2.二度目の初夜
結婚式後、祝宴は開かれなかった。
私が歓迎されていないからではなく、常時隣国を警戒しているヴァルデック家では、城内で華やかなパーティーを開いたりしないのだ。それは以前も同じだったけれど……
湯浴みを済ませ、ローブを着て寝室に案内される。離れではなく、本館の二階の部屋。
豪華な寝室も、天蓋付きの大きなベッドも、以前の初夜とは雲泥の差だわ。
「こちらでお待ちください。では、おやすみなさいませ」
侍女が頭を下げて出ていき、私は広い寝室に一人残された。……ベッドに腰掛けると、嫌でもあの初夜を思い出す。私を拒んだ、フェルディナント様が目も合わせずに寝室を出ていかれたことを。
あの夜は涙を堪えて、ベッドで身を縮めて休んだ。
この夢は、いつまで続くのかしら。
式では別人のようだったフェルディナント様は、ここではどうなさるのだろう。
ため息をついた時、扉をノックする音が聞こえた。
「アデライード。入ってもよろしいですか?」
フェルディナント様の声。
「はい……どうぞ」
「失礼いたします。遅くなりました」
扉を開けて入室してきたフェルディナント様は、私同様にローブを着ている。いえ、私の薄手の服とは違って、厚手のものね。首からたくましい胸元が見えていて、目をそらした。
三年、この方とは夫婦でいたのに。名ばかりの妻で、こんなお姿を見たことがなかった。
フェルディナント様は私に近づいてくると、隣に座った。
「緊張していますか」
「あ、ええ、少し」
「無理もない。あなたは、まだ十八だ。七歳上の、しかも戦いに明け暮れている無骨者では釣り合わない。こんな辺境まで、よく来てくださったと感謝しています」
――こんなに優しいお言葉を、フェルディナント様に言われたのは初めて。
「どうしても怖いのであれば、今後は無理なさらずとも結構です。ただし今宵は初夜なので、我慢していただくしかないのですが」
「……そんな。私は、フェ……辺境伯様に、嫁いだ身です。妻の務めは果たしたいと思っております」
「嬉しいお返事だ。できれば、名前で呼んでいただけますか」
「は、はい。フェルディナント様」
俯いたままではいけない、と横を窺うと、フェルディナント様はじっと私を見下ろしていた。
「アデライード……あなたのことは、アデルと呼んでも構わないでしょうか」
私をアデルと呼んだのは、優しかった祖母だけ。胸がきゅっとなる。
「どうぞ、お好きにお呼びください。その、敬語もおやめになって」
言いながら、また顔を伏せた。どうしたらいいの。嬉しさと戸惑いが同居して、混乱してしまう。
「では――アデル。女神に誓った通り、私はあなたを必ず幸せにする。そう決めている」
そんなはずがないわ。だって。
「嘘でしょう。あなたは、私をお嫌いだったはずです!」
思わず叫んでしまった。あまりにも、私の知るフェルディナント様と違うのだもの。三年以上、顧みられることがなかったのに。
「――なぜそんな風に思われているのかわからないが、私はあなたを嫌ってなどいない。むしろその逆で……あなたはおそらく、私のことを知らなかったと思うが……私は以前から、あなたを知っていた」
「私を、ですか?」
驚いて顔を上げたら、薄闇に琥珀色の瞳が光って見えた。
「二年前、王都で行われた王太子の成婚記念式典に出席した時だ。その折に、あなたを見かけた。……なんと美しい方だろうと見惚れてしまって、声もかけられずじまいだったが」
今度はフェルディナント様が、恥ずかしげに視線を落とした。
「だから、この縁談は私には夢のような話だった。まさか、あなたを我が妻に迎えられるとは」
そんな。それならどうして、以前は……以前。
今この時が夢ではないの? あれが夢だったの? 何がなんだか理解できない。
「フェルディナント様は、私を妻に望んで……くださっているのですか」
「そう、だ。あなたにとっては、政略結婚にすぎないのだろうが」
きっぱりと肯定されてしまった。三年前、フェルディナント様が私を望んでいたわけはない。死ぬ前の、あの世界なら。
「私は子供の頃から、いずれ家のために嫁ぐことになると思っておりました。そのことに不満はございません」
――それが侯爵家の娘の務めと、言われて育った。
もし……もしも、この夢が本当なら。今度こそ、妻として私を受け入れてくださるのなら。
「私を、妻として……愛して、くださいますか」
ゆっくりとこちらに向き直った、琥珀色と目が合った。
「私はあなたを愛している。アデル」
「……フェルディナント様」
「信じてほしい。――できる限り、優しくする」
フェルディナント様の両腕に、私の体は包むように抱きしめられた。壊れものを、そっと胸に抱くように。
アデル、と耳元で囁く声を聞きながら、私は両目を閉じた。
* * *
鳥のさえずりが、微かに聞こえる。ああ、朝なのだわ。
「ん……」
「お目覚めか?」
その声で、寝起きのまどろみは吹き飛んだ。目を開けた私を、隣で横になっているフェルディナント様が、笑顔で見つめている。
「お、おはようございます」
「おはよう。体はどうだ? 具合は悪くないか」
頬を撫でられ、大きな手のぬくもりに昨夜の出来事が思い出されて、顔が熱くなってしまった。……本当に、優しくしていただいた。
「大丈夫です……」
「そうか。では私は先に起きるが、すぐに侍女を来させる。湯浴みと食事の用意をさせよう。動くのが辛ければ、しばらくこちらで休んでいても構わない」
「は、い」
ぎこちない私の答えに、フェルディナント様はふっと笑って、ローブを纏うと寝室を出ていった。……昨日入ってきた扉のほかに、部屋の左右に別の扉がある。フェルディナント様が行かれたのは、きっとご自分のお部屋ね。逆側は……私の部屋?
体を起こすと、だるさと下半身の鈍い痛みがあった。
一晩経っても、夢から覚めない。
いえこれは――夢ではない。体の痛みに、現実だと知らされる。信じられないけれど、私は過去に戻った。フェルディナント様と結婚した、あの日に。
侵入者に殺された。けれど戻って……
しかもフェルディナント様が、私を本当の妻にしてくださった。あんなにも冷淡だったあの方が、二年前に私を知ってずっと想っていたと……
やはり納得できないわ。二年前に私を気に入ってくださっていたなら、どうして戻る前は冷たくされていたの?
ここは過去の世界ではない。きっと、別の世界。フェルディナント様が私を想ってくださる、優しい世界に私はやってきた。
「女神レグリーア様。これは、あなた様のくださった奇跡でしょうか」
私は両手を組んで目を閉じた。
「私の不幸を、憐れんでくださったのだとしたら――感謝申し上げます」
そうしているうちに、扉をノックする音と「奥様、おはようございます」という侍女の声がした。
* * *
ベッドの上に温かな食事が運ばれた。スープにパン、ハムとオムレツ、サラダ、紅茶、フルーツまで。こんな朝食も、いったい何年振りなのか。
食べきれなかったけれど、とても美味しい。残したのが申し訳ない。
「私は小食の質なの。明日からはもう少し、少なめでお願いできるかしら」
「かしこまりました、奥様」
頭を下げた侍女は、マイラと名乗っていた。私より少し年長に見える。この侍女は、見覚えがない。
以前の世界ではいなかったか、本館に勤めていて顔を合わせる機会がなかった人ね。
「お食事がお済みでしたら、湯浴みをいたします」
「ありがとう」
丁寧に世話をされて、さっぱりした。……体のあちこちにある痕を見られるのは、恥ずかしかったけれど。
着心地のいいドレスは、王都で来ていた普段着より上質の絹だわ。辺境伯領には、鉄鉱山がある。たしか質のいいもので、この領地の特産でもあったはず。戦闘が多く、王家の褒美を置いておいても、領地が豊かなのはそのせいね。
身支度を終えると、改めてマイラに案内された。
「こちらが、奥様のお部屋になります。寝室を挟んだ反対側が、旦那様のお部屋です。それぞれに個別の寝室もございますが、旦那様とお過ごしの際には、昨夜と同じ真ん中の寝室をご利用ください」
私の部屋。明るい室内には、北方では珍しい白薔薇が花瓶に飾られている。窓際にソファーと椅子があって、ものを書く際に使う机と椅子もしっかりしているわ。壁に掛けられた色鮮やかなタペストリーは、新しいものに見える。
女主人のために、用意された部屋……そう思えた。
この部屋もフェルディナント様のお心遣いなのか、本来の辺境伯夫人が受けるべき待遇なのか。
「奥様、旦那様がお呼びでございます。お疲れでなければとのことですが、いかがなさいますか」
「あ……ええ、行くわ」
フェルディナント様。……お顔を見られると思うと、嬉しくなってしまう。
ずっと月に一度しか会えなかった方に、これからは毎日お会いできるの?
私は侍女と護衛騎士に囲まれて、本館一階の部屋に足を運んだ。
ふと見た窓の外は、陽射しが眩しく、いい天気だった。
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今日は4話まで更新予定です。
次回一行予告:使用人に対する粛清。




