第九十二話 瘴気
ヘブンリーフを吸いながら、クエルはあっという間に魔人ローヴェルを壊したセリカの後ろ姿を見つめていた。
(……強い、セリカってこんなに強かったんだ)
完全にセリカの実力を見誤っていた。
決してローヴェルが弱かったわけではない。
最初のサーベルによる斬撃、そして手刀による貫手。
常人であれば何が起きたかわからないうちに首を刎ねられ、胸を貫かれて死んでいた事だろう。
だがセリカは、それらの攻撃を防いだだけではなく即座に反撃をして見せたのだ。
十二分に強いローヴェルさえも、セリカは凌駕しているのである。
考えてみれば、セリカはクエルの母である魔王の妻リゼル=バーンシュタインの護衛隊隊長であったソフィア直属の部下である。
魔族全盛期、上から数えた方が早いほどの実力者なのだ。
むしろ学園対抗戦の時に、それ程の実力者であるセリカを阻む結界を張った勇者の末裔ジヴァートの強さが際立つ。
そんな事を考えていたクエルの前で、セリカがゆっくりと倒れているローヴェルに油断なく近づく。
「どうした? 魔人とやらの実力はその程度か?」
「ぐっ……まさか……これ程の力を持った者が……この世界にいるとはな」
わずかに身じろぎ上半身を起こすローヴェルを、セリカは冷めた目で見つめている。
ローヴェルの両脚は折られ、歩くことはおろか、立ち上がることさえできない。
「もしや……お前は……噂に聞いた天使とでもいうのか?」
「わたしが天使だと? 馬鹿を言うな」
クエルは思わず吹き出しそうになる。
よりにもよって、魔族であるセリカを天使と間違えるとは。
「わたし程度の実力者など、この世界には五万といるぞ。 その証拠に他国で活動していた貴様の仲間は、既に冒険者によって鎮圧されている」
セリカの言っている話とは、冒険者ギルド総本部の資料に書かれていた魔素によって魔獣に町を占拠された事件の事である。
もっとも、それを解決したのは、ただの冒険者パーティーではなく、かなり特殊な者たちであったが、わざわざその事を教える必要もない。
「貴様は、この世界を甘く見た」
「確かに……甘く見ていたようだ。 だが……まだ……負けた訳ではないぞ」
「そのような半死半生の姿で、何が出来るというのだ?」
強がってはいるがローヴェルの手足は破壊され、今や生殺しの状態であった。
魔人とはいえ、闘うための力はもはやゼロである。
逃げる事はおろか、身動きさえままならない状態。
「何故わたしがあえてとどめを刺さずにいると思う? 貴様にはまだ聞かなければならない事があるからだ」
魔人の世界の事、仲間の数、どうやってこの世界に来たのか?
魔族として、ローヴェルには聞きたい事はいくらでもあった。
「君の質問に……正直に答えるとでも……?」
「喋りたくないのであれば、喋りたくなるまで痛めつけるだけのこと」
「それは……お断りする」
「!?」
苦しげに笑ったローヴェルが無事な方の腕をかかげると、その手にはいつの間にか水晶が握られていた。
得体の知れないモノを警戒し、セリカは大きく後ろに飛び退きローヴェルから距離を取る。
その水晶をローヴェルは床に叩きつけた。
ガシャンッ! フシューッ!!
床の上で砕けた水晶から、勢いよく霧のようなものが噴き出した。
赤紫色の霧を見たセリカは、それが何か直ぐに把握する。
「これは、瘴気」
「その通り! 少量だが、この部屋を満たすのには十分な瘴気の量だ」
広間には、赤紫色の瘴気の霧が充満していく。
ローヴェルは肉を突き破っていた肘の骨を無理矢理に戻すと、その傷口が見る間に塞がっていった。
折れた両足も、徐々に元へと戻り回復していく。
瘴気によって魔人本来の活力を取り戻しているのだ。
受けた傷も勝手に癒えて回復してしまう。
「今この部屋は、魔人の世界と同等となった」
ローヴェルの姿が、変貌し始める。
擬態を解き、アルゴやツィーレンの様に筋肉が膨れ上がり、耳が伸び上がると、背中から翼を生やす。
「人間にとって瘴気は毒と同じ。 この部屋に入った時点で、君たちの敗北は決まっていたのだよ」
「……残念だが、わたしに瘴気は効かん」
魔族であるセリカにも、瘴気は魔素以上に活力を与えてくれる。
セリカにとって瘴気はプラスにしかならない。
「だがこうなった以上、手加減は無しだ。 まずはその首を切り落としてやろう、その後に心臓をえぐり出し潰してやる」
静かに言い切ると、セリカはゆっくりと腕を上げる。
「そうすればいかに魔人といえど、復活は出来まい」
「ほぉ、この瘴気の中で動けるとは、よほど魔力に対して適性があるのか?」
「おしゃべりは終わりだ。 楽には死ねんぞ」
「ふむ、君は良いが、お連れのお嬢さんはどうかな?」
「なに?」
ローヴェルの指摘に、セリカは背後を振り返る。
そこには大きな胸を両腕で抱き、床にうずくまっているクエルの姿があった。
「クエル様っ!?」
セリカはまだ動けぬローヴェルを無視し、うずくまるクエルに駆け寄った。
◇
赤紫色の瘴気の霧を吸い込んだクエルは、床にしゃがみ込み身体を震わせてた。
「はぁ……うぅん……」
全身の血液が沸騰したかのように、身体が熱っぽくうずくようだった。
いつもの媚魔薬による後遺症の性欲の高まりとは違う。
クエルの全身を言い知れぬ苦痛と喜悦が走り抜ける。
瘴気によってクエルの華奢な身体の奥深くに眠っていた魔族の闇が、今猛烈な破壊衝動を伴って外部に放たれようとしていた。
壊したい! 破壊したい!! 叩き潰したい!!!
何でもいい!!!! 誰でもいい!!!!!
この感情をぶつけたい!!!!!!
「クエル様、お気を確かに、いま性欲抑制剤を……」
介抱しようと近づいたセリカは、思わず息を呑む。
顔を上げたクエルの瞳は、けだもののような美しくも恐ろしい、あらゆるモノを飲み込む青い輝きに彩られていた。
魔族の中でも上位であるはずのセリカですら、ゾッとする程のたえようもない悪寒が這い上がってくる。
驚きに硬直しているセリカをよそに、禍々しい輝きを帯びたクエルの瞳がローヴェルを見据えていた。
いるじゃい、大きくて壊しがいのあるモノがっ!!!!!!
足の骨折が回復したローヴェルは立ち上がると、背中の翼を羽ばたかせ宙に舞い上がった。
そして滑るように、背を向けているセリカに滑空する。
「セリカ、退きなさいっ!!!」
「クエル様っ!?」
クエルは立ち上がると同時にセリカを突き飛ばすと、腰から二本の竜骨棍を取り出した。
むき出しの破壊衝動と殺戮本能に駆られ、クエルはローヴェルを迎え撃つ。
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