9.フェルディナントの孤独
「俺の願いはただ一つだ。アデル……アデライードが、生きて、幸せになってくれること、だ……」
声を絞り出して告げると、聖剣の赤い宝石が点滅した。
『さもあろうな。しかし辺境を守る者よ。お前の道は困難なものとなる』
「彼女に、子供を産ませなければ……」
そうすれば、アデルは死ななかった。
『やはりわかっておらぬな。エーデルシュタインの血筋が、ドラッヘンの呪いを受けているがゆえだ』
呪い? ドラッヘン……ドラグニア王国に伝わる、神の名ではないか。
「なぜ、ドラグニアの神がアデルを呪う!? 彼女が何をした!」
『エーデルシュタインの先祖が倒したドラゴンこそ、ドラッヘンの化身であった。邪神を倒し、女神レグリーアはこの国とエーデルシュタインに祝福を授けて消えたが……ドラッヘンも邪神といえど神。滅びる前に、己を倒した血筋に呪いをかけた。王都まで届くものではなかったが、この地にエーデルシュタインの子が来たために、血筋を絶やそうとする呪いが発動したようだ』
「なっ……アデルが死んだのは、呪いの仕業だと!?」
この地に、来たために――
「お、俺が、彼女を妻に望んだせいで……」
自分を殺したくなるような話にめまいがした時、聖剣が淡々と続ける。
『そういうわけではない。お前が望まぬとも、いずれエーデルシュタインの者はこの辺境に来て、命を落としただろう。ドラッヘンの呪いよりエーデルシュタインの子を救うため、我は託された』
「救う、だと? アデルは死んだのにか!」
『まだ完全には終わっておらぬ。エーデルシュタインの子を救う術はある』
まだ、救える? アデルを……
「アデルを、生き返らせてくれるのか!?」
『逸るでない。我が身にある石は、人の世界の宝石ではないのだ。ドラッヘンが死した際、やつが持っていた石を使い、レグリーアが呪いを打ち砕く力を込めた。――エーデルシュタインの血筋が絶えようとする時、それを止めようとする者がいれば、我は目覚める。お前が我を目覚めさせたのだ』
赤い宝石に、ひびが入った。点滅が早くなる。
『死者の命は戻せぬ。だが、やり直すことが可能だ。辺境を守る者よ、やり直すがいい。己が望みを叶えてみせよ』
「待ってくれ、やり直すとは……どうすればアデルは……!」
視界が暗転する直前、赤い宝石のひびが大きくなるのが見えた。
周囲が真っ暗になったかと思うと、俺は祭壇の前に立っていた。神官が祭壇の向こうにいて、俺の背後を見ている。
ここは……
振り向いた瞬間、花嫁姿のアデライードがそこにいた。
「ア……」
アデル、と呼ぼうとして声が出なくなった。剣聖との会話と俺自身の記憶が、脳裏を駆け巡る。
――時が戻った。あの、俺とアデライードの結婚式に。
生きているアデライード……アデル。真っ白なドレスとベールに包まれた、誰よりも美しいあなたが。
『己が望みを叶えてみせよ』
剣聖の言葉が、俺の頭に反響していた。
✦ ✦ ✦
すべてが、あの日の通りだった。俺はアデライードと式を挙げた。
「死が二人を分かつまで愛する」。結婚式の決まり文句が、そのまま俺の未来にのしかかる。
やり直すがいい、と聖剣は言っていた。時間を戻して、アデルの死をなかったことにした。
だが、ドラッヘンの呪いというものがあるのなら、同じようにすれば……また、アデルが死んでしまうことになる。アデルはもともと、体が弱かったのだ。出産などさせてはいけなかった。
だと、したなら。
寝室に入ると、アデルが待っていた。以前と同じように、ベッドに腰かけて。
「お待ちしておりました」
生きている、美しいアデル。まだ何も知らないアデル。
「……アデライード。あなたに無理をさせたくはない」
俺はアデルの前にしゃがみ、不思議そうにしている顔を見つめた。
「あなたは体が弱いのだろう? 夫婦の営みは、あなたが丈夫になられてからでいい」
「え……で、ですが、辺境伯様のご後継者は」
「後継者なら、急がずともいい。親戚の者から養子を取ることもできるだろう」
暗がりの中で、青い瞳が見開いた。
「今宵は、ゆっくり休もう」
俺はそう言って、アデルに触れることをしなかった。
そうだ、アデルのために。……あなたを、死なせないように。
何もしなかった初夜のあとも、俺はアデルを……アデライードを大切にした。
気遣い、優しく接し、夫婦生活がなくとも俺たちは仲が良かった。初めての時のように親密ではなくとも、俺はアデライードが笑って生きていてくれるだけで嬉しかった。
冬を越し、春になる前に以前氾濫を起こした河川の護岸工事をしておいた。実際大雨で増水したが、農村への被害は出なかった。
俺が何もしないと、以前と同じことが起こるのか。当然か、聖剣は時を戻しただけなのだから。
それならばなおのこと、なかなかアデライードを抱く気にはなれなかった。かつて幸せだった記憶に心身は辛くもなったが、アデライードの無事には変えられない。彼女を守るために戻ったのだ。
――そう信じていた。
「白い結婚」というものが、嫁いできた彼女にどんな意味を持つのか。俺は、理解できていなかった。
✦ ✦ ✦
アデルが以前亡くなった時期を過ぎたある日、俺の執務室にハインリが飛び込んできた。
「ご主人様! 大変です、奥様が……!」
俺はハインリの顔を見た瞬間、全身が総毛だっていた。
……何も、していない。アデライードには、何も起こらない。そのはず、だ。
何もしなければ何も起こらないのだと――俺は、勘違いをしていた。
アデライードは自らバルコニーから身を投げ、中庭で事切れていた。
「アデライード……アデル……! アデル! アデルアデル、なぜだ!!」
俺は血を流し倒れている彼女を抱き上げ、何度も彼女を呼び続けた。アデルの瞼は閉じられたまま、涙の跡が頬にあった。
何があった。なぜ彼女は投身自殺をした!?
「なぜ……」
そこで、俺の視界が揺らいだ。
※ ※ ※
「待ってください! これは……この、フェルディナント様は」
『思い出したか? エーデルシュタインの子よ』
結婚式の……とても緊張したフェルディナント様。私を大切にしてくださって。子供も――授かって。
けれど、出産時に……ああ。
そう。私は死んだ。
そして、もう一度あの方と結婚した記憶。初夜に、白い結婚を言い渡されて。
大事にはしていただいたけれど、どこか心は空虚だった。ずっと、いつになったら夫婦になれるのかと思って。
ある時、フェルディナント様付きの侍女に言われたのだったわ。
あの人は、以前の世界でフェルディナント様が使用人を一斉に解雇なさった時、すがって懇願していた侍女……
「旦那様は、わたくしを愛してくださってますの。奥様は、見せかけの妻ですのよ。お気の毒ですけれど……あの方がわたくしをお選びになったのですから、仕方ないでしょう? お恨みにならないでくださいませ」
私が嫁ぐ前から、フェルディナント様をお慕いしていたのだろう。彼女の言葉を鵜呑みにしてしまって、私はバルコニーから身を躍らせて自ら命を絶った。
「思い……出しました……」
『あの男なりに考えたのだろうが、失敗を重ねたのだ』
✦ ✦ ✦
侍女の虚言でアデライードが自死したと知り、俺は激しい怒りを覚えた。侍女はもちろんのこと、そんな言葉を信じさせてしまう程度にしか己を信じさせられなかった不甲斐なさに。彼女の寂しさに気づいてやれなかった迂闊さに。
俺にその真相を教えてくれたのは、聖剣だった。アデライードが死に、俺が彼女を守れなかったことでまた、あの白い空間に飛ばされたのだ。
『お前の望みは叶わず、エーデルシュタインの子が再び死した。ゆえに、お前もここに来た』
聖剣の赤い宝石は粉々に割れ、今度は隣の青い宝石にわずかなひびが入っている。
「も、もしや、まだやり直せるのか?」
『我に託された石の数だけ、猶予がある。お前は赤い石で一度戻り、失敗した。次は青い石で戻る。失敗しても、五回まではやり直せるということだ』
五回まで、あと四回。四回は戻れる。……いや違う!
もう二度と、アデライードを死なせたくなどない!
「……俺がアデライードと婚姻を結ばずに彼女を返しても、無理なのか? あるいは、もっと前……俺が縁談を望む前に戻してもらえれば」
『ドラッヘンの呪いが干渉できる辺境までやってきた時点で、呪いはすでに発動している。それ以前には戻れぬし、お前に戻されたところで、王都にて不遇の死を遂げるであろう。我を目覚めさせた以上、お前が止めるほかはない』
剣聖の宣告は、俺にとって何よりも重かった。俺が助けなければならない。アデライードの死を止めなければ。
『――時が戻る。ドラッヘンの呪いを甘く見ぬことだ』
「わかった」
アデライード……愛するあなたを、必ず守る……
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次回一行予告:及ばなかった想いと新たな決意。




