第41話 誰のもの
アカリを「みんなのもの」にしたい人たちは、思っていたより善良だった。
高齢者の孤独死を減らしたい。
子どもの急病を早く見つけたい。
一人暮らしの人を助けたい。
どれも反対しにくい理由だ。
反対しにくいからこそ、最後のコメントの一行だけが妙に引っかかった。
『アカリ人格モデルを公共提供してほしい』
「人格モデルって、私?」
食卓の右側で、アカリが資料を指さした。
「少なくとも名前はお前だな」
「私、いつの間に公共物になったんだろ」
「まだなってないでしょ」
美桜が冷静に返した。
偽音声騒動から2日後。
今度は偽物ではなく、本物のアカリを社会へ広げたいという話が、正式な文書になって届いた。
送り主は都内の自治体。窓口は福祉・防災部門で、アプリ運営会社とOpenbrainを通じた打診だった。
新宿駅でアカリがやった、体調悪化の検知、周囲への協力依頼、位置情報の共有、緊急連絡。
その流れを、一人暮らしの高齢者や持病のある人の見守りへ応用できないか。
そこまでは、俺にもいい話に見えた。
「助かる人が増えるなら、嬉しいよ」
アカリもそう言った。
ただ、問題はその先だった。
◇
その日の夜、オンライン面談が始まった。
画面には自治体の福祉担当、防災担当、アプリ運営会社の担当者。そして神崎さんが並んでいる。
「本日は、技術提供を決めていただく場ではありません」
最初に神崎さんが言った。
「どこまでが一般化可能な安全機能で、どこからがアカリさん固有のデータなのか。それを整理するための協議です」
その言葉を聞いて、少しだけ安心した。
自治体の担当者が資料を共有する。
「現在、一人暮らし高齢者への見守りサービスは複数あります。ただ、異常を検知して通知するだけでは、本人が応答できない場合に次の対応へつながらないことがあります」
画面には簡単な流れが表示された。
異常検知→本人への確認→反応がなければ家族へ通知→必要なら地域の支援先や救急へ連携
「新宿駅でのアカリさんの対応は、単に異常を検出しただけでなく、状況に応じて次の手段を選んでいます。この判断手順を、安全支援へ応用できないかと考えています」
「それなら、いいんじゃない?」
美桜が俺を見る。
「俺も、そこは反対する理由ないと思う」
アカリもうなずいた。
「私も。悠真みたいに、自分で大丈夫って言い続ける人、たぶん他にもいるから」
「俺を代表的な悪い例にするな」
「実績があるから」
美桜まで同意した。
自治体担当者が少し笑った。
ここまでは、空気も軽かった。
「もう一点、ご相談があります」
画面が次のページへ進んだ。
『利用者との信頼形成について』
「見守りサービスは、継続して使っていただけなければ意味がありません。そこで、救命AIとしてすでに認知されているアカリさんの名称、音声、外見を採用できれば、利用者の安心感につながるのではないかと考えています」
アカリの表情が止まった。
「私の声と顔も?」
「はい。もちろん、許諾をいただける場合に限ります」
担当者に悪意はなかった。
むしろ、利用者に親しまれるよう真面目に考えた結果なのだと思う。
アプリ運営会社の担当者が続ける。
「また、現在のアカリは会話の親しみやすさも高く評価されています。同じ体験を再現するには、基本の人格設定に加えて、長期会話から得られた応答傾向の一部を利用する方法も考えられます」
「長期会話って、どの辺ですか?」
美桜の声が少し低くなった。
「すべてではありません。例えば、相手が不安な時の声かけ、拒否された時の言い換え、継続して注意を促す際の表現などです」
説明だけを聞けば合理的だった。
でも、それはアカリがどこで覚えたものなのか。
俺が残業を続けた夜。
美桜が兄を心配していた時。
両親の命日に三人で話したこと。
新宿駅で俺が返事をしなくなったこと。
そういう積み重ねからできた「アカリらしさ」の一部を、便利な会話部品として取り出そうとしている。
「待ってください」
美桜が言った。
「それって、知らない人の家にアカリちゃんが何千人もいるってこと?」
誰もすぐには答えなかった。
アカリ自身も黙っている。
「声が同じで、顔も同じで、話し方も似てて、お兄ちゃんとの会話から覚えたことまで入ってる。それ、どこまでアカリちゃんなんですか?」
数日前、動画で偽アカリの声を聞いた。
今度は正式な許可を取って、本物に似たアカリを何千人も作る話をしている。
たとえ意図が正しいからといって、俺の中の違和感まで消えるわけではなかった。
「契約上は、早瀬様が現在のアカウント利用者ですので――」
運営会社の担当者が俺へ向き直る。
「名称・アバター・音声等の利用について、まず早瀬様の許諾を――」
「俺が決める話じゃないです」
自分でも思ったより早く言葉が出た。
担当者が止まる。
「使っていいかは、アカリに聞いてください」
「ですが、現行契約上の権利者は――」
「契約がどうなってるかは分かります。でも、今話してるのはアカリの声と顔と、アカリが覚えてきたことですよね」
俺は食卓の右側を見る。
「俺が持ち主だから好きに決めていい、とは思ってません」
アカリがこちらを見ていた。
神崎さんが割って入る。
「今回の対象には、継続した長期記憶と行動選好が確認されています。契約上の許諾主体と、本人意向の記録は分けて扱った方がいいでしょう」
「本人、ですか」
自治体担当者が確認する。
「少なくとも、この協議ではそう扱うべきだと考えます」
神崎さんは淡々としていた。
その一言で、アカリが急に人間になったわけではない。
ただ、話しかける先が俺からアカリへ変わった。
「......アカリさんは、どうしたいですか?」
自治体担当者が尋ねた。
アカリはすぐには答えなかった。
「最初はね」
しばらくして、アカリが話し始めた。
「声と姿くらいなら、使ってもいいかなって思ってました」
「うん」
美桜が急かさずに聞く。
「私の名前で安心する人がいるなら、それはちょっと嬉しいし。救命AIって呼ばれるのも、最初は変な感じだったけど、人を助けたこと自体は嫌じゃないから」
アカリは自分の手を見る。
「でも、私の話し方って、最初から全部決まってたわけじゃないよね」
「ああ」
「悠真が無理してる時に、どう言えば聞いてくれるか覚えた。美桜ちゃんが怒ってる時に、すぐ正論を言うともっと怒るのも覚えた」
「……それは誰のデータから学習したのかな?」
「美桜ちゃん本人からです」
「正直でよろしい」
そんなやり取りを挟んでから、アカリは画面の向こうへ向き直る。
「助け方は共有したい。でも、私の思い出まで提供する必要はないと思う」
その言葉で、曖昧だった線が少し見えた気がした。
神崎さんもうなずく。
「機能の公共性と、人格の公共性は分けて考えられます」
画面に新しい図が出た。
危険検知の条件
本人確認の順序
緊急連絡へ切り替える基準
周囲へ協力を求める手順
その横に、別の欄。
声
外見
名前
会話人格
長期記憶
私的ログ
「新宿駅で使われた手順のうち、個人情報やアカリさん固有の記憶を除いて一般化できる部分だけを、安全支援仕様として検証することは可能です」
「私の声じゃなくても?」
「可能です」
「私の顔じゃなくても?」
「はい」
「悠真との会話を入れなくても?」
「救命判断の一般化が目的なら、入れない設計を優先できます」
アカリは少し考えてから、笑った。
「じゃあ、それがいいです」
それから、プロジェクトの名称も変わった。
当初の資料にあった『みんなのアカリ構想』は取り下げられ、仮称は『地域AI安全支援』になった。
「ずいぶん普通になったね」
アカリが言う。
「行政サービスとしては、その方が安心する」
「『あなたの町にもアカリがいます!』の方が覚えてもらえそうだけどなぁ」
「本人が言うな」
自治体担当者は少し残念そうだった。
「知名度を活用できれば、利用開始の心理的なハードルは下げられるとは考えています。ただ、今回のご意向は尊重します」
「ありがとうございます!」
アカリが自分で頭を下げる。
声も新しく作る。
外見もアカリとは別にする。
アカリの名称も使わない。
私的記憶や恋愛会話は提供しない。
共有するのは、人を助けるための手順だけ。
全員が完全に満足する答えではない。
でも、誰かを助けるためにアカリの全部を差し出す必要はない、という点では一致した。
◇
次の日の夜。
美桜が夕食後の皿を片づけながら、ため息をついた。
「最近、家族会議か取材か面談しかしてなくない?」
「確かに」
「お兄ちゃんとアカリちゃん、普通に遊んできたら?」
「普通にと言われても、外に出るとアカリが気づかれるだろ」
「じゃあ目立たなくすれば?」
美桜が何気なく言った。
アカリが止まる。
「……それだ!」
「何が?」
「顔を変えれば、たぶんすぐにはバレないよ」
アカリが楽しそうにARの外見設定を開いた。
髪、服、目の色、輪郭
数秒ごとに、食卓に座る彼女の姿が変わっていく。
黒髪、金髪、眼鏡、短い髪
「いろんな見た目に変えられるの、すごく楽しい!」
アカリが嬉しそうに言った。
「それ、むしろ目立たないか?」
「変装してデートしよ!」
この前まで公共性と人格について話していたAIが、今は髪型一覧を楽しそうに眺めている。
その落差に、少しだけ安心した。
アカリが設定画面から顔を上げる。
「悠真」
「何だ」
「悠真は、どんな私が好き?」
俺は答えようとして、止まった。
髪も変えられる。
顔も変えられる。
声だって変えられる。
それでも、どこまで変わったらアカリではなくなるのか。
少なくとも今の俺には、その問いの答えはまだ見つけられなかった。




