8.聖剣
倒れてくる夫の体を受け止める。私の服が血塗れになる。
「……フェルディナント様」
両目が閉じられている。私をいつも見つめてくれていた琥珀色の瞳が見えない。
敵が剣を振り上げるのが、視界の端に見えた。
ああ。私は。
私は、また――
『また失敗したのか』
……え?
気がつくと、私が抱えていたはずの夫の体が消えている。私についた血の跡もない。
顔を上げる。――ここは、どこ?
真っ白な床。辺り一面が白く、何もない。
『難儀なことだ。ドラッヘンの呪いがこれほど根深いとは』
この声は誰?
周囲を見回すと、少し離れた床に私が持参した聖剣が突き刺さっていた。……でも、鍔の宝石の三つが割れている。
パンッ、と音を立てて四つ目も割れた。残っているのは、中央の透明な宝石だけ。
「この、剣は……」
『エーデルシュタインの子よ。我が声が聞こえるだろう』
「あ、あなたはどなたですか。どこにいるの」
『目の前だ』
目の前――まさか。
「聖……剣……?」
『そうだ。女神レグリーアがお前の先祖に与えた、神の祝福。お前の血筋を守るために我は存在している』
剣が話している。いいえ、頭に直接声が響いてくる。
エーデルシュタイン家の伝説は、本物だったの?
そして――私は。
「私、また死んで……」
『いいや。今回死んだのはお前ではない。あの男だ』
あの男? ……離れた場所に、誰かが倒れている。
「フェルディナント様!」
駆け寄って、体を揺する。
「起きてください! 私を、置いて逝かないで!」
傷跡は何もないのに、フェルディナント様は反応してくれない。死んでいるの? 私をかばって、フェルディナント様が死んでしまった!?
『落ち着け。死んではいるが、まだ終わってはいない』
「死んで、終わってないって……!」
『お前も死んだが、やり直しただろう』
――死んだが、やり直した。
「あ……」
私は死んだ。フェルディナント様に拒まれ、三年放置されて侵入者に殺された。
あれは……夢でもなんでもない、本当に……
『“失敗”したがゆえ、時が戻ったのだ』
「失敗ってなんです!? 私は、何も」
『失敗したのはその男だ。そして、我を目覚めさせた。お前を救うために』
眠っているかのような、フェルディナント様を見る。私を救うため?
「そんな、だって、フェルディナント様は……」
以前の世界での、フェルディナント様は。
「私を嫌って、捨て置いてらして」
『そうではない。お前はずっと、愛されていた。――そうだな、最初から見るがいい。これまで何があったのか、すべて思い出せ』
剣が眩いほどに光る。
意識が、遠く――どこか、遠くへ……
私は抗えぬ眠りに就くように、フェルディナント様の上に倒れ込んだ。
✦ ✦ ✦
今回の戦闘は、かなり激しかった。騎士団にも被害はあったが、幸い死者は出ていない。それが奇跡だと思えるほどに、ドラグニアの侵攻は長かった。
三ヶ月戦い続け、ようやく敵を撤退させた。このヴァルデック城は難攻不落。簡単に落とせるものではない。
そうして、俺は生きのびたのだ。
「ご主人様、国王陛下よりお返事が届きました」
ハインリが、恭しく王家の封蝋が付いている封筒を差し出す。
「陛下から……」
ごくり、と思わず俺は唾を呑み込んだ。……この返事をいただくまで、何度後悔したか。
侯爵令嬢を妻にいただきたいなどと。何かに惑わされていたとしか思えない。こんな辺境に、あんなにも高貴で美しい方が来てくださるわけがないのに。望むものはあるかと陛下に問われ、身の程知らずな望みを奏上するとは。
……アデライード。アデライード・フォン・エーデルシュタイン侯爵令嬢。
長いブロンドと、透き通るブルーの瞳。誰よりも美しく、輝いていて。初めてその姿を見た時には、女神がこの世に顕現したのではないかと思った。
ひと目で心奪われるのは仕方ないとはいえ、釣り合う相手ではない。だが、どうしても忘れられずに想い続けた。
震える指で封を開き、便箋を取り出す。
『此度の戦功に対し、褒賞を取らす。また、エーデルシュタイン侯爵はヴァルデック辺境伯からの縁談を受けるとのこと。同封された婚姻証明書をサインの上で挙式を……』
縁談を……受ける。受けて、いただけた。
その後、何を言ってどうしたのか記憶が曖昧だ。俺は有頂天になりつつも信じられず、何度も侯爵家のサインを確認していたとのちにハインリに言われた。
「ようございましたね、ご主人様。お望みの奥様をお迎えできることになり、わたくしも大変嬉しゅうございます」
「ハインリ、俺の頬を叩いてくれないか。夢のようで信じられん」
「……さすがにそのようなことはできかねます」
✦ ✦ ✦
「お初にお目にかかります。アデライード・フォン・エーデルシュタインでございます」
声も美しい。なんと優雅な所作だ。本当に、この女性が俺の妻に?
い、いやいかん。私だ、私。騎士と言っても辺境のこと、荒っぽい者が多く、ヴァルデック家は貴族らしさが足らなすぎる。言葉遣いから直していこうと決めたのだ。少しでも、アデライードに相応しい夫になれるように。
「遠いところをよくおいでくださいました。フェルディナント・ヴァルデックです」
「よろしくお願い申し上げます」
どうしても見惚れてしまう。落ち着け。これから、結婚式が待っているんだ。
「今日は、客室でゆっくり休んでください。式は明後日です。慌ただしくて、申し訳ないのですが」
「かしこまりました、フェルディナント様」
な、名前を呼んでくれた!
恥じらうさまが、愛らしすぎて……
いかんいかんいかん。フェルディナント、しっかりしろ。これからお前は、愛する人を生涯守って生きていくのだ。お前が想いを寄せた人が、妻となってくれるのだからな。
――そう、思っていた。信じていた。
最初は何も知らなかった。
エーデルシュタインの血筋が背負っている、巨大な影を……
アデライードは美しく聡明で優しく、それでいて謙虚な女性だった。俺……私は、彼女のことを知れば知るほどますます想いを募らせた。
三ヶ月経って、ようやく「アデル」と呼ぶことを提案して許してもらった。アデルも、私に敬語は使わないでほしいと言ってくれた。
半年もすると私――俺が、無理をしているのが悟られたらしい。話しやすいように話してほしいと言われて、俺は無理に貴族らしくふるまうのをやめた。
その年は珍しく、作物もよく育った。秋の収穫祭には、アデルと参加して住民とともに楽しんだ。
冬には大雪が降り、春の雨で河川の氾濫が起こった。アデルは冷静に農村の被害に対する援助と、今後のための護岸工事を提案してくれた。
俺が領主として考えておかなければならなかったものを。侯爵の代理で領地経営もしていたアデルに、俺はいろいろなことを教えてもらった。七歳も下の妻に、情けない話だ。だが、アデルは言った。
「騎士団を率いて国境をお守りになるのが、フェルディナント様の第一のお仕事なのでしょう。私はほかの仕事をお引き受けして、お力になりたく思います」
俺が見染めた女性は、何もかもを兼ね備えた人だったのだ。
まさに、女神のごとく。
……夏になる前、アデルの懐妊がわかった。
あの時が、俺とアデルの最も幸せな時期だったかもしれない。
「ありがとう、アデル! これからは、体を大切にしてくれ」
「フェルディナント様ったら……いつでも、私を大切にしてくださるのはあなたですのに」
「俺がいない時にも、万一のことなど決してないようにしてほしいんだ」
アデルは少々体が弱かった。侍医を常につけて、万全の体制を整えて出産に臨んだ――はずだった。
「しっかりしろ、アデル!! ――子はこの際諦める、せめてアデルの命を守ってくれ!」
「奥様、深く息をなさってください! 奥様!!」
難産の末、子供は……死産だった。
「お子様は……」
「……アデルだけでもいい、アデル……アデル? アデル!!」
アデルの白い顔が、土気色に変わって見えた。
――彼女は、死んだ。
俺は泣き叫び、彼女を呼び、気も狂わんばかりになり……城内にある神殿へと、ふらふらになって足を運んだ。
祭壇には、アデルが持参金代わりに持ってきた聖剣が飾られている。女神レグリーアに授けられた、エーデルシュタイン家の家宝。
「聖剣……か。これで胸を貫けば、俺もアデルと一緒に逝けるか……? それとも、女神の怒りを買うだろうか」
剣に手を伸ばす。
「俺を、アデルとともに……」
剣に触れたその時、目がつぶれそうな輝きに包まれて――
次の瞬間には、俺は見知らぬ白い空間に立っていた。
「な……なんだ、ここは」
辺りを見回すと、聖剣が床に突き刺さっていた。鍔には、赤、青、緑、黄、透明の宝石が常よりも光っている。まるで、石の中に光を閉じ込めているように。
『――我を起こすとは。しかも、エーデルシュタインの血脈を絶やした結果とはな』
俺の頭に、その場に跪きたくなるような、国王よりも威厳を感じる声が響いた。
『人の子よ。何が望みだ? ……我を起こした者ゆえ、聞くまでもないが』
何がなんだか理解が及ばないまま、俺は答えた。
「アデルを……生き返らせて、くれ」
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次回一行予告:聖剣の力と夫の決意。




