第九十九話 日常と新たなトラブル
魔人の出現。
この情報は冒険者ギルドを通じて瞬く間に各国の上層部へと伝えられた。
規模は大きくないが、異世界からの侵略者と言うのは各国に大きな衝撃を与えた。
事の重大さを考えた国王や大臣は、騎士団の騎士団長や魔法師団の師団長などに情報を統制するように指示を出す。
これは、国内で一般国民への無用な混乱を避ける処置であった。
冒険者ギルドも、魔人の情報を最重要機密情報として各国の本部長クラスのみ情報を共有する事になる。
むろん、魔人の兆候があった場合には、信頼できる高ランク冒険者に事情を説明する形だ。
冒険者ギルドや各国の上層部が魔人に対して右往左往する中。
クエルは、その様な事など気にする事なくベネディクト王立学園に復学し日常に戻っていた。
朝食を取っていると、クエルはいつも身の回りを世話をしてくれている女執事のセリカが居ない事に気が付く。
「そう言えば、朝からセリカの姿が見えないが、エリス何か知っている?」
「セリカ様でしたら昨晩、組織からの呼び出しで本部へ行かれました」
メイド長のエリスの言葉に、クエルの眉がピクリと動いた。
「何かあったのか?」
クエルが知る限り、執事のセリカもメイド長のエリスも、魔人に関して動いている気配はない。
これは、クエルの母であるソフィア=ガーランドが何かしらの指示を出しているのだろうと感じていた。
「王都内で違法な薬物を売りさばいているグループを見つけたとの情報が入りまして、処理をするとの事です」
ベネディクト王都の裏社会は、ガーランド家の組織が支配している。
ヘブンリーフ・ヘブンダストなどの魔薬の密売で多額の利益を出しているガーランド家であるが、王都での薬物取引は禁止していた。
王都内で違法な薬物を取り扱う者がいれば、ガーランド家の組織が積極的に排除している。
これは、王国騎士団からの摘発を免れるための処置であった。
そのため、王都は表向きとても安全で健全な街となっていた。
それに今の組織の王都での収入源は、表ではレストランなどの飲食業やホテルなどの宿泊業、裏では娼婦街や裏カジノなどである。
わざわざ王都で魔薬を売る必要もない。
「……そうか、それじゃ今日は、セリカは帰ってこれないな」
今頃セリカは、違法な薬物を取り扱っていた者たちを粛清し、必要であれば騎士団に突き出している事だろう。
食事を終え、ソフィアから新たに届いた性欲抑制剤をエリスから受け取りそれを飲み干した。
エリスに布で口元を拭ってもらったクエルは、小箱からヘブンリーフを一本取り出す。
細い指先でヘブンリーフを摘まむと、桜色の唇に咥えた。
エリスが直ぐにヘブンリーフに魔法で火をつける。
火のついたヘブンリーフを吸うと、クエルは煙をゆっくりと吐き出す。
辺りをヘブンリーフの甘い香りが漂う。
性欲抑制剤と魔薬がなければ、クエルは日常生活を送れない。
これもまた、クエルの日常のひとつである。
「さて、それじゃそろそろ登校するか」
屋敷を出て、学園に通学するための馬車に乗り込もうとしたクエルは、ふと空を見上げる。
この空の下で、様々な者の思惑が動いているのだろう。
だが、何者かが何かを企てようとも、クエルには関係ない。
クエルの全ては、ケインを中心に動いている。
シルフィード領でクエルが魔人と対峙したのも、最愛の人であるケインの邪魔者だったからだ。
悪の救世主と言う運命も。
魔王の娘と言う宿命も。
裏社会を支配する事も。
クエルにとっては、ケインと共にいるために利用する程度のモノでしかない。
ケインに害を与える者がいれば、それが何者だろうと排除する。
馬車に乗り込むと、ゆっくりと学園に向け馬車が走り出した。
◇
ベネディクト王立学園の正門前で停まった馬車から、ヘブンリーフを咥えたクエルが制服に付けた大量のアクセサリーを鳴らしながら降り立つ。
ヘブンリーフの煙をくゆらせながら学園の校門に視線を向けたクエルは、そこに立っている人物を見て渋い顔をした。
学園の制服を着た赤い髪の少女と、獣の耳に尻尾を生やした虎娘が校門前で立ち話をしているのを、登校する生徒たちが遠めに見ている。
「あら、クエルおはよう」
「よっ、嬢ちゃん、久しぶりだな」
クエルに気が付き声をかけてきたのは、同級生のミレーヌ=ソレイユと、虎族の女闘士Aランク冒険者のフウである。
「おはようミレーヌ……っで、学園まで何しに来たのよフウ」
「そう邪険にするなよ嬢ちゃん、ところで、いつもの怖~いお姉さんはどうしたんだ?」
フウは辺りを大げさに見回すと、クエルの背後に控えているエリスたちメイドを見る。
彼女の言っている怖いお姉さんとは、女性執事のセリカの事であった。
「セリカなら、組織の仕事でいないわよ」
組織の仕事と言う言葉に、ミレーヌとフウは直ぐに察する。
セリカが裏の仕事をしているのだと。
「組織のボスに嬢ちゃんの世話と、お姉さんは大変だな」
「用がないのなら帰ってくれる。 わたしにはケインとの学園生活があるの」
やれやれと肩をすくめるフウに対し、クエルはヘブンリーフの煙を吐き出すと校門に向けて歩き出す。
その歩みを止めたのは、ミレーヌであった。
「あっクエル、ケイン殿は今日、学園にはこないわよ」
「……どういう事よミレーヌ、ケインが学園を休むって」
クエルは青い目を細めると、ミレーヌを睨みつける。
「国王陛下から呼び出されたそうで、今朝から王城へ行っているはずよ」
ソレイユ家は、ベネディクト王国の武を司る一族である。
そのため騎士団との距離が非常に近い。
王城での出来事は、ガーランド家の組織の情報より速くて正確である。
ミレーヌの言っている事は、本当であろう。
「チッ!」
クエルは、ミレーヌとフウに聞こえるように舌打ちをする。
どの様な要件なのかは知らないが、ケインの力を利用しようとする国王や国の上層部に、クエルは強い嫌悪感を滲ませた。
咥えていたヘブンリーフを吐き捨て靴で揉み消すと、クエルは正門に背を向ける。
「クエル、どこいくのよ?」
「帰る、ケインの居ない学園なんて行く意味が無いわ」
「なら嬢ちゃんこの後暇だろ、ちょっと付き合えよ」
ミレーヌに背を向け、馬車に戻ろうとしたクエルの首に腕を巻き、フウが親し気に話しかけてきた。
フウの行動に、エリスたちメイドが一斉に殺気立つ。
クエルはエリスたちを手で制すると、フウに冷たい視線を送る。
「あなたに構ってる暇があるなら、ケインを思って自慰行為してる方がまだ有意義よ」
「そう言うなよ嬢ちゃん……坊やの事で、話しておきたい情報があるんだがな」
フウはニヤリと獣の牙を見せながら笑うと、クエルの顔を覗き込みながら耳元で囁く。
話しておきたいケインの情報。
その言葉に、クエルの目が据わった。
この虎女は、人として信用できない。
持って来る話は、いつもトラブルばかり。
だが、その情報が確かなのも事実である。
「……くだらない情報なら殺すわよ」
「安心しな、嬢ちゃんに有意義な情報さ」
含むように笑って、フウは肩越しにミレーヌをかえりみた。
「剣聖ちゃんも時間あるか?」
「え!? 時間ですか?」
「嬢ちゃんと剣聖ちゃんに、話があってきたんだよ」
「わたしは構わないわ。 エリス、今日は学園を休むと連絡を入れて頂戴」
「あっ、それなら私も休むと伝えてくれますか」
「かしこまりました。 クエルお嬢様、ソレイユ様」
エリスがメイドに指示を出す。
「それじゃ場所を変えるか、ここじゃ目立ってしょうがねぇ」
クエルたちの周りでは、生徒たちが事の成り行きを見守っていた。
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