3.悪意は許さない
「奥様がおいでになりました」
騎士が告げて、扉を開ける。さっと両脇に侍女たちが退いて、私に道を開けた。
領主の妻なら当たり前のことなのに、何から何まで経験がなくて戸惑ってしまう。
呼ばれてきたのは、領主の執務室だった。奥の壁には剣と盾がいくつも飾られ、中央には国旗がある。その手前に主人の机と椅子があり、座っていたフェルディナント様が私を見るなり立ち上がって、目の前にやってくる。私の右手を取ると、両手で包むように握られた。
この方の掌は硬いけれど、とても温かい。何より、触れ方があまりにも優しい。私のことを、ガラス細工と思っているかのよう。
「呼びつけて済まない、アデル。もう休んでなくて平気か?」
「はい、問題ございません」
「そうか。では、こちらに座ってくれ」
手を引かれて、部屋の中央にあるソファーに座る。隣に、フェルディナント様が座った。
「アデライードに紅茶を」
「かしこまりました。失礼いたします、奥様」
部屋の中にいた侍女がティーワゴンを近くに寄せて、手際よく私の前にティーセットを置き、紅茶を注ぐ。
「あなたの口に合えばいいが」
「フェルディナント様は……」
「私はあとでいい。飲んでみてくれ」
旦那様より先にいただいていいのかしら。そう思ったけれど、なんとなく懐かしい香りがして、私はティーカップを手に取った。温かな紅茶を最後に飲んだのは、王都を発つ日だったかもしれない。
口に含むと、かぐわしい香りが鼻に抜けていった。この茶葉は……
「ルーグラ地方の紅茶ですわね」
「さすがに、よくおわかりだ。王都では、この茶葉が人気だと聞き及んで用意させた」
ルーグラの茶葉は人気ではあるけれど、香りが強すぎると言って苦手に感じる人も多い。私は祖母の影響で、幼い頃から好んでいる。
私が好きな紅茶を調べて、用意してくださった? ……まさか。家族以外に話したこともないし、偶然でしょう。
それにしても、私が来るタイミングに合わせたのかと思うほど美味しいわ。紅茶は時間を置くと苦みが出やすいのに。――いえ、それはきっと偶然ではない。フェルディナント様のお心遣いは、これまで驚くほど細やかだもの。
「とても美味しいですわ」
「よかった。ゆっくり楽しんでくれ」
フェルディナント様は凛々しいお顔をなさっているのに、微笑むとこんなにも優しいお顔になるのだわ。昨日から何度も見ているけれど、以前の世界ではまったく知らなかった。
私から視線を前に移すと、フェルディナント様の表情が真剣なものになった。
「アデル、紹介が遅れたな。この者が、家令を務めているハインリだ」
テーブルの向こうに立つ白髪混じりの紳士が、私に頭を下げた。
「ハインリ・ケラーと申します。どうぞお見知りおきください、奥様」
「よろしく、ハインリ」
この人は見覚えがあるわ。挨拶をしただけで、離れで住むようになってからは一度も会わなかった。
……駄目ね。もう過去のことなのに、どうしても以前の世界と比べてしまう。悪い夢だと忘れられればいいのに、そう簡単にはいかないものね。三年以上離れに閉じ込められて寂しく暮らした挙句、侵入者に斬られてしまったのだから仕方ないかしら。
「報告書を」
「こちらでございます」
ハインリからフェルディナント様に、書類が渡された。結構な枚数があるようだけど、なんの報告書?
「ここに書かれている者が、全員か。随分いるな」
フェルディナント様の表情が、険しくなる。
「しっかり確認したのだろうな?」
「もちろんでございます。わたくしの親戚の者を数名紛れ込ませ、休憩中の言動なども記録させました」
「……なるほどな」
フェルディナント様は、一枚一枚書類を確認なさっている。ちらりと見えたところでは、人の名前が書いてあるようだけど。
「報告書にある者を、広間に集めろ。アデル、申し訳ないが一緒に来てくれるか?」
「あ……はい」
なんなのかしら。使用人への挨拶?
それにしては、フェルディナント様の表情がどこか怖い。私をエスコートしてくれる手は、優しいのだけれど。
執務室から移動した先の広間には、大勢の侍女や使用人らしい男性、調理人の格好をした人までいた。
……この人たちは、ほとんど知っている。あの離れで、私付きの者だと言われた人たち。最初から最期まで、私を女主人とは認めてくれなかった。調理人の顔は知らないけれど、きちんとした料理は離れで食べたことがない。
「集められた理由がわかる者はいるか」
フェルディナント様が、全員の顔を見回しながら問う。侍女たちは、戸惑っているみたい。
「わからんか。どちらでもいい。お前たちは今日をもって解雇する。紹介状を書く気もない。さっさと荷造りをして消えろ」
――え!?
「ど、どうしてでございますか!?」
ざわつく人々の中で、一人が声を上げた。この人は、昨日も会った……侵入者のほうへ私を突き飛ばして、逃げた侍女。
フェルディナント様が、冷たい目線を向ける。
「我が妻を軽んじる者だからだ。アデライードが嫁いでくると決まったあと、ここにいる者は何かしらの不満を漏らした。家令に命じ、お前たちが宿舎で休んでいる合間も見張らせ、少しでもアデライードに敵意を向ける者を洗い出した」
「そ、そんな! 誤解でございます! わたくしは決して、そのような」
「信頼できる者の報告だ。――私自身、見聞きしたこともある。お前も、『王都の何も知らない小娘が来る』と言っていたな」
侍女が言葉に詰まり、ほかの人々も静かになる。
「妻を侮辱する者など、この城には不要だ」
「お、お待ちください! たしかに、失礼を申し上げたこともございます。ですが、奥様にお会いする前に、噂を真に受けて愚かなことを……ほんの少し、口にしてしまっただけで! 今後は決して、そのようなことは」
「噂か。王家の血縁である侯爵令嬢の噂と言えば、非常に美しく上品で、社交界でも一目置かれている。……私が知る噂はそんなものばかりだが、この城からほとんど出ない者が、ほかにどんな噂を聞いた?」
――フェルディナント様。私のために、侍女たちを調べて……?
「わ、わたくしは奥様に失礼を申し上げたことなど、ございません!」
ほかの侍女が転げるように走り出て、フェルディナント様の足元で訴える。
「何かの間違いでございます、ご主人様!」
「お前か。私が結婚しようと、いずれ自分が篭絡するのだと言っていたそうだな」
「……っ!」
この侍女は、知らない。フェルディナント様付きの侍女?
フェルディナント様の結婚を、苦々しく思っていたのね。こんな方に仕えていれば、夢を見てしまっても無理はないけれど……
「フェルディナント様、よろしいのですか。これまで、ここで忠実に仕えてきた人々では?」
私が声をかけると、途端にフェルディナント様のお顔が和らぐ。
「あなたは優しすぎる、アデル。今までどうあろうと、これからはあなたにも私同様に忠実であって当然だろう。この者たちは、あなたのために信ずるに値しない」
「ですが……紹介状もなく、では」
勤めていた貴族から紹介状をもらえなければ、その人は二度とどの貴族にも雇われない。「以前の主人が問題のある者とみなした」という証明になってしまうから。ほかの仕事を、探すしかない。
「それでいいのだ。事実、主人を裏切る者なのだからな。ハインリ、全員追い出せ」
「かしこまりました」
ハインリが頭を下げて、騎士たちが侍女や使用人を部屋から追い立てていく。その間にも、「ご主人様!」「旦那様!」「お許しを!」とフェルディナント様のお慈悲にすがろうとする人々が叫んでいたけれど、フェルディナント様は私の手をしっかりと握ったまま、無言で見送るだけだった。
「ハインリ、次の者たちを中へ」
ほかにも、何かあるの?
解雇された人々と入れ違いに入ってきた人たちは、整然と並んで全員頭を下げた。この侍女や使用人たちは?
「お前たちにも、改めて言っておく。アデライードは我が妻であり、この城の女主人だ。アデライードの命令は我が命令と心得、誠心誠意尽くせ」
使用人たちは深々と礼をしたまま、動かない。
「アデル、この者たちは人柄も含めて、身辺調査を行った。信用できる者たちだ。だが万一おかしなことを言われたりされたりしたら、私に言ってくれ」
フェルディナント様が、私の手をきゅっと握り直した。
「何者からも、あなたを守る」
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今日は4話まで更新予定です。
次回一行予告:女主人と認めていただいた。




