5.夢の中の幸せ
領内を馬車で巡るのは時間がかかるので、城から一番近く領地の中心になっている街へやってきた。途中で見えた農地も、結構広かったわ。台帳で確認すると、領内全体ではジャガイモの産出量もかなりのものだった。まずは、食料の取引を商会を通して行うのがよさそう。
フェルディナント様は早速商会の設立申請を、王都へ送られている。「名前は、アデライード商会にしようか」と言われてしまったので、驚いてお断りした。結局「ヴァルデック商会」の名で申請していただいたけれど……
「着いたな。馬車を降りて歩こう。アデル、大丈夫か?」
相変わらず気遣われて、恥ずかしくなるほどだわ。フェルディナント様の腕をお借りして、街の広い道を歩く。家の造りが平民でもしっかりしているのは、雪が降るためね。
「あなたにしてみれば、田舎だろう? だが、住民は気がいい者たちが多い」
「立派な街ですわ」
住宅街を抜けると、商店が並んでいる。広場には露店もあって、活気のあるいいところだわ。
「あらまあ、領主様。奥様をお連れですか」
「領主様だ! わあ、綺麗な女の人といるよ!」
「おお、領主様。ようこそおいでくださいました」
あちこちから、声をかけられる。フェルディナント様も、楽しそう。
「久しぶりだな。皆、元気にしているか? 何かあれば言ってくれ」
つん、と服が引っ張られた感覚がして足元を見ると、小さな男の子が私のマントの先を掴んでいる。
「坊や、こんにちは。どうしたの?」
私が声をかけると、じっと見つめてくる。
「……めがみさま」
「え?」
フェルディナント様が、声を上げて笑う。
「ああ、女神様だ。ただし、お前のではなく俺……私のだが」
「っ、フェルディナント様!」
「おやおや、お熱くていらっしゃる。失礼いたしました、奥様」
恰幅のいい男性が、男の子をひょいと抱き上げる。
「とうちゃん、めがみさまだよ! しんでんにあったぞうとおんなじだもん!」
「いや、たしかに女神様のようにお綺麗です。ご無礼お許しください、奥様」
私を指差す男の子の背中をぽんぽんと叩いて、男性が頭を下げた。
「いいえ、気にしないで」
「我が妻のアデライードだ」
フェルディナント様に肩を抱き寄せられた。
「よくお似合いですな。領主様、改めてご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。アデライードは女神にいただいた祝福だ。大切にしなければな」
間近で優しいまなざしを向けられて、赤面してしまう。
嬉しくも恥ずかしい心持ちで、私はフェルディナント様と街中を歩いた。
* * *
フェルディナント様は、領民にも慕われていらっしゃった。私自身も、歓迎されている。とても有意義で、楽しい視察だった。
でも――街並みは全体的に良い状態だったけれど、王都や侯爵領に比べると、古いままの井戸なども目についた。住民に不便はないか、陳情を聞いて。街の施設を改善できるように、予算確保を考えて。
侯爵領でしてきたことが、役に立ちそう。
「アデル。入っていいか?」
ノックの音で、我に返った。寝室で、フェルディナント様をお待ちしていたのだった。
「はい、どうぞ」
「失礼する。……返事が遅かったが、どうかしたのか?」
「いえ、その、視察したことを思い返していまして」
フェルディナント様は入室してくると、私の隣に座って微笑んだ。
「ここにいる間は、私のことを考えてほしいものだが」
「も、申し訳ございません」
温かな手が頬を撫でて、私の顎を上に向かせる。……本当に、なんて優しい目をなさるの。
「疲れてはいないか?」
「平気、です」
「――では、女神の祝福を授けていただこう」
女神なんて……そう言う前に、唇が触れていた。
優しい――あまりにも優しい、フェルディナント様。私をいたわりながら、愛してくださる。
本物の夫婦になれた。今は私だけが覚えている三年の出来事が、夢であったかのように。
夢、で……
『アデル、魚は苦手か?』
『そんなことはないのですが、川魚は慣れなくて』
『……いささか、泥臭さがあるからな。厨房の者に、食べやすい調理法を研究させよう』
『フェルディナント様、そこまでしていただかなくても』
『そこまでしたいのだ。あなたには、ここで幸せになってほしい』
は、と目が覚めた。
――夢?
起きようとすると、眠っているフェルディナント様に抱きしめられた。
「フェルディナント様……」
あんな話はしていない。最初から、食べやすい川魚が供されて。
……幸せだから、あんな夢を見たのかしら。フェルディナント様の笑顔は、最近と同じようだった。どこまでも温かな、安心できるお顔。
フェルディナント様の胸に、顔をうずめた。
幸せが過ぎると、おかしな夢を見るのね。
* * *
数日かけて、ハインリに借りた過去の記録と資料をもとに、予算案を作ってみた。
「この地方では冬が寒いそうだから、使用人の冬用の服や寝具の予算も含めておいたわ。不要かしら」
「……とんでもない。ここまで考えていただけるとは、皆感激いたしましょう。ほかの予算につきましても、このまま十分に使えます」
日頃無表情なことの多いハインリが、ほのかに笑みを見せてフェルディナント様を見る。
「初めてとは思えません。非の打ちどころがない奥様を迎えられましたね、旦那様」
「私にはもったいない方をいただいた」
フェルディナント様まで得意そうな顔をなさるから、気恥ずかしい。
でもよかった。認めてもらえたのだわ。
「一点気になると言えば、奥様の予算がやや少なく思われるのですが」
「私はそんなに使う機会もないでしょう」
通常は年の半分ほどは王都のタウンハウスで過ごすけれど、辺境伯とその家族は国境を守ることが第一。その分、王都に住まう義務は免除されている。北にも当然貴族はいるけれど、広い分関りが少ないとフェルディナント様がおっしゃったわ。
「アデル、あなたのドレスは必要だろう」
「この地方では、社交も少ないようですので」
「まったくないわけでもないし、社交がなくともあなたは領主夫人だ。相応しい装いをしていただかなければ」
「ですが、ジュエリーなどは十分すぎるほどございます」
私の部屋に、宝石が山ほど揃っていて驚いたわ。嫁いでくる前にこんなに用意されているなんて。実家より、ランクの高いネックレスや指輪や髪飾りがあって……毎日付け替えても、ひと月以上かかる。
「ドレスはあなたに合わせて手直ししなければならないし、新しく仕立てるべきだ。特に冬の寒さは、おそらくあなたには酷だ。風邪をひきやすいのだろう?」
「……どうして、ご存じなのですか?」
「妻になる人のことを知っておくのが、おかしいか?」
事前に調べてらしたのね。
「旦那様、続きは昼食後ではいかがでしょうか」
ハインリの言葉で、私とフェルディナント様は顔を見合わせて笑った。たしかに、もうお昼時ね。
「では、そうしよう」
食堂に向かう間も、フェルディナント様は「冬の衣装は、金を惜しまないほうがいい」と私に言い聞かせるように続けた。
今日の昼食は、ミルクスープや鶏の香草焼き……私の好きな料理だわ。
「北方では、鶏より牛の料理が多いと聞いておりました」
「この城では、騎士のためにいろいろな食材を揃えているのでな」
好物まで調査されてないわよね。偶然でも嬉しい。ミルクスープなんて、最後に飲んだのはいつだったか。
私が喜んで食べていると、フェルディナント様が手を止めて私を見ている。少し、はしたなかったかしら。
「あなたは小食のようなので、お口に合うものは遠慮なくどうぞ」
そう言って、フェルディナント様はさらに私へ鶏肉を取り分けるよう、給仕に命じた。
* * *
フェルディナント様は心底私を気遣ってくださる。そのくせ子供ができやすい日に限って、私が疲れているようだと同衾なさらない。
領主の妻の最も大切な義務は、跡取りを産むこと。予算案や領地経営ができても、このままでは良い女主人とは言えないわ。
思い切って、「子供のことはどうお考えなのですか」と聞いてみたら。
「子供は、ゆっくり考えよう。あなたは体があまり丈夫ではないようだと侍医が言っていたし、まずはここの気候に慣れてほしい。まだ私たちは若いのだから、焦る必要はないだろう? 私も、そうそう簡単にやられはしない」
私は病弱というほどではないけれど、誇れる健康体でもない。それにフェルディナント様は二十五歳、私は十八歳。母が私を産んだのは、二十一の時だわ。
フェルディナント様と二人きりの時間を、しばらく楽しんでもいいのかしら……
『懐妊か! ありがとう、アデル! これからは、体を大切にしてくれ』
『フェルディナント様ったら……いつでも、私を大切にしてくださるのはあなたですのに』
『俺がいない時にも、万一のことなど決してないようにしてほしいんだ』
『あなたに似た、男の子だといいのですけれど』
『女でもいい。子供は一人きりではないだろう』
……あっ。また、夢。
懐妊する夢を、見るなんて。何年後でも、これが正夢だといい。
何年……
そうだわ、三年経ったあとに前の世界では侵略者がやってきた。
この世界でも同じことが起こるかどうかはわからない。だとしても、あらかじめ備えておかなくては。
あんな恐ろしい目には、二度と遭いたくない。フェルディナント様を悲しませるようなことも、絶対にしない。
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※5話以降は毎日20時頃更新予定です。
次回一行予告:幸せな日々と秋の収穫祭。




