第八十八話 魔の神殿
魔獣の森から迫る魔獣を迂回し、馬を走らせ森の入口へと到着したクエルたち一行。
クエルの前に現れた魔獣の森は、魔力を含んだ魔素に覆われていた。
闇の空気が森から溢れ出てきているのか、乗って来た馬たちが怯えている。
クエルはセリカに手伝ってもらい、馬から降ろしてもらう。
「今のわたしには、何とも言えない空気だな」
魔に属する者にとっては最適な環境なはずであるが、媚魔薬に侵されたクエルの肉体には発情を誘発する空気でしかなかった。
その証拠にクエルの身体は熱を帯び、零れ落ちるほど大きな胸は張り詰め、下腹部が疼き出す。
「んっ! くぅぅ……っ!」
クエルは胸を押さえると、膝がガクガクと震え立っていられなくなった。
ペタンと座り込むと大きな胸がブルンッと跳ね躍り、閉じ合わせた膝を擦り合わせる。
それを見たセリカは、素早くクエルに近づくと懐から透明な小瓶を取り出す。
「お嬢様、性欲抑制剤でございます。 お飲みください」
セリカは小瓶の蓋を開けると、座り込むクエルにドロリとした白濁の粘液を飲ます。
「んむ……む……」
クエルは生臭い粘液を喉を鳴らして飲み込み胃におさめる。
性欲抑制剤を飲み終えると、セリカが布でクエルの口元を丁寧に拭う。
その様子を馬から荷物を降ろしながら、フウとミレーヌが見ていた。
「森に入る前から嬢ちゃんがあの調子か、魔獣が活性化するわけだぜ」
「フウ殿、街の方は大丈夫でしょうか?」
「それについては、まだ大丈夫だろう」
レンジャーの報告では、魔獣の進攻スピードはかなり遅いらしい。
森から街までは距離があり、魔獣が街に到達するにはまだ時間がかかるだろう。
「とは言え、ノンビリしていられないがな」
「ここからダンジョンコアのある例の建物まで、距離がありますからね」
フウの予想では、自分たちが例の建物に到着するのと、魔獣が街に到着するのは同じくらいだと考えている。
そこから更に、建物の探索と、ダンジョンコアの破壊をしなければならないのだ。
時間があるとは言えない。
フウとミレーヌが険しい顔で話し合っていると、ケインがクエルに近づく。
「クエル、大丈夫?」
座り込み顔を伏せるクエルを、ケインが心配そうに覗き込む。
「……大丈夫です。 少し魔素に当てられたみたいで……」
そう言って顔を上げたクエルの顔には、媚びるような微笑みが浮かんでいた。
「嬢ちゃん、行けるか?」
「無理しない方が良いわよ」
準備を終えたフウとミレーヌが、クエルに声をかける。
「……問題無い」
クエルは立ち上がると乱れた薄紫色の髪を整え、アクセサリーの付いたコートを羽織り直す。
先程まで潤んでいた青い瞳は、鋭い目つきへと変っていた。
◇
魔獣活性化の原因と思われるダンジョンコアのある建物へと至る道は、意外なほど平坦であるようにクエルには感じられた。
魔獣と、発生したダンジョンモンスターの大半が街へ向かっているからだろう。
とは言え実際には、かなりの数の魔獣と遭遇していた。
だが、クエルに同伴しているセリカを含む女性執事たちは、全員魔族である。
濃い魔素の漂う森の中は、人間にとっては能力を低下させる不利な場所であるが、魔族にとっては十分に能力を発揮できる場所であった。
現れた魔獣たちは、出会ったそばから彼女たちによって瞬殺されていく。
そのためクエルたちは、想定していたよりも早く目的地に着く事が出来た。
「見えたぞ、あの建物だ」
クエルの前方を歩いていたフウが足を止め、指を伸ばして現れた建物を指差した。
「あれが……」
クエルは、思わず声を漏らした。
その建物は、森の中に忽然と現れたように見える。
石を何本も円柱として築き上げた社。
かつては美しい建物だったのだろうが、今は全体的に薄汚れ、円柱はひび割れ、コケやツタが絡みついていた。
そして、その建物は濃い魔素と、隠そうともしない闇の気配を強烈に放っている。
悪意が濃すぎて、息が詰まりそうだ。
「凄い圧迫感だわ」
「ここが魔素の発生源で間違いないだろう」
建物から放たれる負の力に圧倒され、ミレーヌとフウは立ちすくんだ。
「フウさん、魔素を発生させているダンジョンコアは、どこにあると思いますか?」
「冒険者ギルド総本部から送られてきた資料を見る限り、恐らく建物の地下だろうな」
ケインの問いにフウは答えると、荷物の中から攻略書を取り出す。
攻略書には建物内のマップが描かれていた。
地下へ進む道は迷路の如く入り組んでいる。
攻略書の予備知識がなければ、迷ってしまうところだろう。
「場所が分かっているのなら、早く行きましょ」
そう言うとクエルは、軽快な足取りで建物の入口へと歩いて行く。
その後ろを、セリカと女性執事たちが続く。
「あっ、クエル待ってっ!」
「……この状況でビビりもしないとはな。 嬢ちゃん、肝が据わってるな」
ケインが慌ててクエルの後を追うのを見ながら、フウが呟く。
「さて、行こうか剣聖ちゃ……ん?」
歩き出したフウは、微動だにしないミレーヌに足を止めた。
ミレーヌの身体が、小刻みに震えている。
怖いのだ。
魔族であるクエル、天使のケイン、獣人のフウならともかく、ただの人間であるミレーヌには、建物の入口が地獄への入口に見えているのかもしれない。
「怖いのなら、ミレーヌはここで待っていても良いのよ」
そっけないクエルの言葉に、ミレーヌは目を閉じた。
「スゥゥゥゥゥゥゥゥ……ハァァァァァァァ……」
息吹と共に練り上げられた闘気が、ミレーヌの身体を駆け巡る。
再び開かれたその目には、恐怖を跳ね返す生命力にあふれていた。
「わたしはソレイユ家の令嬢よ、ここで尻尾巻いて逃げる訳にはいかないでしょ!」
力強い言葉と共に、ミレーヌは一歩を踏み出しクエルの後に続いた。
この一行の中で、最も勇気のある者は、彼女かもしれない。
◇
クエルたちは周囲を警戒しながら、建物の中へと足を踏み入れた。
中は汚れた壁に囲まれた通路が続いている。
「ここは、古代の遺跡……神殿ですかね?」
「う~ん、神殿を砦のように改装した感じかな?」
クエルの疑問に、通路に彫られた絵を見ながらケインが答えた。
このような状況でなければ、ゆっくりと二人で観光していきたい気分である。
そう思っているクエルの後ろでは、攻略書を見ているフウの近くでミレーヌが周囲を見回していた。
「フウ殿、順路は?」
「しばらくは道なりに進めば良い、罠はなさそうだが注意して進むぞ」
「罠ですか? 攻略書に描かれているのでは?」
このダンジョンがダンジョンコアが作り出した物であれば、事前に攻略書にも描かれているだろう。
だがフウは警戒を怠らない。
「ここは天然のダンジョンだ、誰かが新たに罠を張る可能性もある」
「誰か……ですか?」
ミレーヌは首を捻る。
ミレーヌはピンッときていないようだが、フウは何者かがこの遺跡を占拠している事を前提に考えていた。
資料に書かれていた『なにか』と言うのも気にかかる。
その時、フウの頭の上の獣の耳がピクピクと動き、獣の鼻をヒクヒクとさせた。
攻略書を仕舞い、通路の奥の闇を見据えながらフウは戦闘態勢に入る。
「フウ殿、どうかしたのか?」
「何か……来るぞ」
「クエル、下がって」
「はい」
壁の絵を見ていたケインは、ロングソードを手に取るとクエルを後ろに下がらせ、ミレーヌとフウに並ぶ。
クエルはケインの背中越しに、闇の中からから現れたモノを見た。
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