15.人の恨みと神の呪い
領地に戻ってまもなく、王都の執事からブリギッテに関する報告書が来た。
『該当するブリギッテなる侍女の存在は、エーデルシュタイン領の侯爵城内では確認できませんでした。現在侯爵様の領地にいる管理人がわたくしの知り合いにて、たしかな情報と思われます。ただし、紹介者はエーデルシュタイン侯爵ご本人となっております』
――やはりそうなのね。私は結婚前の数年領地に帰っていなかったけれど、その前にもブリギッテなんて侍女はいなかった。その後短期間雇っていた可能性もあるかもしれないと思ったものの、そうではないということ。
つまり、お父様が「自分が雇っていた」と偽って紹介した……そして、一年ほどでこのヴァルデック領に来た。
報告書を読み終えると、私は寝所に向かった。
寝所に入ってすぐ、フェルディ様もやってきて私の顔を覗き込む。
「何か、考え込んでいたようだな」
「大したことではありません。先日の、商談に関する些事ですわ」
フェルディ様には、まだ言えない。怪しいと言っても、ここでのブリギッテは忠実に働く侍女。
ふう、とフェルディ様が深い息を吐いてベッドに座った。
「どうかなさいまして?」
「いや……騎士団はこれまでで最も強く、士気も上がっている。だが、戦いはできるだけしたくないものだ。倒した相手にも家族がいるのだからな」
家族が……
不意に、昔の記憶が浮かび上がってきた。何年前だったか、お父様がドラグニアから密輸をしている商人に会おうとしていたのを、国王陛下への背信行為だと必死に止めたわ。休戦状態で敵国であるドラグニアとの取引なんて、お父様が王家の血縁であっても陛下に知られたらただでは済まない。
それがもし、今になって密輸に手を染めていて――ブリギッテもそれに関わっていたら。北方の訛りは、ドラグニア国の発音にも近い。彼女がひそかにドラグニアからやってきた人間で、ヴァルデック家に……フェルディ様に、なんらかの恨みを持っていたとしたら?
すべてがつながる。
ぶる、と思わず寒気がして私が震えると、フェルディ様に肩を抱き寄せられた。
「風邪をひいたのか?」
「いいえ、ほんの少し寒くて」
琥珀色の瞳と、目が合う。
「――では、温まるとしようか」
……フェルディ様。
絶対に――お守りいたします。愛する、あなたを。
※ ※ ※
証拠はない。当人を、揺さぶってみるしかないわ。
客間の掃除を終えたブリギッテが、廊下を歩いてくる。偶然を装って通りかかると、脇に退いて頭を下げた。
「ご苦労様、ブリギッテ」
「恐れ入ります、奥様」
丁寧で礼儀正しい態度。でも、発音はやはり北方訛り。南方出身ではありえない。
「先日、王都のヴァルハイト伯爵夫人のお茶会に招かれたのよ。あなたは、あの家から紹介されたのだったわね。ここに来て、何か不満はないかしら?」
「とんでもないことでございます。ご立派なご主人様と、お優しい奥様にお仕えできて幸せ者でございます」
「そう?」
「もちろんでございます」
多少話した程度では、ぼろは出さないわよね。エーデルシュタインの名を出したほうがいいかしら。――いえ、急にそんな話までするのは不自然だわ。
「邪魔をしてしまったわね。いつもありがとう、もう行きなさい」
「いいえ、奥様」
一瞬顔を上げて……
「では、失礼いたします」
礼をして、ブリギッテが去っていく。
目が合った時……まなざしが鋭かった。口元は笑んでいたのに。
彼女は、やはり何か……
『エーデルシュタインを呪うドラッヘンは、ドラグニア王国内の人間に影響を及ぼす。邪神であろうと神ゆえに』
その時、天啓のように聖剣の声が聞こえた。
幻聴では、ない……!
「――女神レグリーア様。どうぞ、お守りください。私は、私にできることをいたします」
私は祈った。なすべきことをして、敵を迎え撃つために。
そして、遂にあの日がやってきた。
私が死んだ日。フェルディ様が、私をかばって亡くなった日が。
※ ※ ※
ヴァルデック城が静かな朝を迎え、穏やかに時が流れた昼過ぎ。周囲をはばかるように、一人の侍女が城壁付近へ動く。
「ここで何をしている?」
赤毛の侍女、ブリギッテがはっとなる。フェルディナントを筆頭に、騎士団が彼女を素早く取り囲んでいた。
「な……なんのご用でございましょう、ご主人様」
「聞いているのはこちらだ。本館で勤める侍女が、裏側の城壁までなんの用があって来ている?」
「申し訳ありません。少しだけ、散歩を」
「わざわざ人のいないこんな場所まで、か」
「――なんでもございません。では、失礼を……」
早足で騎士の間を通り抜けようとするが、さっと動いた騎士に阻まれる。
「お前は、何者だ」
フェルディナントの声に、ブリギッテは深々とお辞儀した。
「ただの侍女でございますので。仕事に戻ります」
背を向けて走ろうとしたかと思いきや、すぐさま身を翻し、フェルディナントに突進してくる。
フェルディナントは剣を隙なく構えていたが、ブリギッテの動きが止まった。右肩を、矢が射抜いている。フェルディナントが見上げた城壁の上から、射手が弓を射っていた。
フェルディナントは射手に軽く手を挙げ、側にいた騎士がブリギッテに近づく。倒れかかって両膝をついたブリギッテの手には、短剣が握られていた。騎士は剣をブリギッテの首に突きつけつつ、短剣を取り上げる。
「四・五年前から雇っていたはずだが、俺を狙っていたのか」
フェルディナントの言葉に、ブリギッテはゆっくりと顔を上げた。その目には、怒りが満ちている。
「お前が……お前が、あの人を!」
「あの人?」
「人殺し! あの人を返せ!」
騎士たちは素早くブリギッテを縛り上げた。
「尋問いたします」
「ああ、頼む」
「人殺し! 人殺しーっ!」
騎士に連行されていく間も、ブリギッテの叫びが木霊する。
アデライードは城壁の上にいた。射手に「ブリギッテがおかしな動きをしたら即射るように」と命じて、その側で一部始終を見ていた。
(……人殺し。おそらくは、フェルディ様に倒されたドラグニア兵の関係者ね。あそこまで恨んで何年も潜んでいたとしたなら、恋人か夫……かしら)
内通者がほかにいなければ、これで問題はない。フェルディナントはアデライードに気づき、再度手を振ってきた。アデライードも、手を振り返して城壁を立ち去る。
フェルディナントが力なく発していた言葉が、脳裏をよぎっていた。
(戦いはできるだけしたくないものだ。倒した相手にも家族がいるのだからな)
どちらに正義があるにせよ、命が散るのは罪深いものなのだ。
※ ※ ※
私は神殿の中にやってきた。
ブリギッテの叫びに、フェルディ様を失った時を思い出す。
そう、私が逆の立場であったなら。あの時彼を剣で貫いた敵を、許すことなどできない。
……でも。
憎しみが憎しみを呼ぶのは、間違っているわ。だからこそ、女神はエーデルシュタイン家にこの聖剣を残してくださったのではないかしら。
祭壇に飾られた聖剣の前に立ち、両手を組む。
「女神レグリーア様。あなた様は、邪神ドラッヘンをどのようなお気持ちで退けたのでしょうか。人とは比べられぬ存在ではありますが、ドラッヘンが滅び、この国に祝福を授けたあと、なぜ消えてしまわれたのですか」
女神レグリーアは邪神を倒したあと人間を残し、異世界へ去ったと神話には記されている。
『エーデルシュタインの子よ、我を持て!』
その声に、私ははっと顔を上げて聖剣を見た。
『まだ終わっておらぬ!』
※ ※ ※
フェルディナントは騎士団を引き連れ、城壁の外に待機していたドラグニア兵を見つけて撤退を促していた。
「内通者は捕らえた。侵入は不可能だ。それでもまだ、ここで戦うか?」
敵兵は黙り込んだまま、武器を向けている。
「王への伝言を頼みたい。――休戦ではなく、平和条約を結ぶべき時ではないのか? 我がヴァルデック領は豊かになった。軍を重宝するドラグニアといえど、何度戦いを仕掛けて散ったのか。この先は、さらに無駄に血を流すのみだ」
「……我らは、王のご命令に従うのみだ」
「だから戻れと言っている。このヴァルデック騎士団ある限り、国境は守り抜く。ドラグニアの国王も理解できないわけがあるまい」
兵を束ねているのであろう、隊長らしき男は迷っているようだ。その後ろに控えていた騎士が、足を踏み出す。
「敵の言葉に惑うなど、ドラグニアの兵にあらず!」
「ぐわっ!?」
騎士は自らの隊長に斬りつけ、フェルディナントに向かってくる。フェルディナントは剣で防ぎ、敵の攻撃を押し返そうとする。
「すべて、滅びるのだ……レグリーアに祝福された者など、何もかも消えよ!」
目を血走らせて剣を押し込まれ、フェルディナントの剣が折れた。
「何っ!?」
「うらあああっ!」
騎士の動きを横に飛んで避け、フェルディナントの部下も剣を振るうが、人間とは思えない速さでさばかれる。
「な……なんだ、こいつは!」
「フェルディ様!!」
アデライードの声と同時に、光が飛んでくる。フェルディナントはとっさにその柄を掴み、敵の剣を薙ぎ払った。
今度は、敵の剣が折れて吹き飛ぶ。
フェルディナントの持つ聖剣が、光り輝いた。
「――貴様か、ドラッヘン! これで終わりにしてやる!」
フェルディナントは両手で柄を握りしめ、目の前の騎士の胴を鎧ごと貫いた。
その瞬間、世界が真っ白になった。
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※毎日20時頃更新予定です。次回本編最終話となります!
次回一行予告:終わりから始まる時。




