる。そして、その先には、南が――まだ見ぬ、大きな川の向こうが、待っていた。
混沌は、この官渡で、二つに絞られ、そして、曹操の側に、大きく傾いた。
群雄が割拠した十年は、終わった。曹操は、踵を返し、まだついてくる人の群れのほうへ、歩いていった。賈詡は、その後について、歩いた。
第九章 地と人 ――完。




