第13話:二つの後押し
――建安五年(二〇〇年)、官渡。
荀攸は、毎朝、書役の声を、曹操の斜め後ろで聞いていた。
倉の残りである。初めは、月で数えていた。次に、旬で数えるようになった。この頃は、日で数えている。読み上げる声が、日ごとに、短くなっていった。短くなるのは、数える単位が小さくなったからではない。読み上げる者が、早く終わらせたいからだった。
塁の上には、立ったまま眠る兵がいた。
肩を叩けば目を開け、開けてから、また同じところを見る。対陣は、百日を超えていた。兵は、袁紹の半ばにも満たない。
糧を運ぶ道も、細っていた。
河南の百姓は、車を押すのを嫌がった。押させれば、途中で、車ごと逃げた。荀攸は、逃げた者の数を毎日書き付けさせていたが、曹操は、その紙を見ても、罰せよとは言わなかった。北の十万が勝つと見れば、いまこちらのために車を押した者から先に、後で咎めを受ける。県の役所にも、袁紹へ応じる者が、出はじめていた。
前線で押し合っているあいだに、後ろで、縄が解けていく。
曹操が、紙を書いては破るようになったのは、その頃からである。
荀攸は、幕の隅で、その音を、三度、聞いた。三度目に書いたものは、破られなかった。そのまま封をされて、後方の荀彧へ送られた。何が書いてあったかを、荀攸は、訊かなかった。訊かなくても、退くべきかもしれぬ、という文字が入っていることは、幕の内の者なら、みな察していた。
それを、自分の右腕へ送る。
送るということが、どういうことなのかも、荀攸には、分かっていた。
荀彧の返書は、短く、鋭かった。
「昔、楚と漢とは、滎陽と成皋のあいだで、睨み合いました。劉邦も、項羽も、先に退こうとはしなかった。先に退いた者は、それだけで、勢いが屈するからです。……いまの公は、敵の十分の一の兵で、地を区切って守り、相手の喉元を押さえて、半年、一歩も進ませておられない。力が尽きたと見えるときこそ、必ず、変事が起こります。奇策を用いるべき、まさにその時。ここを、失ってはなりませぬ」
曹操は、その手紙を、二度読んだ。
二度目に、目が止まった場所を、荀攸は、見ていた。
紙の上のほう、滎陽、という二字のところである。そこで、指が止まり、しばらく動かなかった。
荀攸は、その二字が、この人に何を指すかを、知っていた。
十年前、諸侯が酸棗で酒を飲んで動かなかったとき、独りで出ていって潰されたのが、この人である。汴水の岸で軍を失い、馬を射られ、夜の道に転がった。荀攸は、その頃、まだ都にいた。ほどなく董卓を殺す相談に加わって、牢へ入ることになる。曹操とは、会ってもいなかった。荀彧も、まだ会っていなかったはずだ。
その同じ地名を、いま、後方の荀彧が、退くなと言うための拠り所に使ってきている。
いちばん深く負けた場所の名を、いちばん退いてはならぬ証しとして返す。荀攸は、その一手の冷たさに、少しだけ、感心した。一族の叔父にあたるあの男は、兗州が裏返ったときも三県で踏みとどまらせ、名分を握れと説いた。危機のたびに、退こうとする背を、押してきた男である。
押した者は、もう一人いた。
賈詡である。曹操が、退くべきか、と問うと、賈詡は、いつもの淡々とした声で、答えた。
「公は、袁紹より聡く、袁紹より勇があり、袁紹より人を用い、袁紹より機を見て決められる。この四つで勝りながら、半年も決着がつかぬのは、公が、万全を期しすぎておられるからです。機を見て、一挙に決すれば、たちどころに片がつきます」
曹操は、その先を、訊いた。
「では、いつだ。その機とやらは、いつ来る」
「分かりませぬ」
「分からぬのか」
「分かるものなら、機とは申しませぬ。ただ、一つだけ。来たときに、確かめてから決めようとは、なさらぬことです。確かめられるだけ手元に揃っている話は、たいてい、もう遅れております」
賈詡は、それだけ言うと、頭を下げて、退がった。
曹操は、何も言わなかった。
言わずに、荀彧の手紙を、袖に入れた。破らなかった。荀攸は、それを見て、退く話は終わったと判断し、翌日の割り当ての紙を、書き直しにかかった。
二つの言葉は、同じ一点を指していた。
荀彧は、退くな、と言う。賈詡は、機を見て一挙に決せよ、と言う。踏みとどまり、決める一点を待て。だが、待てと言うのはたやすい。倉は、日で数えられている。荀攸は、その一点が、あと何日のうちに来なければならないかを、一人で数えておいた。
出した数は、誰にも言わなかった。
その夜半、営の門で、声が上がった。
北から、ただ一騎、来た者がある、という。名を名乗ったので、門の吏は、二度、聞き返した。三度目に、同じ名が返ってきた。
吏は、それを、幕へ走って告げた。
許攸だった。




