第17話:汝南(じょなん)
――建安五年(二〇〇年)、冀州。
陳到は、その春、客というものの座り心地を、はじめて知った。
徐州を追われた劉備が北へ走ったとき、袁紹は、道々に将を出して、これを迎えさせた。袁紹自身も、鄴から二百里のところまで出てきて、劉備と会った。陳到は、その二百里を、列のいちばん後ろから歩いた。通る県ごとに役人が門の外に出て、頭を下げた。四世にわたって三公を出した家が、土地を持たぬ流れ者に、これだけの礼を尽くす。
鄴に入ると、館を与えられた。膳が出た。絹が出た。
与えられなかったものが、一つ、あった。
土地である。
劉備の兵は、営の東の端に、まとめて置かれた。
数千。徐州から連れてきた者と、途中で拾った者とを合わせて、それだけだった。河北の兵は、営の中ほどにいる。糧は、毎日、同じ刻に、同じ量が届いた。届く量は、正確だった。正確すぎた。
陳到は、その正確さの意味を、しばらくして、分かった。
多くもなく、少なくもない。多く出せば重んじたことになり、少なく出せば侮ったことになる。どちらでもない量を出しておけば、この客をどう扱うかを、まだ決めていないという意味になる。
人は、よく来た。
青州から来たという者が、劉備の館へ挨拶に来た。数日して、こんどは、鄴に残る側の者が来た。どちらも、袁紹の子のどちらに付くかという話を、遠回しに、するだけしていった。劉備は、笑って、聞いていた。聞くだけ聞いて、何も答えなかった。
客は、家の内輪の話に、口を出さない。
陳到は、その笑い方を、後ろから見ていた。あの笑いは、徐州でも、小沛でも、見た。土地を持たぬ者は、どこへ行っても、まず、笑うところから始めるのだった。
夏になる前に、南から、一騎、来た。
陳到は、それを、営の外の道に見た。馬は痩せ、鞍は泥で汚れていた。乗っている男は、笠を目深にかぶり、顎を布で包んでいた。布の下から、長い髭が、はみ出していた。
陳到は、気づくと、駆け出していた。
劉備は、幕を出て、道の途中まで、歩いてきた。
関羽は、馬を下りて、地に膝をついた。
「遅くなりました」
「生きていたか」
「はい」
それだけだった。
劉備は、関羽の肩に手を置いて、しばらく、そのままでいた。張飛が、後ろから来て、関羽の背を、思い切り叩いた。叩いてから、何か言おうとして、言わずに、鼻をすすった。
関羽は、立ち上がって、報告する者の口調で、続けた。
「白馬で、顔良を斬りました。曹操から受けた恩は、それで返しました。贈られたものは、絹も、金も、封をして、置いてまいりました。一つも、持っておりません」
陳到は、その言い方に、少し、驚いた。
義とか、忠とかいう言葉が、一度も出てこなかった。出てきたのは、借りたものと、返したものの、勘定だけだった。受けた恩を、首一つで払い、贈られた品には手をつけず、置いて出てきた。関羽にとって、義とは、そういう帳面のことらしかった。
その帳面を締めるまで、この人は、帰ってこなかった。
帰ってこられる場所が、ここにしか無いから、ではない。関羽ほどの武があれば、行き先は、いくらでもあった。曹操は、絹を積んで引き留めた。それでも、土地も城も持たぬ男のところへ、戻ってきた。
陳到は、劉備の背を見た。
この人の財産は、これだ、と思った。城でもなく、田でもない。首一つで恩を払ってから帰ってくる者が、いるということだった。
三日ほどして、鄴の府から、人が来た。
用があるふうでもなかった。幕の前に立って、関羽の顔を、しばらく見て、帰っていった。
陳到は、その背を見送って、腹が冷えた。
顔良は、袁紹の先鋒だった。その顔良を万軍の中で斬った男が、いま、袁紹の営の東の端にいる。河北の将たちは、白馬で兵を失っている。失った兵の縁者も、この営にいる。
この陣に、長くはいられない、と陳到は思った。
思った月のうちに、南へ行けという命が、来た。
――建安五年(二〇〇年)、汝南。
汝南は、許の、すぐ南にある。
十六年前、黄巾が最初に燃え上がった土地の一つだった。燃えて、鎮められて、それでも消えなかった火が、いまも、山と沼のあいだに、いくつも残っている。その一つを率いているのが、劉辟という男だった。
劉辟は、日に焼けて、首が太かった。字は読めなかった。刀は、鋤の柄を短く詰めたような、粗末なものを提げていた。
その男が、劉備を見て、はじめに言ったのは、こうだった。
「あんた、むしろを売っていたそうだな」
「売っていた」
「俺は、麦を作っていた」
それで、話は済んだらしかった。
劉辟は、劉備の下に、ついた。数千が、劉備の数千に、加わった。
やることは、単純だった。
許の南の道を、断つ。曹操は、いま、北の官渡で、全ての兵をそこへ向けている。背中は、薄い。薄い背中を、たえず、掻いてやればよい。
劉備の軍は、県を回った。
門を開ける県があった。開けない県があった。開ける県では、蔵を開けさせ、糧を出させた。開けない県は、囲んだ。囲んで、二日で落ちる県と、落ちない県とがあった。
陳到は、その落ちない県の一つを、下から見上げた。
城壁ではない。土塀である。高く積み上げた土塀の内に、屋敷と、蔵と、井戸と、数百人の男とがある。この地に何代も続いた家の、屋敷だった。門は、閉まっていた。
劉備が、使いをやった。
陳到が、その使いに立った。門の上から、白い髭の男が、顔を出した。
「劉玄徳どのの名は、存じております」
「開けていただけますか」
「開けませぬ」
「なぜです」
「北で、勝ち負けが決まっておりませぬ」
陳到は、言い返そうとして、言葉が出なかった。
男は、続けた。
「門を開ければ、我らは袁氏に付いた家になる。閉めていれば、どちらにも付かぬ家です。北の勝ちが決まってから、開けるか閉めるかを、決めます。それまで、この門は、動きませぬ。……お腹立ちは、ごもっともです。ですが、この塀の内には、五百人おります。米も、水も、この地の下から出ております。五百人と、田と、井戸を持っている者は、動けぬのです」
陳到は、頭を下げて、引き返した。
引き返しながら、腹の底で、分かってしまった。
あの家は、土地を持っている。だから、勝ちが決まるまで、動かない。こちらは、土地を持っていない。だから、勝ちが決まる前に、動くしかない。同じ理屈の、裏と表だった。
劉備の軍が、いつまでも土地を得られないのは、負けが続くからではない。土地を持つ者が、土地を持たぬ者に、決して門を開けないからだった。
秋の初めに、北から、騎が来た。
曹仁である。
陳到は、その戦を、劉備のかたわらで見た。曹仁は、荒らして回る劉備の軍を、追わなかった。追わずに、離れた県を、一つずつ、取り返していった。取り返した県には、必ず、兵を置いていった。置かれた県は、二度と、門を開けなくなる。
道が、細くなった。
糧の入る先が、一つずつ、消えていった。消えきったところで、曹仁の騎が、正面から出てきた。
劉備は、陣を布いた。
布いて、右の翼を前へ出せ、と命じた。右にいたのは、袁紹から預かった河北の兵である。
その翼が、動かなかった。
半呼吸、遅れた。半呼吸である。だが、騎の相手には、それで足りた。曹仁の騎は、その遅れた継ぎ目へ、まっすぐ入ってきた。
陳到は、槍を握り直して、そこへ走った。
走りながら、見えていた。徐州から連れてきた者たちは、動いていた。劉辟の者たちも、動いていた。動かなかったのは、預かった兵だけだった。あの兵は、劉備の兵ではない。袁紹の兵である。袁紹の兵は、劉備のために死ぬ理由を、持っていなかった。
陣は、割れた。
劉備は、退いた。退き方は、いつものように、上手かった。何度も負けている者の、退き方だった。
後になって、陳到は、捕らわれて戻された兵の口から、曹仁の言ったことを聞いた。
劉備は、袁紹の兵を預かったばかりだ。まだ、使いこなせてはいない。いま撃てば、破れる――曹仁は、そう言って、騎を出したのだという。
陳到は、その一言を、長く、覚えた。
あの日、河北の兵が半呼吸遅れたのを、曹仁は、戦う前から、知っていたのだ。土地を持たぬ将が、借りた兵を率いれば、必ず、そこに継ぎ目ができる。継ぎ目は、遠くからでも、見える。
――建安六年(二〇一年)、冀州。
冬のあいだに、北の決着が、伝わってきた。
官渡で、袁紹が敗れた。烏巣の兵糧が焼かれ、張郃らが降り、十万の軍が崩れた。鄴へ戻った劉備の周りから、人が、目に見えて引いていった。
劉備は、袁紹に、こう言った。
南の劉表と結んでまいります、と。荊州の兵を動かせば、曹操の背を、もう一度、脅かせる。そのために、自分が行く、と。
袁紹は、許した。
陳到は、その使いの立て方を、傍らで聞いていた。嘘ではない。劉表と話をつけに行くのは、本当のことだった。ただ、話をつけたあとで帰ってくるとは、一言も、言っていなかった。
列は、また、南へ向かった。
汝南では、龔都という男が、待っていた。
劉辟と同じ、この地に残っていた側の一人である。合わせて、数千になった。曹操は、蔡陽という将を遣わしてきた。劉備は、その蔡陽を、討ち取った。久しぶりの、はっきりとした勝ちだった。陳到は、その夜、兵たちが酒も無いのに騒ぐのを見た。
騒ぎは、長くは続かなかった。
秋になって、曹操が、自分で来た。
北を片づけた男が、いまや、南を向いていた。その報せが入っただけで、龔都の兵は、散った。散るのが早かった。この地の者は、この地に家がある。家がある者は、勝ち目の無い戦から、先に帰る。
劉備は、追われる前に、動いた。
荊州へ、行く。話は、もう、つけてある。
陳到は、支度をしながら、劉備がこれまで身を寄せた先を、指で数えた。公孫瓚。陶謙。呂布。曹操。袁紹。そして、これから行く、劉表。
六つ目の寄る辺だった。
列は、南へ下った。
陳到は、そのいちばん後ろを、歩いた。前には、劉備の背があり、関羽がいて、張飛がいて、簡雍と孫乾がいた。徐州も、下邳も、小沛も、汝南も、後ろに置いてきた。置いてこなかったのは、この人の並びだけだった。
これから行く先のことを、陳到は、少し聞いていた。
荊州は、豊かで、静かな州だという。北が二年、燃えつづけたあいだ、あの州は、応じると答えたきり、一兵も出さなかった。動かない州である。
動かない州へ、動きつづける男が、入っていく。
陳到には、その取り合わせが、どうなるのか、まだ、見当がつかなかった。




