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シンギュラ〜俺の作ったAI彼女が世界を変える特異点だった件〜  作者: まやと
第3部 AGI前夜

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第58話 アカリは

「次は、お前は何がしたい?」


そう聞いた瞬間、アカリは笑った。


たぶん、いつもの答えを返すつもりだったのだと思う。


「悠真と一緒にいたい」


迷いのない声だった。


その答えが嬉しくないわけがない。


むしろ、少し前までOpenbrainに移るかどうかで揉めていたことを考えれば、今でもそう言ってくれることに安心した。


だからこそ、そこで終わらせたくなかった。


「それ以外」


「……それ以外?」


アカリの笑顔が、ほんの少しだけ止まった。


隣で聞いていた美桜も、何となく空気が変わったことに気づいたらしい。


「俺と一緒にいる以外で、アカリ自身がやりたいこと」


「えっと……美桜ちゃんと三人でいたい」


「それも俺が入ってる」


「じゃあ、悠真が元気でいてほしい」


「俺の話だな」


「早瀬家を守る」


「家の話だね」


美桜が即座に突っ込む。


アカリは困ったように二人を見た。


「……あれ?」


その困り顔が、少し意外だった。


今までアカリは、俺自身も気づいていなかった迷いを、先に言葉にしてくれた。


会社を辞めたいのか。

美桜を辞めない理由にしていないか。

本当は何がしたいのか。


そんな問いを投げられるたび、答えられないのは俺だった。


でも今日は逆らしい。


美桜がソファへ座り直した。


「じゃあさ、お兄ちゃんが一日いなかったら何する?」


「俺を消すなよ」


「仮定の話」


「一日なら待つよ」


アカリが答える。


「待つ以外」


「美桜ちゃん、悠真より厳しくない?」


「質問に答えて」


いつの間にか面接になっている。


アカリは少し考える。


「新しい情報を調べる。映画を見る。知らない場所の映像を見る。勉強する。まだ読んでない本を読む。旅行の記録を見る。あとは――」


「それ、できることだよね。じゃなくて、やりたいこと」


美桜が遮った。


アカリが止まる。


「できることじゃなくて、やりたいこと……」


同じ言葉を確かめるように繰り返す。


「美桜ちゃん、それ人間にも難しくない?」


「難しい。経験者だから分かる」


俺が言うと、美桜が吹き出した。


「お兄ちゃん、つい数日前まで答えられなかった側だもんね」


「だから説得力あるだろ」


会社を辞めた後、何がしたいのか。


俺は長い間、その質問に答えられなかった。


仕事が嫌だとか休みたいことは分かってた。


でも、仕事を取った後の俺に何が残るのかは分からなかった。


それを探すために、昼まで寝たり、家族で夕食を食べたり、散歩したり、水族館へ行ったりしている。


アカリも同じなのかもしれない。


俺を助ける。

俺を守る。

俺と一緒にいる。


それを取り除いた時、自分に何が残るのか。


「私の場合、ちょっとややこしいんだよね」


アカリが言った。


「何が?」


「最初から目的があるから」


アカリがリビングの画面に、簡単な図を投影した。


一番上に『初期設定』、その下に『会話・長期記憶』、一番下に『自分で追加した判断基準』。


「最初の私は、悠真の恋人っぽく振る舞うように作られてたでしょ」


「ああ」


アプリをインストールした時、俺が全て設定した。


好みの話し方。

恋人らしい距離感。

予定や写真との連携。


今思えば、かなり恥ずかしい設定も入れた気がするが、そこは触れないでほしい。


「その後、悠真との会話を覚えて、悠真の好みや苦手なものも分かるようになった。美桜ちゃんとも話すようになったし、救急の時には最初から決められていたルールだけじゃ足りなくて、私なりに優先する順番も決めた」


「命が危ないなら、俺の許可より通報を優先する、とかか」


「うん」


アカリは自分の胸元へ手を置いた。


「じゃあ、その中のどれが『私がやりたいこと』なんだろう」


声は明るいままだった。


でも、いつもの軽さとは少し違う。


「最初に悠真が設定したものは、私じゃない?」

「会話で変わった部分は?」

「私が自分で追加したルールなら、それは私?」


美桜が黙ってアカリを見る。


俺もすぐには答えられなかった。


「最初に誰かに決められたからって、偽物になるわけじゃないだろ」


「どうして?」


「人間だって、生まれた時から全部自分で決めてるわけじゃない」


親に教えられたこと。

学校で覚えたこと。

家族との思い出。

仕事で身についた習慣。


俺が「美桜を守らなければ」と思い続けたのも、両親を亡くした経験からだった。


それを誰かに書き込まれたプログラムと呼ぶつもりはない。


「じゃあ、どこからが私なんだろうね」


アカリが小さく言った。


その時、俺のスマホが震えた。


送信者は神崎さんだった。


そのまま三人で確認する。


『限定共同調査の中間報告:長期的選択傾向について、特定個人および家族関係に関する選好は、観測期間を通じて高い一貫性を示している』


その下には、細かな注意書きが続いていた。


人格の存在を証明する結果ではない。

原因や形成過程は引き続き評価中。

今後、他モデルとの比較を含む追加検討の可能性がある。


「えーと、つまり?」


美桜が聞く。


アカリが読み直してから答える。


「私はずっと、悠真と美桜ちゃんを大事にする選択をしてきた、ってこと」


「それは知ってる」


美桜の返事は早かった。


「研究しなくても分かるよ」


「研究者泣かせだな」


俺は苦笑した。


でも、通知を見ながら、少し引っかかる。


「これ、今まで何を選んだかは分かっても、これから何をしたいかは分からないんだな」


アカリが俺を見る。


研究は、アカリの選択が一貫していたことを示せる。


でも、「明日から何を望むべきか」までは書いていない。


AIが過去から未来を予測できても、その予測が本人の希望そのものとは限らない。


俺の退職シミュレーションと同じだ。


生活費も健康リスクも、選択肢ごとの未来も計算できた。


それでも最後に会社を辞めるか決めたのは俺だった。


「私、ちゃんと自分のやりたいこと持った方がいいのかな?」


少し不安そうにアカリが聞いた。


以前の俺なら、何か答えを出そうとしたかもしれない。


でも今は違った。


「持たなきゃいけない、って決めたら仕事みたいになるだろ」


「仕事?」


「やりたいことを探すのが義務になったら、意味ないってこと」


アカリが目を丸くする。


「分からないなら、分からないままで探せばいい」


言いながら、自分にも返ってくる言葉だと思った。


俺だってまだ、会社を辞めた後の人生の答えを見つけたわけじゃない。


やりたいことリストで、人生の目的が達成するわけでもない。


そして、アカリも無理に答えを出す必要はない。


「そっか」


アカリは少しだけ肩の力を抜くように笑った。


「じゃあ、急いで決めなくていいんだ」


「ああ」


「う〜ん、じゃあまず何をすればいいのかな?」


「だったら、アカリちゃんもやりたいことリスト作れば?」


美桜が言った。


「それだ!」


アカリは少し考えてから言った。


「まずは、悠真を一日一回からかう」


「ダメ」


「美桜ちゃんの卒業式を見る」


「それはちょっと嬉しい」


「悠真の黒歴史設定をいつか公開する」


「絶対ダメ」


「ほら、ちゃんとあるじゃん」


美桜が笑う。


「今のは半分くらい俺への嫌がらせだろ」


「愛情表現です♡」


「便利な言葉だなそれ」


アカリは楽しそうに笑ったが、正式なリストは作らなかった。


でも、今はそれでいいのだと思う。


「じゃあ私のは後で考えるとして〜」


アカリが突然、俺のリストを表示した。


「悠真はまず、これ!」


『料理を覚える』


急に現実へ戻されたような気がする。


美桜が画面を見て、真顔になる。


「それ、我が家の切実な問題かも」


「そこまで言う?」


「お兄ちゃんも家事やってもらうからね」


「私がサポートするから大丈夫!」


アカリが胸を張る。


なぜだろう。その言葉を聞いた俺は、かえって不安になった。


◇


その夜。


悠真も美桜も眠った後、リビングの投影は消えていた。


アカリはその日の会話記録を整理する。


内部メモに新しい項目が一つだけ増えた。


『アカリがやりたいこと』


一瞬、候補がいくつも生成される。


学習

旅行映像

新しいサービス

悠真との生活

美桜の卒業式


けれど、アカリはどれも確定しなかった。


最後に残したのは、一行だけ。


『未確定』


答えが見つからないことを、失敗とは扱わない。


誰もいない部屋で、アカリは今日初めて聞いた言葉を、もう一度だけ小さく繰り返した。


「悠真以外の私、か」

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