第7話:白馬
――建安五年(二〇〇年)、白馬。
関羽は、曹操の下で、その日を、待っていた。
斬られてもよかった身が、手厚く遇された。曹操は、関羽を将に取り立て、絹を贈り、宴に招いた。その厚遇の一つひとつが、関羽には、重かった。劉備は、いま、袁紹のもとにいると噂に聞く。いつか、その主のもとへ、帰る。だが、その前に、この受けた恩は、返さねばならぬ。武人の、筋だった。
その厚遇のさなかに、ある日、張遼が、一人で訪ねてきた。
張遼も、呂布の下から曹操に降った将である。下邳で城が落ちたとき、この男は生きるほうを選び、関羽は、そのすぐ後に、同じ主の下へ並ぶことになった。降ってから、どちらも、まだ日が浅い。
張遼は、しばらく、当たり障りのない話をした。馬のこと、河北の兵の装いのこと。それから、盃を置いて、訊いた。
「雲長どのは、ここに、留まる気がおありか」
関羽は、すぐには、答えなかった。
張遼も、続けなかった。続けずに、待った。訊きに来たのだ、と関羽には分かった。この男は、自分で思いついて人の腹を探りに来るような性質ではない。誰かに、情をもって訊いてみよ、と言われて来ている。
それでも、答えることにした。
嘘をつけば、この男が、嘘を持って帰ることになる。
「曹公が私を厚く遇してくださっていることは、よく分かっている。だが、私は劉将軍から厚い恩を受けて、ともに死のうと誓った身だ。背くことは、できぬ。ここに、最後まで留まることはない。ただ、必ず、手柄を立てて曹公に報いてから、去る」
張遼は、それを聞いて、しばらく、動かなかった。
盃の底を、指の腹で、二度、回した。それから、うなずいて、帰っていった。
帰る背を、関羽は、見送った。
あの男は、いま、板の上を歩いている。聞いたことを主に申し上げれば、自分は斬られるかもしれない。申し上げなければ、主を欺くことになる。降ってきた者が、いちばん先に踏まされるのが、その板である。関羽自身は、その板を踏まずに済んでいた。捕らわれた身には、隠しておくものが、何も無かったからだ。
数日して、曹操から、また、絹が届いた。
斬られなかった。それどころか、贈り物が、増えていた。関羽は、その意味を、しばらく考えて、分かった。あの言葉は、伝わったのだ。伝わったうえで、この人は、増やしている。
機会は、白馬で、来た。
袁紹の軍が、南下し、その先鋒の顔良が、白馬の城を囲んでいた。
城を守っているのは、東郡太守の劉延である。兵は、千に足りぬという。囲まれてから、十日を過ぎていた。使いが、二度、抜けてきた。二度目の使いは、水があと幾日もつかを、日の数で言った。
救いに行くか、行かぬか。幕の内で、その一点が、割れた。
白馬は、河のすぐ南にある。まっすぐ北へ向かえば、囲みの外に、袁紹の十万が控えている。行けば、少ない兵で、大軍の腹へ首を突っ込むことになる。諸将は、渋った。
荀攸が、口を開いた。関羽は、その席の隅にいた。
「まっすぐ行っては、解けませぬ。兵が少ないのですから、敵のほうを、こちらの都合のよいところへ動かすほかない。西の延津へ出て、河を渡る構えを見せるのです。袁紹は、背を取られるのを嫌う。必ず、兵を西へ割きます。割いたところで、身軽な兵だけを、白馬へ返す」
「兵が少ないと言いながら、その少ない兵を、二手に見せるのか」
声を上げたのは、幕の前のほうにいた将だった。もっともな言い分だった。
「二手に分けるのではありません。西へやるのは、旗と、埃です」
「その回り道に、幾日かかる」
「西へ出て、向こうが動くのを待って、返す。三日。急がせて、二日半」
誰も、二日半のことを、口にしなかった。
劉延の使いが言った日の数と、その二日半とを、幕の内の全員が、頭の中で並べていた。合うか、合わないか。合わなければ、旗と埃を上げているあいだに、城は落ちる。落ちた城を取り返しに行くのは、囲みを解きに行くのとは、まるで違う戦になる。
関羽は、その沈黙の意味を、後ろの席から見ていた。
賭けているのだ、と思った。城の中の千人の、水の残りに。
曹操は、それを採った。
関羽は、その支度を、黙って見ていた。
嘘で勝ちに行く戦だった。渡る気もない河の岸で、渡る顔をして、旗を立て、埃を上げる。関羽の知っている戦とは、違った。武で押して、押し勝つ。それが、関羽の戦だった。だがこの陣では、押す前に、まず、相手の目をどこへ置かせるかを、決める。
押す番は、その後に来る。
関羽は、その、後に来る番のために、身を空けておくことにした。
袁紹は、西へ動いた。
その隙に、曹操は、身軽な兵を率いて、一気に白馬へ取って返した。顔良は、不意を突かれた。
その先鋒に、関羽と、張遼がいた。
二人は、馬を並べて、駆けた。丘を一つ越えたところで、白馬の城が見えた。
城壁は、思ったより、低かった。
土の壁の上に、人が、まばらに立っている。動いている者は、少なかった。壁の下の地面が、黒く踏み固められ、そこに、埋め戻した跡が、幾つも並んでいた。十日のあいだに、この城の中で死んだ者を、埋める場所も無くて、壁の際に埋めたのだと分かった。
間に合った、と関羽は思った。
思ったのは、一息のことである。次の一息では、もう、囲みのほうを見ていた。
幾万の兵の、そのただなかに、ひときわ高く、顔良の将旗と、車蓋が立っていた。
その旗の下で、一人の男が、腕を動かしていた。
城の東へ、隊を回している。回した隊が壁の裾に取りつくのを見届けると、腕を返して、次の隊を、西へ指した。指してから、一つ、うなずいた。囲みというものは、じっと囲んでいるのではない。順に取りつかせて、城の中の者を、眠らせない。あの男は、それを、朝から続けている。あと二日で、城は落ちる。落とすつもりで、落とせる手順を踏んでいる。
その顔が、まだ、こちらを向いていなかった。
西の渡し場のほうへ向けた顔が、まだ、戻っていない。旗と、埃のほうを、見ている。
あそこに、顔良がいる。関羽は、それを見定めると、馬を駆けさせた。
万を超える敵の中へ、たった一騎で、まっすぐ突っ込んだ。
敵が、割れた。
関羽の勢いに、幾万の兵が、波が引くように、道を空けた。関羽は、その道を、顔良の旗だけを見て、駆け抜けた。顔良が、何が起きたか分からぬうちに、関羽は、その傍らに達していた。一突きで、顔良を刺し落とした。そして、馬を下り、その首を掻き切って、また馬に乗った。
顔良の首を提げて、関羽は、敵の中を、悠々と引き返した。
幾万の袁紹の兵は、誰も、その関羽を、止められなかった。将の首を、万軍のただなかで取られて、袁紹の先鋒は、崩れた。白馬の囲みは、解けた。
城の門が、内から開いたのは、日の傾く頃だった。
出てきた男は、髪が乱れ、袍の裾が泥で固まっていた。劉延である。門の外まで歩いてきて、そこで、膝が折れた。折れた膝を、傍らの吏が支えた。劉延は、支えられたまま、曹操に向かって、頭を下げた。
礼の言葉は、短かった。長く言うだけの息が、無かった。
関羽は、その頭の下げ方を、少し離れたところから見ていた。
守り切った者の下げ方ではなかった。守り切れずに済んだ者の、下げ方だった。あと二日遅ければ、この人は、壁の際の、あの黒い土の下にいた。二日半という数と、この人の膝とが、同じ一本の線の上に載っていた。
その夜のうちに、曹操は、天子へ上表した。
関羽を、漢寿亭侯に封じたい、と。
亭侯は、侯の位のうち、いちばん下である。一つの亭――街道沿いの、宿場ほどの土地の名を負うだけの位だった。それでも、侯は、侯である。天子の名で下される。曹操が与えるのではない。天子が与える形になる。
紙が届いたとき、関羽は、しばらく、それを見ていた。
土地を持たぬ主に従って、十年、流れてきた。徐州も、下邳も、小沛も、置いてきた。その男が、いま、名の付いた一つの土地の主になっている。行ったこともない土地である。
この人は、と関羽は思った。
絹では足りぬと見ると、天子を使う。絹は、返せる。封じられた位は、返しように、返せない。断れば天子に背くことになり、受ければ、天子の臣として、この陣に繋がれる。
関羽は、受けた。
受けて、それでも、去ると決めていた。位は、天子から受けたものである。恩は、曹操から受けたものである。返す先が違う、というだけのことだった。
曹操からの贈り物は、その日から、さらに厚くなった。
絹が積まれ、宴が重なった。これほどの将を手放したくないと、品の数のほうが言っていた。




