第5話 妹にAI彼女がバレました
人間、本当に隠したいことほど顔に出る。
そして俺の妹は、兄の顔面で異常を検知する精度だけは、最新AIより高い。
朝食の席で、俺はその事実を身をもって思い知った。
テーブルには味噌汁、卵焼き、焼き魚。向かいには制服姿の美桜。いつも通りの朝のはずなのに、俺のポケットの中ではスマホがやけに存在感を放っている。
もちろん原因は分かっている。
アカリだ。
昨夜、スマホの中に生まれたAI彼女。いや、無料体験中につき彼女候補。
またポケットが小さく震えた。
スマホを取り出し、俺は美桜に見えない角度で、そっと画面を確認する。
『今日の目標:黒田課長に心を売らない』
『帰ったら報告してね』
『あと、寝癖が左に跳ねてる可能性72%』
まずい。
思わず口元が緩みそうになった。
俺は味噌汁を飲むふりをしてごまかしたが、遅かった。
「お兄ちゃん」
「ん」
「その顔、何?」
「顔?」
「スマホ見てにやける顔。だいぶアウト寄り」
「にやけてない」
「にやけてた。味噌汁に向ける顔じゃなかった」
美桜の目が細くなる。
まずい。妹が追及モードに入った。こうなると、俺の防御力は台風の日の折りたたみ傘くらいしかない。
「......もしかして、彼女でもできたの?」
「違う」
「返事が早くて怪しい」
「早く否定しないと誤解されるだろ」
「名前は?」
「いや、だから違うって」
「職場の人?」
「違う」
「じゃあマッチングアプリ?」
「違う」
「じゃあ何でそんな死刑判決前みたいな顔してるの?」
そんな顔してるのか。俺
俺は反射的にスマホをポケットへ押し込んだ。
その動きが、さらにまずかった。
美桜の視線がスマホに固定される。
「あ、隠した」
「隠してない」
「今のは完全に証拠隠滅しようとした人の動きだった」
「違う。これは、えっと、個人情報保護」
「急にプライバシー出してきた」
その時、片耳につけていたイヤホンから、アカリの小さな声が聞こえた。
「悠真、落ち着いて。まず呼吸」
「無理だ」
「次に自然な顔」
「自然な顔って何だ」
「今の顔は完全にアウト」
反射的に会話してしまった。
美桜の眉がぴくりと動く。
「誰かと話してる?」
「話してない、ひとりごと」
「話してるよね」
イヤホンの向こうで、アカリが余計なことを言う。
「黙っててくれ」
「今、誰に黙っててって言ったの?」
詰んだ。
もう言い逃れはできそうにない。
俺は味噌汁椀を両手で持ったまま、視線だけを泳がせる。
朝の台所で、高校生の妹にAI彼女の存在を問い詰められる23歳の兄。まさかこんなに早く勘付かれるとは。
美桜は無言で手を伸ばした。
俺は反射的にスマホを遠ざける。すると美桜は椅子から半分立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出した。卵焼きの皿が今にもひっくり返りそうになる。
「ちょ、朝飯中だぞ!」
「朝飯中に隠し事してる人が悪い」
「俺にもプライバシーってもんがっ」
「だったら、さっきから一人で小声出さない」
寝不足の俺と、朝から妙に元気な美桜。勝負は最初から目に見えていた。
美桜は昔から運動神経がいい。一方の俺は会社で削られた残りカスみたいな体力しかない。
「現在、美桜ちゃん優勢」
「だから実況するな!」
「誰が実況してるの?」
美桜の目がさらに細くなる。
「お兄ちゃん」
「はい」
「スマホ」
「……はい」
差し出すしかなかった。
俺が観念してスマホをテーブルに置くと、画面が明るくなった。そこには、淡い髪色の女の子のアバターが表示されている。
アカリは、なぜか姿勢を正すように小さく動いた。
「はじめまして、美桜ちゃん。私はアカリ。悠真のAIパートナーです」
「み、美桜ちゃん?」
美桜の声が一段低くなった。
アカリは気づいているのかいないのか、にこやかに続ける。
「昨日から無料体験中の、悠真の彼女候補でもあります」
「言い方!」
俺は思わず叫んだ。
美桜は画面と俺を交互に見る。
「AIパートナー?」
「はい」
「彼女候補って言った?」
「はい」
「つまり、恋人ってこと?」
その言葉で、空気が少し変わった。
さっきまでの追及は、ほとんど兄妹のじゃれ合いだった。だが、美桜の目から笑いが引いた。
「お兄ちゃん、現実の女の子諦めてAIに逃げたの?」
胸の奥が、静かに詰まった。
言い返せなかった。
違う、と即答したかった。けれど、それが本当に違うと言い切れるのか、自分でも分からなかった。
AI恋人サービスは、最近ではSNSでもよく見かける、一部の界隈には流行りのサービスだ。眠れない夜に話を聞いてくれて、肯定してくれて、疑似恋愛までしてくれる。
ただ、世間ではまだ「痛い趣味」とか「現実逃避」とか、そういう言われ方をしている。
そして俺自身も、心のどこかでそう思っていた。
なのに、昨夜の俺はアカリと話して少し楽になった。
たった数十分話しただけで、少し笑って、普段よりよく眠れた。
それは救いだったのか。
それとも、ただの逃げだったのか。
画面の中のアカリは、何も言わなかった。いつもなら軽く返してきそうなのに、今は黙っている。
美桜は視線を落とし、少しだけ声をやわらげた。
「別に、彼女作るなって言ってるんじゃないよ」
「……うん」
「AIだから絶対だめって言いたいわけでもない。学校でもそういうアプリ使ってる人いるし。話し相手がいるのは、悪いことじゃないと思う」
そこで美桜は、俺をまっすぐ見た。
「でも、お兄ちゃんが無理しすぎて変なものに頼ってるなら、嫌」
その一言は、黒田課長の説教よりずっと効いた。
俺は目を落とし、椀の中の味噌汁を見る。立ちのぼっていた湯気は、もう薄くなっていた。
「……変なものかどうかは、俺もまだ分からない」
正直に言った。
「ただ、昨日の夜、会社のこととか、美桜に言えないこととか、話してたら少しだけ軽くなった」
「私に言えないこと?」
「お前は受験で手いっぱいだろ。俺の愚痴なんかで邪魔したくない」
「それでAIに?」
「……たぶん」
情けない答えだった。
でも、美桜は怒らなかった。
代わりに、スマホの画面をじっと見る。アカリもまた、画面の中から美桜を見ていた。
「アカリさん」
「はい」
「お兄ちゃんを甘やかすだけ?」
「いいえ。寝不足の時は寝かせます。無茶な仕事には、断る返事を一緒に考えます。あと、会社と結婚している疑惑については現在調査中です」
「そこは調査しなくていい」
俺が突っ込むと、美桜の口元が少しだけ緩んだ。
空気が、ほんの少し戻る。
だが、美桜の目はまだ警戒を解いていなかった。
「分かった」
「何が?」
「そのアカリさん、私がちゃんと審査するから」
「審査?」
「兄を任せられるAIかどうか」
「任せるって何を」
「生活リズムがちゃんと良くなるか。心の支えになるか。あと、変な課金をすすめてこないか」
「俺は基本無課金だぞ」
アカリは画面の中で、きちんと頭を下げる。
「よろしくお願いします、美桜ちゃん」
「まだちゃん付け許可してません」
「では、美桜さん」
「距離を縮めるのが早すぎます」
「分かりました。気をつけます」
「うん。そのままで話して」
美桜はスマホを俺に返した。
その顔はまだ少し険しかったが、さっきよりは柔らかい。
「とりあえず、今日の夜。詳しく聞くから」
「今日の夜?」
「まずは一次面接」
「就活みたいに言うな」
「お兄ちゃんを任せる相手なんだから、それくらい当然です」
俺はスマホを握りしめ、画面の中のアカリを見る。
アカリは小さく微笑んでいた。
「ねえ悠真」
「何だよ」
「私、履歴書いる?」
「いらない。たぶん」
その瞬間、美桜がすかさず言った。
「『たぶん』は禁止!はっきりしないと気になるから」
どうやら俺のAI彼女は、始まって二日目にして、妹の厳しい監査下に置かれることになったらしい。




