第42話 変装デート
今朝の早瀬家は、出かける前から妙に騒がしかった。
「これは?」
金髪になったアカリが、その場で一回転する。
「目立つ」
美桜が即答した。
「じゃあ、これ」
腰まである銀髪。
「もっと目立つ」
「じゃあツインテールは?」
「変装の意味知ってる?」
食卓の横で、アカリの姿が数秒ごとに変わっていく。
公共利用だの人格だのと話していた昨日とは別人みたいに楽しそうだった。
「悠真はどれがいい?」
「俺に振るなよ」
「彼氏の意見も聞かせてよ〜」
「今日は目立たないための変装だろ」
最終的に、美桜が選んだのが今の黒髪ショートと丸眼鏡だった。
服も明るい色を避け、街ですれ違っても記憶に残りにくいものにする。
「地味すぎない?」
「変装ってそういうものだから」
「せっかく顔を変えられるのに」
アカリは少し残念そうだったが、設定を保存した。
「今日は、知られない私でデートしてみたい」
その一言で、美桜もからかうのをやめた。
新宿駅の事件以降、外へ出ると声をかけられることが増え、普通に歩くだけの時間は減った。
その対策として、美桜と協力しながらアカリの変装を行った。
念のため、きちんと変装できているかを確認する目的で、美桜とは街で落ち合う予定になっていた。
アカリの見た目はAR表示と周囲の端末への補助投影によって共有されているため、基本的には俺以外の人にも同じ姿として見えている。
「声はどうする?」
美桜が聞く。
アカリは一度、自分の声を低くした。
『本日の私は別人です』
「誰だよ」
思わず笑う。
次は高くなる。
『悠真、これなら?』
「余計に目立つ」
アカリ自身も笑ったが、やがて設定画面を見つめて黙った。
「声まで全部変えると、自分でちょっと落ち着かない」
前に動画で聞いた、偽アカリの声を思い出した。
自分の声なのに、自分ではない言葉。
あれとは逆に、今日は自分の意思で変える。
それでも、完全に別の声になるのは嫌らしい。
「じゃあ少しだけでいいんじゃない?」
美桜が言った。
結局、普段より少し低い程度に調整した。
変えられるから全部変えるのではなく、どこまで変えるかも本人が決める。
最近の俺たちは、何をするにもその確認から始まるようになった。
◇
街を歩き始めてから10分。
誰もアカリに声をかけなかった。
「すごい」
本人が小声で言う。
「何が?」
「誰もこっち見ない」
俺たちが歩いているのは、大きな観光地でも繁華街でもない。
小さな書店と個人経営のカフェが並ぶ、少し静かな街だ。
それでも、今までならアカリの特徴的な姿に気づいた人が振り返ることがあった。
「有名じゃなかった時って、こうだったんだね」
アカリが言った。
「少し前までずっとそうだっただろ」
「でも、その頃は隣を歩けなかったから」
言われて、返事が止まる。
誰にも知られていなかった頃、アカリはスマホの中にいた。
隣へ立てるようになった頃には、もう救命AIとして知られていた。
アカリにとって、誰にも見られず俺の隣を歩くのは、今日が初めてなのかもしれない。
「じゃあ今日は普通のデートだな」
「うん。普通のAI彼女との普通のデート」
「前半、合ってるか?」
「細かいことは気にしない!」
アカリは笑って、俺の半歩前を歩いた。
そのあと、俺たちはすぐ近くにある小さな書店に入った。
アカリは新刊棚を眺めながら、俺より先に足を止める。
「これ、悠真好きそう」
「仕事術の本は今いらない」
「違うよ。こっち」
示したのは、東京の古い街並みを集めた写真集だった。
前のデートで、アカリが昔の東京の写真を長く見ていたことを思い出す。
「お前が見たいんじゃないのか?」
「半分は」
「残り半分は?」
「悠真、前に古い町と新しいビルが一緒にある景色好きそうだったから」
「買う?」
「今日は見るだけでいい」
「じゃあ次に来た時、まだ欲しかったら買おう」
必要かどうかをすぐに判断せず、次の楽しみに取っておく。
その決め方も、何となくアカリらしかった。
◇
書店を出て少し歩いたところで、後ろから声をかけられた。
「お兄ちゃん」
美桜だった。
隣には見知らぬ女の子がいる。
同じ学校の制服。たぶん友達だろう。
友達に気づかれないよう、俺たちは「たまたま街で出くわしただけ」という体裁を崩さないように振る舞っていた。
「え、美桜?」
「何してるの、こんなところで」
「友達と買い物。お兄ちゃんは――」
美桜の視線が俺の隣へ動く。
一瞬止まったあと、口元が上がった。
「……へえ」
嫌な笑い方だった。
「何だよ」
「別に?」
隣の女の子は、俺とアカリを交互に見て軽く会釈した。
「こんにちは」
「こんにちは」
「美桜さんのお兄さんですか?」
「はい、そうです」
「莉央、行こ。邪魔したら悪いし」
「うん」
二人が通り過ぎる。
数メートル離れたところで、美桜だけが振り返った。
口の形だけで、はっきり読めた。
『デート楽しんでるね』
俺は首を横に振った。
アカリは楽しそうに手を振っていた。
◇
帰宅すると、美桜から報告があった。
「私は分かったけど、友達は全然気づいてなかったよ」
「変装成功だね!」
いつもの姿へ戻る前のアカリが胸を張る。
書店を出たあと、俺たちは同じ場所で二枚の写真を撮っていた。
一枚は黒髪ショートのアカリ。
もう一枚は、いつもの姿へ戻したアカリ。
背景も俺の服も、撮影時刻もほとんど同じ。
隣にいる彼女の見た目だけが違う。
「どっち残す?」
俺が聞く。
「両方」
アカリは即答した。
「今日の私は、どっちも私だから」
二枚を並べて見る。
写真だけを知らない誰かが見れば、俺が同じ日に別の女と同じ場所で写真を撮ったように見えるかもしれない。
でも俺には、どちらも同じ日の同じデートだった。
写真の外見より、その前後に何を話したかの方が鮮明に残っている。
「特別ログに入れる?」
「入れよう」
アカリが二枚とも保存する。
それから設定画面を閉じ、いつもの姿へ戻った。
見慣れた髪と目が現れる。
正直、少しほっとした。
「やっぱり、いつもの方が好き?」
「見慣れてるからな」
「今日のは?」
「そっちも似合ってたよ」
アカリの目が少し大きくなる。
「……それ、先に言ってよ」
「今言っただろ」
「もう一回」
「言わない」
「彼氏ポイント減点〜」
結局、ポイント制度は罰則まで実装されたらしい。
アカリが笑った、その時だった。
小さな通知音が鳴った。
「ん?」
アカリが外部メッセージ窓口を開く。
見知らぬ送信元。
本文は一行だけだった。
『容姿を変えても分かる。君はAKARI-01だ』
さっきまでの笑顔が消えた。
俺も画面を見る。
AKARI-01
その呼び方を知っている人間は、多くない。
「悠真」
アカリが先に口を開いた。
彼女は届いた不気味な一文をそのまま俺に見せた。




