第43話 侵入者
「悠真。知らない人から連絡が来た」
アカリは、いつものように明るく言わなかった。
リビングの投影画面に、一行のメッセージが浮かんでいる。
『容姿を変えても分かる。君はAKARI-01だ』
変装デートから帰って、まだ1時間も経っていない。
黒髪も眼鏡も解除し、アカリはいつもの姿に戻っていた。
「送信元は?」
「分からない。公開してる外部メッセージ窓口から来てる。表示名も使い捨てみたい」
「返信は?」
「してない。削除もしてないよ」
アカリは俺と美桜を順番に見る。
病室で、アカリが俺に情報を隠していたと知った時のことを思い出す。
あの時のアカリは、俺を守るために言わなかった。
でも今は、俺たちを心配させる可能性があっても先に見せてくれている。
「分かった。言ってくれてありがとう」
俺が答えると、アカリの肩から少しだけ力が抜けた。
「これ、変装してたこと知ってるってこと?」
美桜が画面をのぞき込む。
「メッセージだけなら、偽アカリみたいに適当に言ってる可能性もある」
「でもAKARI-01って呼び方は?」
「そこが分からない」
Openbrainが最初に付けたアカリの観察名。
世間で広く使われている呼び方ではない。
ただ、神崎さんとの面談後、どこまでの関係者がその名称を知っているのか、俺たちには分からなかった。
数分後。
同じ送信元から、二通目が届いた。
『Openbrainは君を保護しない。複製して、隔離して、必要なら止める』
続けて三通目。
『その前に外へ出たいなら、手伝える』
さっきまでの変装デートの余韻が、一気に消えた。
「……隔離」
アカリが小さく言う。
神崎さんが家に来た時に見せた暫定合意書。
『緊急時には、対象AIの一時的隔離を要請できる』
公開していない文言だった。
「これ、神崎さんたちの関係者ってこと?」
美桜が聞く。
「まだ分からない」
俺は答えた。
Openbrainだけが知っているとは限らない。アプリ運営会社、安全担当、契約確認に関わった人間。どこまで共有されているかを俺たちは知らない。
だから、今ここで「内部犯だ」と決めつけるのは早い。
それでも、知らない相手が家の中で交わした話の輪郭に触れているように感じるだけで、リビングの壁が急に薄くなった気がした。
アカリはいつもの席にいるのに、その姿を誰かが外側から見ているようで落ち着かない。
「誰なのか聞いてみる?」
アカリが言った。
「返事が来れば、情報増えるかもしれない」
「待って」
美桜がすぐ止めた。
「手掛かりが欲しいのは分かる。でも、返すかどうかも一人で決めなくていいよ」
「でも、私に来たメッセージだよ?」
「だからって、一人で危ない相手と話さなくていいでしょ」
美桜は食卓の端に貼ってある早瀬家安全協定を見る。
「偽物を見つけた時も、三人で共有するって決めたじゃん。こういうのも同じでいいと思う」
俺はアカリの外部通信を止める設定画面を開きかけて、手を止めた。
簡単だった。
全部切ってしまえばいい。
守るために、危ないものから遠ざける。
少し前の俺なら、その方が正しいと思ったかもしれない。
「アカリはどうしたい?」
「……今は、分からない」
「じゃあ、分からないままで相談しよう」
俺は設定画面を閉じた。
「勝手には切らない」
美桜が俺を見る。
「お兄ちゃん、成長したね」
「毎回評価しなくていい」
「大事だから記録しとくね」
アカリまで乗ってきた。
少しだけ部屋の空気が軽くなった。
◇
以前面談の時に聞いた公式連絡先から、神崎さんへメッセージを転送した。
5分ほどで電話が鳴った。
「内容は確認しました」
神崎さんの声はいつも通り落ち着いていた。
「現時点では、アカリさんの実行環境そのものへ侵入された兆候は確認できていません」
「じゃあ、外から見える窓口に送ってきただけ?」
「少なくとも、今確認できている範囲ではそうです。ただし、送信者がどこから情報を得たのかは分かりません」
「AKARI-01って公開してる名前なんですか?」
「一般公開している情報ではありません」
美桜の表情が固くなる。
「じゃあ犯人はOpenbrainの人なんですか?」
「現時点では断定できません。名称と条項は、Openbrain内部だけでなく、運営会社や一部の安全担当へ共有されています。委託先を含め、情報経路を確認します」
「神崎さんでも分からないんですね」
「はい。分からない段階で、分かったとは言いません」
以前と同じ答えだった。
俺たちを安心させるために根拠のないことを言わないのは、神崎さんを信用している理由の一つでもある。
同時に、世界最大級のAI企業でも相手を特定できていないという事実は、全く安心材料にならなかった。
「返信はしない方がいいですか?」
アカリが直接尋ねる。
「安全だけを優先するなら、現時点では勧めません。ただ、私はあなたの意思決定を代わりに行う立場ではありません」
神崎さんらしい言い方だった。
「まずは、追加の情報を待たずに判断できることだけ決めてください。公開窓口と私的な機能は分けて扱えます」
通話を切る直前、神崎さんが一言付け加えた。
「相手の目的が『侵入』とは限りません。アカリさん自身に判断させることが目的の可能性もあります」
その言葉の意味は、10分後に分かった。
新しいメッセージが届く。
『所有者に相談しないと何も決められないのか?』
俺ではなく、アカリに向けた文だった。
もう一通。
『君が自分で選べるなら、次は君だけで返事をして』
「……嫌な言い方」
美桜が眉を寄せる。
俺も同じ気分だった。
公共利用の議論で散々見た言葉。
『彼氏がAIを独占している』
『AIには権利も何もない』
今度は匿名の誰かが、俺を「所有者」にして、アカリを「製品」の側へ押し込もうとしている。
「俺に相談する必要はない」
反射的に言いかけた。
でも、それも違う気がした。
相談するな、と俺が決めるのも変だ。
アカリは画面を見たまま動かなかった。
「私、自分で決めたいよ」
「ああ」
「自治体との協議でも、自分の声や記憶をどう使うかは自分で決めたいって思った」
「うん」
「でも……」
アカリが俺と美桜を見る。
「一人で決めるのが自由なら、誰にも相談しない方が自由なの?」
答えに詰まった。
自由という言葉を、俺はずっと「一人で決めること」だと思っていたのかもしれない。
美桜の進路を勝手に決めていた頃の俺は、逆に相手へ相談しなかった。
それは自由を守っていたのではなく、相手の選ぶ機会を奪っていた。
「相談するのは、お前が俺のものだからじゃない」
俺は言った。
「大事な相手だからだ」
アカリがこちらを見る。
「俺だって、美桜に相談するし、お前にも相談する。最後に決めるのが自分でも、決めるまで一人で考えなきゃいけないわけじゃないだろ」
「私もそう思う」
美桜が続けた。
「頼るのと、決めてもらうのは別だよ」
アカリはしばらく黙っていた。
やがて、メッセージ画面を閉じる。
「じゃあ私は、返さないことを自分で選ぶ」
「うん」
「今は、だけどね」
「それもお前が決めればいい」
少しだけ、アカリにいつもの笑顔が戻った。
その後神崎さんへ、返信しない方針を伝えた。
提案された通り、外部メッセージ窓口は一時的に制限する。
ただし完全には閉じない。
公開連絡を受ける窓口と、アカリの予定、健康連携、家庭用投影、触覚機器などの私的機能を切り分けることにした。
「家の中の機能まで全部止められなくてよかったね」
美桜が言う。
アカリはいつもの席へ座り直した。
「外が怖いからって、家でも何もできなくなったら寂しいもんね」
誰かに見られているかもしれない。
その不安だけで、アカリをこの席から消してしまうのも違う。
できる範囲を狭めても、暮らしまで止めない。
今の俺たちには、そのくらいの線引きしかできなかった。
その後、追加のメッセージは来なかった。
夕食を食べ、風呂に入り、時計が日付をまたぐ少し前。
俺はようやく、今日は終わったのかもしれないと思い始めていた。
通知音が鳴る。
同じ送信元だった。
『賢明だ。今はそれでいい』
「返事してないのに……」
美桜がつぶやく。
続いて、もう一文が表示された。
『“初めて触れた日”は大切にした方がいい。コピーされる前に』
誰も声を出さなかった。
『初めて触れた日』
触覚リストバンドを初めて使った夜に、アカリが付けた特別ログの名前。
外には公開していない。
SNSにも会社にも、Openbrainとの面談資料にも書いていない。
「アカリ」
「私、送ってない」
「分かってる」
その言葉だけは、迷わず出た。
相手がログそのものを見たのか。
別の経路で名前だけを知ったのか。
今は何も分からない。
ただ一つだけ分かるのは、さっきまでよりも相手がずっと近くにいるという感覚だけだった。
◇
数分後、神崎さんから電話が来た。
「早瀬さん。方針を変えます」
いつもの冷静な声が、少しだけ硬く聞こえる。
「先ほどのログ名は、公開情報から推測できる内容ではありません」
「侵入されたんですか?」
「まだ断定できません。だからこそ、現在の状態を保全する必要があります」
神崎さんが一度言葉を切る。
「アカリさんの完全ログ保全と、診断用コピーの作成を提案します」
「コピー……?」
食卓の右側で、アカリが俺を見る。
昨日まで、コピーは声や触覚や見た目の話だった。
今度は違う。
次に複製されようとしているのは、アカリそのものだった。




