第八十一話 魔素
「獣人のわたしはそれほどじゃないが、普通の人間は、この場にいるだけで気力を削られるな」
フウの言う通り、空気がねっとりとした粘着質な別のモノに変わったかのようだ。
魔力を含んだ濃厚な魔素が、闇の空気となり重苦しさを醸し出している。
「そう言えば、ボクも少し身体が重いかも……」
「ケインッ! 大丈夫ですか!」
ドンッ!
「キャッ」
クエルはミレーヌを押し退けると、ケインに寄り添う。
突き飛ばされたミレーヌは、尻もちをつくような格好で地面に座り込んだ。
「ケイン、どこか体調が優れないのですか?」
「少し身体がだいる感じかな」
「大変っ! セリカ、ハイポーション……いえ、ギガポーションをっ!」
「落ち着け嬢ちゃん。 これくらいの魔素ならじきに慣れる」
「本当だろうなっ! ウソなら殺すぞっ!」
クエルは凄まじい怒気を孕んだ声を、フウに投げ返した。
「クエル、ボクは大丈夫だから……」
叫ぶクエルに、ケインはなだめるように優しく話しかける。
「それよりも、クエルは平気? 眩暈や吐き気はない?」
「わたしですか? わたしは……」
っと、不意に立ち眩みに襲われ、クエルはケインにしがみ付く。
「クエルっ!?」
「な……何だか……急に……ふわふわ……した感じ……身体が熱く……」
トロンと蕩けた顔をすると、浮かんだ汗の玉が滴り落ちた。
「……あふっ……はぁ……ケイン……」
吹きこぼれる熱い吐息。
魔族であるクエルにとって、魔素は活力の源である。
だが、媚魔薬に侵された肉体には、心地よい快楽を増幅させてしまう。
「んっ!? おいセリカ、嬢ちゃんが欲情しちまってるぞっ!」
獣の鼻をひくつかせ、クエルから発せられる濃厚な雌の匂いに気がついたフウが、セリカに声をかける。
セリカはクエルを背後から拘束すると、素早くケインから引き離す。
「あっ……ケイン……」
「クエルお嬢様、性欲抑制剤でございます。 お飲みください」
メイド長のエリスが、セリカに拘束されているクエルの口元に、性欲抑制剤の入ったビンを近づけた。
このような状況を想定していたのか、手際よくクエルに性欲抑制剤を飲ませる。
ドロリとした白濁液を飲み干したクエルは、脱力したかのようにその場に座り込んでしまった。
「……セリカ、嬢ちゃんは?」
「クスリを飲ませたから、しばらくすれば欲情も鎮まる」
「しかし、魔素で体調不良になるってのはあるが、欲情するなんて聞いた事ないぜ」
「クエルお嬢様の身体の事は、知っているだろう」
「そうだったな、悪かったよ。 ところでお前らは大丈夫なのか?」
「舐めてもらっては困るな、我々はソフィア様が集めた魔導師だぞ。 この程度の魔素は問題ない」
「そりゃ結構、それじゃ嬢ちゃんの欲情が鎮まるまで、休憩するか」
フウはそう言うと、荷物から青い液体の入ったポーションを取り出し、ケインとミレーヌに手渡す。
「ほれっ、坊やも剣聖ちゃんも、これ飲んで休んどけ」
「すみません、フウさん」
「かたじけない」
クエル、ケイン、ミレーヌが休憩している間、セリカたち女性執事が周囲を警戒する。
「フウ殿、これが魔素溜まりと言うモノなの?」
ポーションを飲みながら、ミレーヌがフウに尋ねる。
「いや、魔素溜まりってのは、こんな広い範囲じゃなく、もっとこう一か所に固まってる感じだ」
地図を手に周囲を見ていたフウが、ミレーヌの質問に答える。
「今いるのがこの辺りで、この先が目的地の広場か」
「はい、もう少し歩くと開けた場所に出ます」
地図を見ながら、フウとケインが現在位置を確認する。
「これだけ魔素が濃いんだ、どんなヤバい魔獣が居ても不思議じゃないぜ」
「何が居ても、ケインの敵じゃありません」
いつの間にか正気を取り戻したクエルが、ケインとフウの後ろに立っていた。
「クエル、身体の方は良いの?」
「クスリが効いたみたいです、欲情も治まりました」
そう言いながらも、クエルの青い瞳は色っぽい眼差しをケインに向けている。
「わたしも、少しはこの空気に慣れたみたい」
ポーションを飲み干したミレーヌが立ち上がる。
眩暈と吐き気は完全には治まってはいなかったが、歩ける程度には回復していた。
「よし、ここから先は慎重に進むぜ」
「「 はい 」」
クエルたち一行は、魔素の漂う森の奥へと更に進む。
◇
ケインの言っていた森の奥の開けた場所。
その広場には、予想していた通り魔獣の集団がたむろしていた。
「……あのトカゲが、ヤバい魔獣ですか?」
離れた茂みから二足歩行のトカゲを見ながら、クエルが怪訝な表情で呟く。
馬のような大きさの身体に、鱗の生えた全身、目を見開き、口から舌をちょろちょろと出している。
「クエル、あれはトカゲじゃなくてリザード、脅威度はEランクってところだよ」
傍らに伏せたケインが魔獣の説明をしてくれた。
脅威度Eランクとは、小さな村の危機に該当する魔獣である。
「拍子抜けだな、てっきり脅威度Cランクくらいのヤバい魔獣でもいると思ってたんだが、肩透かしを食らった気分だぜ」
「しかしフウ殿、あの数は油断出来んぞ」
ミレーヌの言う通り、見える範囲だけでも三十体近いリザードがうろついていた。
広場の奥には、更にリザードが居るはずである。
「ボクが魔法で攻撃して、数を減らしましょうか?」
「そうだな、坊やの攻撃魔法で奇襲して、わたしと剣聖ちゃんが群れの中に飛び込む、後は流れで」
「了解した」
フウの即席の作戦に、ケインとミレーヌが頷く。
三人の会話を横目で見ながらも、クエルは口も手も出さない。
ここでもクエルは、高みの見物を決め込む。
クエルの目的は、あくまでもケインの活躍を見る事である。
「ケイン、頑張ってください」
「うん、行ってくるよ」
ケインはクエルに親指を上げると、フウとミレーヌと共に茂みの奥へと進んで行く。
そして、少しの間を置いてケインの声が森に響いた。
「真空刃!」
放たれた複数の真空の刃がリザードたちを切り裂く。
血しぶきを上げて倒れるリザードを見るや否や、茂みからフウが飛び出した。
「よっしゃ、行くぞ剣聖ちゃん! わたしに続け!」
「はい!」
ミレーヌも茂みから飛び出すと、バスタードソードを抜きフウに続く。
奇襲に混乱するリザードの群れに突撃したフウは、勢いのままに手近にいたリザードを殴り倒した。
「こいつらの鱗は結構硬いぞ、剣聖ちゃん」
「心得たっ!」
フウに続き、魔素の影響を感じさせない動きでミレーヌは駆けると、硬い鱗に覆われたリザードをバスタードソードで斬り倒す。
そんなフウとミレーヌの活躍も、クエルの眼中に無い。
クエルの瞳には、ロングソードを手にリザードの群れに飛び込むケインの後ろ姿しか映っていなかった。
(あぁ、やっぱりケインの戦う姿はカッコ良くて素敵です)
クエルは、うっとりとした笑みを浮かべる。
おそらく、魔素によって狂暴化もしているであろう魔獣たち。
だが、ケイン、フウ、ミレーヌが相手では、リザードたちもゴブリン同様、敵ではない。
あっという間にリザードたちの数が減っていき、ケインたちは更に広場の奥へと進んで行く。
(あんっ、ここからじゃケインの活躍が見れないじゃない)
ケインの後を追うために茂みから出たクエルたちは、広場に足を踏み入れる。
辺りに散乱するリザードの死体を、特に気にせず通り過ぎようとした時、クエルの目の前で異変が起こった。
「えっ?」
最初にケインの魔法で倒されたであろうリザードたちの死体が、淡い光を放ち始めたのである。
「な……なに?」
驚いたのはクエルだけではない。
セリカもエリスも、他の使用人たちも同様に、驚きを隠せなかった。
クエルが驚いていると、リザードの死体は見る間に半透明になり、やがてスーっと姿を消してしまった。
「魔獣が消えた? これは一体……?」
困惑するクエルは、ふと消えたリザードのいた場所に、何かが落ちている事に気が付く。
「あれ? これは……」
クエルはしゃがみ込むと、落ちていた物を拾い上げる。
それは、小さな小石のような物であった。
クエルは、これが何なのか直ぐに解った。
学園の授業で、女教師のルシアが実物を見せてくれた事がある。
「これって、魔石の原石!?」
クエルが手にしている物は、本来魔獣から取れるはずのない魔石の原石であった。
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