10.最後の始まり
これまで大切に側に置いていても、俺はアデライードを守れなかった。それならば、いっそ。
結婚式を終え、三度目となった初夜。俺は離れの寝室にアデライードを案内させ、故意に無表情で告げた。
「あなたには、この離れで暮らしていただく。ここで、好きに過ごしてくれて構わない。妻としての務めも考えなくていい」
俺から、あなたを離しておく。俺は戦い、領地を守る。ドラグニアとの次の戦闘で、さらに戦功を挙げて和平に持ち込むようにできるまで。
離れの使用人には、「アデライードの望むことをすべて叶え、彼女が心安らかに暮らせるよう尽くせ」と厳命した。
月に一度だけ、夕食に本館へ招く。その時だけ会えることが、俺の支えだった。
彼女はあまり話さない。食が以前より細くなっていないか?
「アデライードの食事も、しっかり管理させておけ」
そうハインリに伝えておいた。
どれほど会いたくとも、それだけで我慢し続けた。
河川の氾濫を今回も工事で防ぎ、領地の経営をこなし、アデライードには潤沢な予算を割り振る。時折、俺からもドレスや宝石を贈った。平和な日々の中で、アデライードに会えずとも守りきれればいいのだ。
✦ ✦ ✦
三年が経った。
アデライードは離れで穏やかに暮らしている。彼女と結婚して、三年も生き続けてくれたことはなかった。
俺はドラッヘンの呪いから、アデライードを救えたのか? いつまで生きていてくれれば成功したと言える? 聖剣はそこまで教えてくれなかった。
……「邪神といえど神」と、聖剣は言った。神の呪いを打ち破れば、何かしら起こるはずだ。和平も結べず国境の緊張が解けていない今、終わっているとは思えない。
アデライードを、守り続けなくては。
俺はすべてに備えていたつもりだったが――ある日突然、敵兵に城内へ侵入された。騎士団を展開して敵を倒す一方、離れへと走った。
……これもまた、ドラッヘンの呪いによるものだとしたら。ここで、守らなくては。
幸いにして、騎士は奮戦し敵の多くは倒した。だが一部は城内本館にも入り込んでいる。俺と、アデライードは城を落とすために標的となる!
走った先に、侍女と逃げるアデライードの姿が見えた。よし、あの侍女が連れ出してくれれば……
「どいて!」
――信じられないものを見た。侍女が、アデライードを突き飛ばしたのだ。アデル!
転んだアデルを置いて、侍女は曲がり角を抜けて走り去る。起き上がろうとするアデルに、敵兵が走り寄っていくのが見えた。
「アデライード、逃げろ!」
俺の目の前で、敵の剣が細い背中を斬りつけた。俺はすぐさま敵の鎧の間から、剣を突き刺す。倒れた敵を飛び越え、アデルを抱き上げた。
「アデル……!」
青い瞳が、閉じていく。あまりにも軽い体が、俺の腕の中で力を失っていった。
「アデル、アデル! なぜだ――アデル!!」
※ ※ ※
「フェルディナント様は……私を、守ろうと……?」
『あの男は、お前を愛するがゆえに囲い込んで守っているつもりだった。使用人がお前を軽んじていたことを知らず、お前に守られながら守れなかった』
「私に、守られながら……?」
『まだ自覚がなかったか。……もうしばらく見ているがいい』
✦ ✦ ✦
俺は三度、聖剣の前にいた。
「アデルが……なぜあんな……」
『お前が妻を疎んじていると使用人どもは考えたのだろう。三年のうちに、エーデルシュタインの子は孤独と冷遇に慣れていた』
俺が? 何度も言ったはずなのに、アデルに仕えている者たちには伝わっていなかったのか?
……離れの中を走っていた時、妙に埃が舞って煙たかった。あれは侵入者の仕業ではなく、使用人が掃除もせず放置していたためか。もしや、ハインリも俺がアデルを嫌って遠ざけたと誤解した? 縁談を申し込んだ理由を、ハインリは知っていたはずなのに。俺が近づこうとしないので、心変わりしたと思われたのか……
「侍女が、アデルを突き飛ばしていた……あれは死を恐れて混乱したからではなく、主人と思っていなかったということか」
はらわたが煮えくり返りそうだ。いや、この結末も俺の咎なのだ。離れて守ろうなどと、愚かな真似を。
この手で守らなければならなかったのに!
聖剣の青い宝石も、割れて崩れた。次は、緑の宝石にひびが入る。
「――教えてくれ。ドラッヘンの呪いを解くには、どうすればいい」
『お前の望みを叶えよ。……もう四度目になるゆえ、ひとつ力を貸そう』
「俺の望みは、アデルが生きて幸せになることだ!」
『そのために、必要なものがある。次は、エーデルシュタインの子に記憶を残そう』
アデルに、記憶を残す……?
「待ってくれ、それは――」
『自分自身で答えを見つけて成し遂げよ。我はこれ以上の手助けはできぬ』
※ ※ ※
三回、私は死んでいた。そして、四回目。
「フェルディナント様は、私を生かそうとして……ご自身、が」
『今回、あの男はよくやっていた。お前を愛し、守り、気を配り――お前に前回の記憶を残したがゆえに、お前もまたこれまでになくなすべきことをしていた』
私が、離れで暮らしていた間。フェルディナント様は、私が幸せだと信じていらした。
そうでないと知って、今度は私を守るために以前私を放置していた使用人を解雇して。その上で側にいてくださって、私の好みも覚えていて……すべて、覚えていらしたから。
知らず知らず、涙がこぼれる。
「フェルディナント様……」
やっと理解した。
フェルディナント様、あなたはずっと私を守って、愛してくださっていたのですね……
――私が死なないように。
私が忘れていた、一番最初の結婚式から……いいえ、それ以前から。私を見染めてくださって、妻に望んで。
何度も私の死を目の当たりにしながら、呪いを解こうと諦めずに……どれほど、辛い想いをなさっていたことだろう。
こんなにも愛してくださっていたのに。
なのに……
私はここにいる。聖剣の宝石は緑の石が砕けているだけでなく、黄色の石も粉々になった。
「ドラッヘンの呪いは、解けていないのですよね……?」
『あの男が我を目覚めさせた。その望みが完全に叶う時、我に託された女神の力が呪いを解くだろう』
「フェルディナント様の望みは――」
『お前が生きて、幸せになることだ』
私が……生きているだけでは、いけない。幸せに……
――あ。
「私は……」
『我が言えるのはそれだけだが、お前ならばわかるであろう』
「――はい……」
フェルディナント様。フェルディナント様。フェルディナント様、私は……
「私は……フェルディナント様がいてくださらなければ、幸せにはなれません」
私を心から愛してくださった人とともに、幸せになりたい。
私が、初めて……愛した方だから。
涙を手で拭って、聖剣に向かう。
「私がフェルディナント様を守った、というのはなんだったのです?」
『エーデルシュタインは女神レグリーアの祝福を受けた。ゆえに、守護の力を持つ子が血筋に生まれることがある。己自身ではなく、大切に想う周囲を守る力だ。たとえば、豊穣の力だな』
豊穣。領地の豊作は、私の力だった?
『人の子は聖女の力とも呼ぶがな。お前は何度も死に、生を繰り返した。その分人よりも神の領域に触れ、力を強めている。おそらくは次の生ではさらに強く、守護を与える者になれるだろう』
「聖女の……では、戦いで、フェルディナント様を守ることはできますか……?」
『ある程度、影響はあろう。実際に戻らなければ仔細はわからぬ』
「そう、ですか」
影響はある。私がフェルディナント様を守ろうとしたら、きっとその祈りはレグリーア様に通じる。
『今回戻ると、あの男は我のことも以前の生も忘れている。死んだのが本人だからな。そのために四つ目の石もすでに割れた。我を目覚めさせたものが発動すべきものだが、当人が死んだためだ。お前が望もうと望むまいと、時は戻る。――無論、望むであろうが』
「もちろんですわ。ただ……」
フェルディナント様は全部忘れて……では、最初の結婚式の時と同じあの方に会うことになる。
「私は、覚えていられるのですね」
『お前は生きのびたゆえな』
「わかりました。ありがとうございます」
透明の宝石に、ひびが入り始めた。
『時が来た。エーデルシュタインの子よ、辺境の夫とともに呪いに打ち勝て。我はお前たちを見ている』
「はい……!」
――フェルディナント様。今、あなたのお側に戻ります。
あなたの笑顔を想って、私は両の目を閉じた。
※ ※ ※
目を開けた時、侍女の後ろを歩いていた。ここは、神殿の廊下。私は白いドレスとベールに身を包んでいる。
結婚式の日……礼拝堂の扉が、開かれる。
ヴァルデック家の縁戚と騎士団と、家臣たちと――
祭壇の前のフェルディナント様が、ゆっくりと振り返る。一瞬目を見開いて、ほんの少し微笑まれた。……照れていらっしゃる。
私はまっすぐにフェルディナント様のもとへ向かい、ぎこちなく差し伸べられた手に右手を預けて、軽く握った。驚いたような顔をして、フェルディナント様が俯きがちに私を導く。
二人で、祭壇の前に立つ。これが五回目の、そして最後の誓いの時。
「フェルディナント・ヴァルデック卿。女神レグリーアの名において、アデライード・フォン・エーデルシュタイン嬢を妻とし、死が二人を分かつまで愛することを誓いますか」
「誓います」
フェルディナント様の声が、わずかに震えていた。
「アデライード・フォン・エーデルシュタイン嬢。女神レグリーアの名において、フェルディナント・ヴァルデック卿を夫とし、死が二人を分かつまで愛することを誓いますか」
「……いいえ」
フェルディナント様が私を振り向き、周囲がざわめく。私ははっきりと告げる。
「死が二人を分かつとも、永遠に愛することを誓います」
何度死んでも、あなたは私を愛してくださっていた。だから、私も。
たとえ呪いが解けずとも――いえ、違うわ。
今度は私があなたを助けて、必ず呪いを解いてみせます。
……愛する、フェルディナント様。
私たちは、もう戻りません。五回目の時を、進めて生きるのですから。
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次回一行予告:懐かしいすべてを新しく生きる。




