番外編.当たり前ではない幸せを 【最終回】
「今年も豊作のようね」
「例年通りで、もはや豊作が通常の状態でございます」
収穫量の報告を受けて、アデルとハインリが笑顔で話し合う。
アデルの「聖女の力」のおかげか、ヴァルデック領の農地は豊かな実りに恵まれ、アデルが来てからの十年間悪天候による問題も起こっていない。
レグニア王国全体も近隣諸国に比べてかなり安定した農業経営ができており、さらに鉄鉱山の収益が大きなヴァルデック領は、今や国内有数の富める領地だ。戦争の恐れが少なくなった分騎士団は多少縮小したが、商会の護衛団が大規模になっている。A&F商会の護衛は非常に強固で、取引先の商会の護衛依頼もあるほどだ。当初は断っていたが、商会同士が安全に取引できれば国内の安定、平民の生活向上にもつながる。そうアデルに言われて護衛団を派遣するようになってから、たしかに地方同士の交流も活発になり、治安もよくなった。
ヴァルデック騎士団は国の守護者たれ。俺が幼い頃から言われてきたことは、別の意味で順守できているようだ。
「来年の予算は……」
「ははうえー!」
執務室の扉がいきなり開いて、小さな息子が飛び込んできた。
「まあ、レオン。どうしたの」
ソファーに座るアデルの許に一直線に駆け寄り、ぴょんとその膝の上に飛び乗る。
「おべんきょうがおわりました! レオンハルトはおやつのじかんなので、ははうえもごいっしょにいかがですか!」
「あら、もうそんな時間なのね。ではハインリ、少し休憩でいいかしら」
「もちろんでございます。午後のお茶は、こちらにお運びいたしましょう」
……アデルもハインリも、レオンハルトが現れると何をしていても笑顔になる。特にアデルは、まさに女神の微笑みだが。
「レオンハルト、父にも挨拶をしてくれないかな」
「あっ、ちちうえ、しつれいしました」
自分を小さくしたような六歳の息子が、舌っ足らずに言って頭をひょこっと下げる。
「ふふ、よくできました。いい子ね、レオン」
アデルに頭を撫でられて、ふにゃふにゃの笑顔で甘えられると、どうにも居心地が悪い。顔立ちも黒髪も瞳の色も俺によく似ているものだから、俺自身がアデルに甘えているのを見ている気になる。
さらに、アデルがレオンハルトにとにかく甘い。誰にでも優しいが、息子は格別で、しかもやはり「あなたにそっくりだから、余計に可愛くて」と言う。
――レオンハルトの出産は、俺の心配をよそに安産だった。アデルは産後の肥立ちもよく、かつて子供とアデルの二人を亡くした記憶があるだけに、どんなにほっとしたことか。涙まで見せてしまって、侍女や医師に「ご主人様は、よほどお子様のご誕生が嬉しいのですね」と言われた。
元気な子供が生まれたのは嬉しい。だが何よりも、アデルを失わずに済んで安心したのだ。もう大丈夫なはずだ、ドラッヘンの呪いは打ち破ったのだと自分に言い聞かせても、実際に出産までは気が気ではなかったから。
しかし、元気でいい子ではあるのだが……アデルはもう少し、後継者のレオンハルトに厳しさを見せてもいいと思う。
「レオンハルトもそろそろ、木剣で訓練を始めていい頃ではないか?」
「ぼっけん?」
「こんなに小さな子に訓練だなんて。まだいいでしょう!」
きょとんとするレオンハルトをしっかり抱いて、アデルが俺に非難の目を向ける。
「俺は五歳の頃から鍛えられたのだが」
「あなたが子供だった頃と今では事情が違います! 戦時中でもないのに、剣の稽古だなんて……十歳を過ぎてからで十分ですわ」
……これだ。アデルの言うことも一理ある。あるが、レオンハルトには少しでも危ないことはさせまいとする。
「少々甘すぎないか、アデル」
「フェルディ様こそ、厳しすぎます! こんなに可愛いレオンに、木剣なんて持たせたくありませんわ」
「ははうえー?」
「はいはい。大丈夫よ、レオン。母上が守ってあげますからね」
いやいや。レオンハルトは六歳児にしては体が大きい。剣を習い始めるのに、早すぎるとは思わない。それも俺に似たせいだと思うが、アデルにとっては「可愛い私のレオン」が行きすぎている。
領主の後継者としては……と言おうとしたところで、ハインリが呼んだ侍女がティーセットを運んできた。
午後のお茶のあと、アデルとレオンハルトは庭を散歩しに行った。俺は一人、執務室で書類の整理だ。
はあ。レオンハルトもアデルも大切な家族なのだが、アデルはレオンハルトが生まれてから俺を放置していないか?
レオンハルトが生まれた時……
『元気な男のお子様でございます』
侍女が抱いた小さな赤子。
『アデル、本当によく頑張ってくれた……』
『ええ……嬉しいですわ。見てください、フェルディ様にそっくり……』
二人で涙して喜んだのだ。
執務室の椅子から立ち上がり、窓の外を見る。ちょうど前庭の花壇を、アデルとレオンハルトが眺めていた。
十年……記憶の上では、二十年ほどになるのか。アデルを妻として、最初の式を挙げた日から。
あの日夢見た光景が、今眼下の現実になっている。
「大人げない、か」
俺は自分の狭量さを反省した。
平和な日々を過ごし、いつの間にか幸せを当たり前のように考えてしまっていたらしい。
しかし、寂しいことは寂しいんだ、アデル。
情けない夫で済まない。
※ ※ ※
最近アデルはレオンハルトを寝かしつけて、そのまま一緒に寝てしまうことが多い。今日も一人寝かな、と考えていると、寝室をノックする音がした。
「フェルディ様、よろしいですか」
「……無論だ、アデル」
「失礼いたします」
アデルが静かに寝室へ入ってきた。
「レオンハルトは?」
「もう夢の中ですわ。午後に騎士団の訓練場を見たいと言って、遊んでいただいたものですから疲れたのでしょうね」
「騎士団の?」
アデルは頷いて、ベッドに腰かけている俺のすぐ横に座った。
「自分も強くなりたいと申しておりました。剣術に興味があるようで……フェルディ様の言う通りなのかもしれません。あの子は、フェルディ様の後継者なのですから」
「……アデル」
「ほんの少し、寂しいのですけれど。剣の稽古について、考え始める時期なのでしょうか」
俺はアデルの肩を抱き寄せた。
「レオンハルトが学びたいのであれば、やらせてみよう。やってみて本人が気に入らないのなら、もうしばらくは遊んで学んで……健康でいてくれればいい」
アデルの頭が、俺の胸に寄りかかる。
「そう、ですわね。あの子の好きなように、させてあげましょう」
「――それから、もう一つ、提案なんだが」
「なんですの?」
顔を上げたアデルの頬を、そっと撫でる。
「レオンハルトは、俺によく似ている。あなたに似た妹でも生まれれば、きっと喜ぶと思うのだが」
「それは……」
「そろそろ、いいのではないか? レオンハルトもさして手がかからなくなってきただろう」
二人目の子はできないのではない。「その時期」には、アデルは俺とは寝室を別にしている。俺が以前の記憶を失っていた三年の間は、アデルが呪いから俺と領地を守ろうと聖女の力を使っていたために、妊娠できなかったのだとあとで聞いた。
俺は何も知らず、「奥方にお子が望めないようであれば、側女を置かれてもいいのではないですか」とお節介な忠告をしてきた者は遠ざけた。アデルが子を産めないなら、親戚から後継者を迎えればいいと。
呪いが解けると、すぐに子ができた。いや……正確には、呪いが解ける直前にできていたのだな。あれは、アデルにとって無意識の賭けによるものだったのだろうか。今度こそ呪いを解いて、子を成すのだと。
そして無事にレオンハルトが生まれた。もう何も恐れるものはない、と思う。レオンハルトを乳母に任せっぱなしにしたくないと育ててきたアデルは、二人目ができないようにしていたようだが。
「……私に似た子とは限りませんし、また男の子かもしれません」
「それならそれで、頼もしい息子が増える。いずれにせよ、レオンハルトにもいいことだ」
「フェルディ様は、どちらのほうがよろしいのですか?」
「どちらでも。あなたと俺の子なら」
そう、幸いにして一人目で後継となる男子に恵まれたが、女でも構わない。
「ただ……子供が増えても、私が一番愛するのはあなただが。あなたは、レオンハルトのほうが大事なようだな?」
「なんてことをおっしゃいますの。……私だって、フェルディ様より大切だなんて……比べられません、どちらも大切ですもの」
俺が一位ではなく同率か。それは仕方がないところかな。
アデルは自分の両親に愛されなかった分、子供には惜しみなく愛を注ぐ。俺は厳しく育てられたが、愛されてもいた。
家族の愛を与えるのなら、夫の俺だけよりも子が多いほうがいいように思う。しかし、産むのはアデル当人だ。無理はさせたくないが。
「でも――そうですわね。レオンハルトにも、弟妹がいたほうが……いいでしょうか」
アデルが頬を染めて、また俺の胸に顔をうずめる。
「あなたがそう思うなら、きっとまた子供に恵まれる。あなたには、女神の祝福があるのだから」
「私たちには、ですわ」
そうだな。答えの代わりに、唇を重ねた。
※ ※ ※
甘い時は、そう長くは続かなかった。アデルは決心したあと間もなく懐妊した。
また、ライバルが増えてしまうことにもなるが……だが、その子も愛しい子だ。俺にとってアデルの次であっても。
生まれた娘がアデライードに似ていたため、今度は娘に激甘なフェルディナントにアデライードが少々寂しい想いをすることになるのだが、それは一年ほどあとのこと。
一人の息子と三人の娘に恵まれたヴァルデック一家は、その後も凶作知らずの領地を治めて長く栄えることとなる。
神殿の祭壇には、のちのちまで剣が飾られ続けたが――その聖剣の声を聞く者は、二度と現れなかった。
(完)
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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これにて、この小説は完結です。
番外編までお付き合いいただいた方々には、感謝いたします。
本当にありがとうございました!




