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三国志 ―正史群像―  作者: ソリトん
第九章 地と人

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第11話:官渡対峙

 ――建安五年(二〇〇年)、官渡。


 両軍は、官渡で、睨み合った。

 沮授の見たとおり、袁紹は、持久を選ばず、大軍で正面から押した。だが、曹操も、退かなかった。土塁を築き、壕を掘り、少ない兵で、袁紹の大軍を、真正面から受け止めた。押しても、押しても、曹操の陣は、崩れなかった。


 沮授は、そのころには、また、幕に出ていた。

 兵は、戻らなかった。名簿は、郭図の手にある。ただ、幕へ出て、末席に坐ることまでは、止められなかった。この陣では、席を取り上げるより、席に坐らせたまま、聞かずに済ませるほうが、面倒がない。袁紹は、沮授の顔を見ても、病のことは、一度も訊かなかった。

 沮授は、末席から、この軍が何を採り、何を採らぬかを、数えるようになった。

 櫓を組む、という案は、二日で通った。

 土を盛って、曹操の陣を見下ろす高さの山を築き、その上に櫓を組む。矢を、上から降らせる。金がかかり、人手がかかる。それでも、二日で通った。形が見えるからである。山は、日に日に高くなる。高くなったぶんだけ、進んでいるように見える。

 持久の策は、三月かかっても、通らなかった。

 あれは、形が見えない。三年、何もしないでいることが策だ、と言われても、幕の者には、何が積み上がっているのか、目に見えない。目に見えるものは通り、目に見えないものは通らない。この陣で通るかどうかを分けているのは、賢いか愚かかではなく、そこだ、と沮授は思った。


 対陣は、数月に及んだ。

 袁紹は、大軍の力で、押し潰そうとした。曹操の陣を見下ろす高さに、土を盛って山を築き、その上に、櫓を組み上げた。櫓の上から、袁紹の兵が、雨のように矢を射おろした。曹操の陣では、兵が盾を頭上にかざさねば、歩けなくなった。

 だが、曹操は、退かなかった。

 石を飛ばす仕掛けの車を、幾台も並べ、その櫓を、片端から撃ち砕いた。飛んだ石の礫が、袁紹の櫓を、音を立てて崩していく。沮授は、その車を見て、舌を巻いた。あの寡兵の陣には、ああいう器械まで考え出す者がいる。捕らえた兵に問うと、劉曄という者の献じたものだという。江淮で兵を集めていた男を自らの手で斬り、その部下ごと引き連れて曹操に帰服した、あの男である。降ってきた者が、降った先で、器械を一つ考える。それだけで、十万の櫓が崩れる。使われる場所を得た者は、こういう働きをするのだ、と沮授は思った。袁紹は、こんどは、地の下に穴を掘らせ、坑道を通して、曹操の陣へ潜り込ませようとした。だが曹操は、陣の内に、長い掘割を掘って、その坑道を、ことごとく断った。

 攻めても、崩れない。掘っても、断たれる。

 そのうえ、曹操は、袁紹の後方を、絶えず衝いてきた。

 曹操の将、于禁(うきん)が、河沿いの袁紹の陣屋を、次々に焼いた。別の将、徐晃(じょこう)は、袁紹の兵糧を運ぶ隊を襲い、故市というところで、その荷を焼き払った。前線へ着くはずの兵糧が、着く前に、削られていく。

 幕でも、その話は、出た。

 糧の道の護りを、厚くする。誰も、それに逆らわなかった。逆らわないまま、誰に預けるかで、話が止まった。


「青州の兵を割くのが、早うございましょう」

「割けば、青州の陣が薄くなる。鄴から出すほうが筋です」

「鄴の兵は、留守の備えです。動かせませぬ」


 沮授は、末席で、その三つの声を、順に聞いた。

 どれも、道理を言っている。どれも、自分の縁の将を出さぬための道理だった。糧の道を預かるということは、この軍のいちばん細い首を握るということである。首を、余所の派に握らせたくない。

 三度、その話が出て、三度とも、預ける将の名が決まらぬまま、次の話に移った。

 沮授は、その報せを聞くたびに、胸の底が、冷えていくのを感じた。

 この男は、兵糧を、狙っている。

 沮授には、それが、はっきりと見えた。曹操は、正面で受け止めながら、絶えず、袁紹の「食う根」を、削ろうとしている。ならば、いちばん大きな根――烏巣(うそう)に集めた兵糧こそ、狙われる。

 沮授は、袁紹のそばで、その一進一退を見ていた。十万の大軍が、寡兵の曹操を、正面から押し潰せずにいる。押し潰せぬまま、日を重ね、双方の兵糧が、少しずつ、減っていった。だが、豊かな袁紹の側には、まだ、余裕があった。乏しい曹操の側こそ、先に干上がるはずだった。

 持久すれば、勝てる。沮授は、そう見た。

 だが、その持久を、袁紹は、選んでいなかった。袁紹が望んだのは、大軍で一気に押し潰す、速い勝ちだった。その速い勝ちが、掘割と、石飛ばしの車の前で、止まっている。決戦を望んで決戦にならず、かといって、腰を据えた持久にも、切り替えられない。優勢なはずの大軍が、上に立つ者の、その決めきれなさゆえに、じりじりと、力を削られていった。

 沮授には、それが、いちばん危うく見えた。

 勝っているように見えて、勝ちきれない。そういう軍は、どこか一点が破れると、優勢だったぶんだけ、大きく崩れる。沮授は、その「どこか一点」が、烏巣になる、と睨んでいた。


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