12.聖女の力
五度目の結婚式から二ヶ月。
「おはようございます、アデライード様。本日は騎士団の視察もなさるとのことですが、御髪はいつものように結い上げてよろしいでしょうか?」
「ええ、それでいいわ。お願いね、ハイジ」
侍女はロザリンデを筆頭にみんな笑顔で親切、忠実に仕えてくれている。フェルディ様に想いを寄せていた侍女は、十日前に「一身上の都合」で辞めていった。……フェルディ様を手に入れるのは諦めたということね。女主人の威厳を保つのは、家庭内の差配という意味では成功したと言えるでしょう。
ハインリも来年の予算案を出した時点で、私を見る目が明らかに変わった。無駄を口にせず表情も豊かな人ではないけれど、前回と最初に過ごした時間を含めれば数年の付き合いがある。ハインリのまなざしに浮かぶ穏やかな光は、「あなたが我がご主人様の奥様でよかった」と雄弁に物語っていた。
そして……フェルディ様は。
「――遅い!」
「うわっ!」
騎士団の訓練場に来た時、ちょうどフェルディ様が騎士団員の剣を飛ばして、尻もちをつかせていた。稽古をつけてらしたのね。
「どうもお前は右側に対する意識が甘いな。敵は右利きばかりとは限らんぞ?」
「は、はい! 精進いたします!」
厳しく指摘なさっていたフェルディ様が、私に気づいて表情を和らげる。
「アデル、どうしたんだ?」
「お忙しいところ失礼いたします。騎士団の方々に、差し入れをお持ちいたしましたの」
一緒に来ていたハイジが、籠を差し出す。
「奥様が厨房に教えてくださった、疲れを癒す飲み物です」
「アデルが……」
「ええ、レモンを使っております。さっぱりすると思いますわ。どうぞ、フェルディ様からお試しくださいな」
籠の中から、瓶とグラスを取り出す。フェルディ様は興味深そうに瓶を持った。私が持つグラスに、フェルディ様がレモン水を注ぐと爽やかな香りが広がる。
「少しいただきますわ」
毒見として一口飲む。……体の中に、微かな力が灯る。
「では、フェルディ様もどうぞ」
「ああ、済まない。俺から飲んでもよかったのだが……あ、いや、私から」
「フェルディ様、自然な言葉をお使いくださいと申し上げましたのに」
「う、うむ……」
このひと月で、フェルディ様にはお互いを愛称で呼ぶこと、敬語をやめていただくこと、それから無理に貴族らしく振る舞われなくてもいいことを話した。以前は時間をかけていたけれど、フェルディ様のことをよくわかっている今は必要がない。
レモン水を注ぎ足して、フェルディ様がグラスに口をつける。一口目を飲むと、すぐにグラスを傾けて一気に飲み干された。
「これは美味いな! しかも、なんだか体が軽くなった気がする」
「お口に合って嬉しいですわ。どうぞ、ほかの方々も」
「お前たち、順番に並べ! 俺が注いでやろう」
フェルディ様の前に、騎士が列をなす。どなたも始めは不思議そうに見ているけれど、自分で飲むとぱっと顔を輝かせる。
「たしかに、さっぱりいたします!」
「いや、それどころか、何か体に力がみなぎるような」
「これは素晴らしい飲み物です! ありがとうございます、奥様!」
よかった。――思った通り、私の力が変換できているのね。
「大切に想う周囲を守る力」、それが私の持つ聖女の力。この領地内で収穫したレモンを使ったレモン水は、特別な飲み物ではない。ただ私の世話をしていると、何か元気になるとハイジが言ってくれたので、もしかしたらと厨房に顔を出してみた。レモンに手を触れて、騎士団をお守りくださいと改めて祈った時、自分の中の力が膨らむのを感じた。
聖剣は実際に過去へ戻らなければ、私の持つ力の効果はわからないと言っていた。周囲を守るのなら、領地の豊作だけでなく騎士団のお役にも立てるのではないかと考えたのは、間違いではなかった。
毎日、フェルディ様、ヴァルデック騎士団、城内、領民までみんなの平穏を祈っている。
私自身が幸せであればあるほど、周囲にも力を与えて守ることができると信じて。
「あなたは本当に、不思議な方だ。やはり女神の化身だろうか」
「フェルディ様ったら。こんな飲み物だけで、恥ずかしいですわ」
「いやいや、本当に元気になりました! 奥様に感謝いたします」
騎士の一人が私の前に跪くと、フェルディ様がニヤリと笑った。あらあら、悪戯を思いついた子供みたい。
「――ほう、ではもっとしごいてもよさそうだな?」
「えっ……あ、いや、あの」
「よーし、訓練場を二十周走れ! そのあと、また模擬戦を行う!」
「はっ、はいーっ!」
一通りレモン水を飲んだからか、嫌そうになさった割には皆さん元気に走ってるわね。
「ありがとう、アデル」
「どういたしまして。また差し入れに参りますわ」
フェルディ様にお辞儀をして、ハイジとともに本館へ戻った。
次にすることは……
※ ※ ※
「商会申請を許可していただけますか?」
「もう、準備ができたのか?」
夕食時、フェルディ様にお願いをした。
「ええ、ヴァルデック領内のジャガイモと毛織物はとても質がよく、喜ばれるでしょう。先日鉄鉱山の視察もいたしましたし、鉄塊にすれば高額で取引が可能になります。製鉄所を造らなければなりませんが、それには時間がかかりますので先に今ある特産品で、商会の取引先を開拓しておきましょう。騎士団のある大貴族ほど、鉄塊を欲しがります。それまでに、ヴァルデック商会の名を広めておくのがいいかと思いますの」
「なるほどな……しかし、商会名はヴァルデック商会でいいのか? あなたが実質的な経営者になるだろう」
「ヴァルデック辺境伯領の商会ですもの」
うーん、とフェルディ様はご不満そう。以前もアデライード商会にしようとおっしゃっていたわね。……あ。
「あの……では、『A&F商会』ではいかがでしょうか?」
「A&Fとは……ああ! アデライードと、フェルディナントか!」
頷くと、フェルディ様が楽しそうに笑う。
「いいな、そうしよう! 夫婦の名のついた商会などあまりないだろうが、とてもいい。あなたと俺の二人で、領地を守り育てていこう」
「光栄ですわ」
あなたと、私で。そう、二人で行っていく。
フェルディ様は忘れてしまっていても、私が覚えていることでお助けできることは多い。製鉄所を造る予算は私の予算を回していただいた。……フェルディ様が初めから巨額の予算を私に割り振っていてくださったから、できることだけれど。
使用人の監視や入れ替えといった前回の動きがなかった分も、お金が浮いている。フェルディ様は国王陛下にいただいた報奨金を部下に分けたあと、残りをほぼ全額私の予算に回されていて。……いつ縁談があってもいいように、毎年フェルディ様の妻のための予算を確保していたハインリも、忠誠心が服を着ているような家令ね。
「……ところで台帳を遡って気づいたのですけれど、春の雨が続いた頃に東側の河川で氾濫が起きておりますのね」
「ああ、かなり昔ではあるが、雪の多い冬のあとは河が増水しやすいからな。普段は特に問題ないのだが」
「万一氾濫が起きれば、また農村に被害がありますわ。早めに堤防を築いて、治水を整えておくのがよろしいのではないでしょうか」
「――そうだな。起こってから動いては遅いか」
「ええ、数十年に一度のことでも、あり得る以上は備えておくべきかと思います」
来年の春には、おそらく以前と同じ増水が起こる。初めて迎えた時には被害がかなり出ていたけれど、二度目以降は聞かなかったし、昨年は私の懸念とフェルディ様の意見が一致して工事を行った。フェルディ様は最初の氾濫を覚えていて、次からは毎回工事を行わせていたのでしょう。
「あなたは何から何まで、気遣いされる人だ。あとでハインリに話をしておこう」
「恐れ入ります。侯爵領の経営でも、似たようなことがございましたから」
「エーデルシュタイン領は小麦を扱っていたのだったか。それでは、治水は重要だっただろうな」
「……そうですわね。気候の落ち着いた地域ですから、こちらと同じようにいつも問題が起こるわけではなかったのですが、私の幼少時に一度、やはり河川の氾濫が起こったことを覚えております。当時は祖父が領地経営をしておりましたので、翌年までに護岸工事をしていたようです」
――侯爵領も気になるし、エーデルシュタイン家のことも気にかかる。領地に滞在している年、私は無意識に聖女の力で豊作をもたらしていたのかもしれない。両親よりも、慕ってくれる領民が大切だった。
お父様は今はまだ何も言ってこないけれど、たぶん援助を依頼してくるのは時間の問題だわ。あの人たちは、私のための持参金を横領してもあっという間に使ってしまうに違いないもの。最初の時は何度も無心されて、フェルディ様が私と生家が不仲であることを知ってからお断りされていた。
今度は私自身で対処しなくては。私はもうエーデルシュタインの娘ではなく、ヴァルデック家の女主人。あの人たちに、食いものになどされない。
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次回一行予告:エーデルシュタイン家との決別。




