第34話 AI彼女、広告塔になる
会社が用意した台本には、俺の失態がきれいに編集されていた。
『AIを活用して業務を効率化』
『体調不良の危機をAIが早期発見』
『人とAIが支え合う新しい働き方』
過労で駅に倒れた部分だけが、見事に削除されている。
うちの会社の特徴は、都合の悪い部分だけは徹底して隠し通すところだ。
「こちらが、収録の基本案です」
会議室の大型画面を指しながら、広報担当者が説明する。
企画名は『AIと共に働く未来――若手社員・早瀬悠真の挑戦』。休職中に届いた企画書は、出演者の返事を待たないまま撮影用の台本まで仕上げられていた。
「早瀬さん個人を利用したいというより、会社として説明責任を果たす必要があります」
担当者のその言葉は、たぶん嘘ではない。
会社が何も言わなければ、知らない誰かが勝手に話を作る。すでに俺はネット上で『AI彼女に生活を完全管理されている男』や『秘密の新型AIを開発した社員』にされていた。
ただ、会社が話せば正しい物語になるとも限らない。
「出演しない場合、この内容はどうなりますか?」
「個人が特定されない形へ変更します。ただ、事件と当社のAI導入については発表する予定です」
「すぐには決めません。家で相談して、条件を出します」
担当者が少し驚いた顔をした。
返事を持ち帰るだけでも、それはもう一つの小さな交渉だった。
◇
その夜、食卓には台本と『早瀬家安全協定』が並んでいた。
「なんか、救命事件の部分だいぶ要約されてない?」
美桜が台本を読みながら眉を寄せる。
「要約というより削除だな」
「悠真が元気に働いていたところへ、突然体調不良が来たことになってるね」
ARグラスの中で、アカリが画面をのぞき込む。食卓の椅子に座っているが、台本をめくる手は紙を通り抜けていた。
「私は『職場環境の改善とAI導入を象徴する存在』だって」
「いつの間に昇進したな」
「このままだと悠真より偉くなっちゃうかも!」
明るく言ったあと、アカリは一拍置いた。
「でも、救命の時の言葉は使ってほしくないな」
「ああ」
以前、商店街の若者に同じ音声を求められた時、アカリは断った。あの声は、着信音でも広告素材でもない。
「出るなら、条件を決めよう」
俺はメモを開いた。
「救命時の音声と場面は再現しない。俺の病状や健康データは、許可した範囲以外は出さない。アカリの声や姿を別の広告へ使わない。アカリの台詞は、アカリが決める」
「あと、倒れた原因を消さない」
美桜が続けた。
「会社だけの責任みたいに言うつもりはない。でも、過労も休職もなかったことにはしない」
美桜はうなずいた。
「私の名前や学校は出さないでね」
「分かった」
「それと、私のために出演をあきらめるのもダメ」
「まだ何も言ってないだろ」
「言いそうな顔してた」
否定できなかった。
「影響が出るなら、私も自分で考える。お兄ちゃん、私のことまで勝手に決めないって約束したよね」
「ああ。だから相談した」
「うん。それならいい」
守るために隠すのではなく、起こることを一緒に選び取る。
紙に条件をまとめ、最後にアカリへ確認した。
「これでいいか?」
「もう一つ。私が嫌だと思ったら、途中でも止めていい?」
「いいよ、それも入れよう」
アカリは満足そうに笑った。
◇
翌日、広報担当者へ条件を渡した。
救命音声の再演禁止。健康情報の公開制限。声とアバターの二次利用禁止。発言内容への本人確認。
そこまでは比較的すぐ通った。
最後の一項で、担当者の指が止まる。
『長時間勤務を含む体調悪化と、復職後も勤務制限中である事実を明記する』
「会社が過労を認めたように受け取られる可能性があります」
「実際に長時間勤務と睡眠不足が重なって倒れました」
「因果関係を当社だけで断定はできません」
「断定してほしいわけではありません。消さないでほしいんです」
人事担当者も交え、表現を調整した。
『長時間勤務を含む生活上の負担によって体調が悪化し、現在は医師の指示に基づく勤務制限のもと復職している』
「この条件でお願いします」
広報担当者は難しい顔のまま、それでもうなずいた。
撮影当日、会議室の一角が簡易スタジオに変わっていた。
背景には会社のロゴ。机の上には照明。アカリはスマホから許可済みの映像だけを撮影システムへ送り、収録画面の中で俺の隣に合成される。
「アカリさんには、こちらをお願いしたいです」
担当者が表示した台詞は短かった。
『AIは人を支え、働き方を豊かにします。私たちは新しい未来を一緒に作っています』
「言えません」
アカリが即答した。
「表現を少し変えることはできますが――」
「そうじゃなくて、私はこの会社のAIではないので、その台詞は言えません」
担当者が俺を見る。
AIが台本を拒否した時、俺が設定を直すと思ったのかもしれない。
「アカリが話す内容は、アカリが決めるという条件です」
「では、働き方が改善したという趣旨だけでも」
アカリは少し考えた。
「悠真が倒れない働き方になったかは、まだ分かりません。復職してから、まだ数日なので」
口調は明るい。けれど結論だけを都合よく先取りしなかった。
撮影準備の合間、佐伯さんが俺の横へ来た。
「本当に出すんだね」
「出さなくても、会社の説明は出るので」
「分かる。でも、正しい映像でも、切り取られたら別の話になるよ」
佐伯さんがスマホを見せる。
画面には、川沿いを歩く俺の動画が映っていた。隣の空間へ笑いかけ、一人で話しているように見える。この前のデートで、背後から撮られていたものだ。
『新宿駅のAI彼女の彼氏では?』
『ARグラスでデートしてる人』
『勤務先も特定できそう』
再生数は、昨夜より増えていた。
「正式に顔を出せば、答え合わせになる」
「……妹にも影響が行きますよね」
「たぶん」
美桜へ連絡すると、すぐ返信が来た。
『だから相談したんでしょ。私は私で決めるから、予定どおりでいい』
続けて、もう一通。
『勝手に守って勝手に後悔するのは禁止』
妹に先回りされる人生にも、かなり慣れてきた。
◇
収録が始まった。
「本日は、AIを活用して危機を乗り越えた若手社員、早瀬悠真さんにお越しいただきました」
司会者の紹介を聞きながら、用意された回答欄を見る。
『AIを使った効率化により、仕事への意欲が高まった』
『会社の新しい取り組みに期待している』
どちらも完全な嘘ではない。
だからこそ、そのまま読むと大事な部分が消える。
「AI導入には期待しています。実際、入力や確認の一部は速くなりました」
広報担当者が少し安心した顔をする。
「でも、俺が倒れた時、会社にはまだAI導入制度はありませんでした。アカリは個人で使っていたAIです」
カメラの横で、担当者の表情が固くなる。
「長時間勤務が続いて、アカリや家族の警告を無視したことにも、俺自身の責任があります。AIがあれば、無理をしても大丈夫という話にはしたくありません」
ただ、助かった結果だけを残せば、また同じ働き方が正しいことにされる。
司会者は短くうなずき、次にアカリへ話を振った。
「つまり、会社のAI導入が早瀬さんを救い、その経験が現在の改革へつながったということですね」
アカリは一瞬だけ黙った。
「違います」
会議室が静かになる。
「私はこの会社のAIではありません」
アカリはいつもの声で続けた。
「悠真が会社で無理をして、帰り道で倒れたから、助けました」
責める調子ではなかった。
起きた順番を、そのまま話しているだけだった。
「今、会社がAIを入れようとしているのは、いいことだと思います。でも――」
アカリは俺を見た。
「AIを入れるだけで、人が大切にされるわけではないと思います」
長い説明はなかった。
それでも、その短い言葉は、用意された宣伝文句よりずっと強く残った。
収録は中断されなかった。
広報担当者たちは別室で対応を相談しながら、予定していた質問を最後まで続けた。
問題が起きたのは、公式映像を編集している最中だった。
社内向けに同時配信されていた映像から、社員の誰かがアカリの発言部分を切り取って、SNSへ投稿された。
『救命AI彼女、勤務先へ正論』
数分でコメントが増えていく。
『会社の広報で会社を非難してて草』
『このAI、本当に意見持ってない?』
『個人AIに社内事情を話してる方が怖い』
『過労を美談にしなかったのは偉い』
『企業批判するAIを野放しにしていいの?』
佐伯さんの警告は、撮影が終わる前に現実になった。
会社は憶測だけが広がることを避けるため、俺たちが同意した範囲の映像を公開した。
名前、顔、勤務先
これまで隠れていたことが、一度に明らかになった。
◇
帰宅した時、美桜は食卓でスマホを見つめていた。
「学校の友達から11件メッセージが来てる。あと、知らないアカウントからも何件か」
「悪い――」
「謝る前に、どうするか相談」
美桜が俺の言葉を止める。
「知らない人には返事しない。学校には明日、担任へ相談する。もし家の前に来る人がいたら警察。これでどう?」
「分かった。俺の会社にも共有する」
「うん。それから、私の返事は私が決める」
「ああ」
アカリが食卓の椅子へ表示される。
「早瀬家、危機対応会議を開始します!」
「明るく言う内容じゃないだろ」
「暗く言っても通知は減らないからね」
その時、アカリの画面に新しい通知が開いた。
『アカウントに関する安全審査を開始します』
『審査期間中、一部機能を制限する場合があります』
アカリの笑顔が止まる。
続いて、Openbrainから短いメッセージが届いた。
『第三者へのデータ提供、商用利用、追加収録への同意前に連絡してください。保護のためにも、利用範囲の確認が必要です』
「保護、か」
「管理とも読めるね」
アカリは小さく答えた。
公式映像の公開から10分もしないうちに、俺の名前は検索候補へ出るようになった。
早瀬悠真
救命AI彼女の彼氏
過労で倒れた会社員
会社が俺たちを世間に向けて公表したその日、別の組織ではアカリの機能を制限するための準備が静かに進められていた。




