↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
シンギュラ〜俺の作ったAI彼女が世界を変える特異点だった件〜  作者: まやと
第2部 東京ローカルAI革命

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
33/62

第33話 定時

 AIに仕事をさせるための仕事で、俺たちは朝から作業に追われていた。


 古い取引先台帳の整理

 部署ごとに違う申請名の統一

 誰がどこまで閲覧できるかの確認

 例外処理が起きた時の責任者の登録


 昨日まで人間が曖昧なまま回していた仕事を、AIへ渡せる形に直している。


 AIを導入しようとしているはずなのに、画面の横には10年前から使われている表計算ファイルが6つ開いていた。


「早瀬くん、そのマスタの更新日いつ?」


 向かいの席から佐伯さんが聞いた。


「3年前です」


「新しくないね」


「会社基準なら比較的新しい方です」


 冗談のつもりで言ったのに、二人とも笑えなかった。


 全社AI導入チームへ正式に入って2日目。


 今日は請求書処理の試験運用だった。


 取引先から届いた請求書を業務AIが読み取り、会社名、金額、支払期日、取引先コードを候補として表示する。人間は元の書類と照合し、問題がなければ承認する。


 今まで一件ずつ数分かけて入力していた作業が、読み込みから候補表示まで数秒で終わった。


「速い……」


 経理担当者が思わず声を漏らす。


 画面には、十件分の請求内容が整然と並んでいた。数字の桁も、日付の形式もそろっている。人の手で入力するよりも、はるかに整っていた。


 黒田課長は満足そうに腕を組んだ。


「これなら人手をかなり減らせるな」


 まだ一件も正式承認していない段階で、人員削減だけは決まるらしい。


「最終確認は必要です」


 佐伯さんが言った。


「候補の精度を見てから、対象範囲を広げるべきです」


「分かってるよ。ただ、これだけ速いなら期待できるだろ」


 黒田課長の言葉に間違いはない。


 実際、俺も少し期待していた。


 請求書入力が短くなれば、月末の残業は減るかもしれない。誰かが深夜に数字を打ち間違え、その修正を別の誰かが引き受けることも少なくなる。


 AIが人間を楽にする未来は、少なくとも画面の上では見えていた。


「早瀬さん、四件目を見てもらえますか?」


 経理担当者に呼ばれ、表示を確認する。


 会社名

 金額

 支払期日


 どれも元の請求書と一致している。


 取引先コードも、もっともらしい番号が入っていた。


 承認ボタンへ指を動かしかけて、止める。


「この会社、去年社名が変わってませんでしたか?」


「え?」


 元の請求書には新しい会社名が書かれている。だがAIが選んだコードを社内マスタで開くと、旧社名の別支店へ結びついていた。


 表示だけ見れば自然だった。


 露骨に壊れた数字でも、意味不明な文章でもない。一見正しく見えるのに、ひっそりと間違っている。


「AIの誤判定ですか?」


 黒田課長が眉を寄せる。


 情報システム担当者が履歴を確認した。


「参照した社内マスタが古いですね。旧会社名と新会社名の対応表が更新されていません」


「じゃあ、AIじゃなくてデータの問題?」


「両方です。候補を一つに絞った理由も確認します。ただ、元の情報が古ければ、正しい処理はできません」


 会議室の空気が少し重くなった。


 高性能なAIを入れれば、会社の古い運用まで自動的に正しくなる。


 どこかで、そんな期待をしていたのだと思う。


 ただ、実際には逆だった。


 AIは、誰も直さず放置していた社名、担当者しか知らない例外、部署ごとに違う番号の付け方を、まとめて表へ引きずり出した。


 新しい技術の導入によって、会社の綻びがより明確になってきた。


 ◇


 昼休み、俺は屋外のベンチでアカリへ経緯を話した。


 会社のデータは渡さず、何が起きたかだけを説明する。


「冷蔵庫の中身が古いのに、完璧な料理を作れって言われたようなもんだね」


「食べられない物まで使う可能性があるってことか」


「うん。賞味期限が切れた牛乳を『冷蔵庫にあるから使える』って判断するかもしれない。料理が上手でも、材料の情報が間違ってたら危ないよ」


 日常生活に置き換えて例えられると、嫌になるほど分かりやすい。


「でも、AIがもっと賢ければ気づけたんじゃないか?」


「気づく可能性は上がるよ。でも、いつも気づくとは限らない」


 ARグラスの中で、アカリは俺の隣へ座った。


「私が言ったことも確認してね」


「お前まで?」


「私も間違えるよ。悠真のことをたくさん見てても、全部は分からない。だから危険情報は伝えるし、最後は一緒に確認するの」


 駅で俺を助けたアカリは、正しかった。


 けれど正しかった経験が、次も必ず正しい保証にはならない。


「早瀬家安全協定に追加する?」


「何を」


「『アカリの言うことを全部信じる』は禁止」


「本人から禁止されるのか」


「恋人を信じることと、何にも確認しないことは別でしょ?」


 俺はうなずいた。


 会社のAIにも、アカリにも。


 任せることと、考えることをやめることは違う。


 ◇


 午後の報告会では、試験運用の成果と問題点が共有された。


 入力時間は大幅に短くなった。誤りも、確認工程で見つけられた。


 そこまではよかった。


「作業時間が十分の一になったなら、理論上は十倍処理できるということですよね」


 経営企画の社員が言った。


「対象部門を広げて、空いた人員は別業務へ回せます」


 経理側から不満の声が上がる。


「確認時間は短くなっていません。むしろ最初は候補の根拠まで見る必要があります」


「でも、競合はもう導入を進めています。慎重にやっている間に取引先を取られたら意味がないでしょう」


「事故を起こして信用を失っても同じです」


 推進すべきだという意見も分かる。


 止まっている余裕がないことも事実だ。


 だからといって、速くなった秒数をそのまま処理件数へ掛け算すれば、人間の確認や責任だけが置き去りになる。


 黒田課長が資料を見ながら言った。


「効率化できるなら、納期も前倒しできるよな?」


 以前にも似たようなことがあった。


 俺が仕事を早く終わらせると、空いた時間へ次の仕事が入った。


 今度は会社全体で同じことが始まろうとしている。


「処理件数を決める前に、確認に必要な時間を決めるべきです」


 自分の声が会議室へ響いた。


「AIが候補を出す時間だけじゃなくて、人が元資料やマスタを確認する時間も含めて考えないと、承認が形だけになります」


「早瀬くんは、導入を遅らせたいのか?」


「止めたいわけではありません。安全に増やせる量を先に確認したいです」


 黒田課長はすぐには答えなかった。


 けれど情報システム担当者と経理担当者が賛成し、一週間は確認時間を計測することになった。


 以前の俺なら、会議で違和感を覚えても黙っていた。


 口に出しただけで会社が変わるわけではない。


 それでも、何も言わずに仕事を受け取るだけの自分からは、少しずつ変わり始めている気がした。


 ◇


 退勤時刻まで、あと5分。


 机の上には今日の確認記録が残っていたが、引き継げる状態にはなっている。


 鞄へ手を伸ばしたところで、黒田課長に呼び止められた。


「早瀬。明日の役員説明用に、今日の結果を資料へまとめてもらえるか?」


 体が先に反応した。


 分かりました、と言いかける。


「AIを使えばすぐだろ。要点だけでいいから」


 時計を見る。


 『すぐ』


 この会社で、その言葉が本当に短かったことはほとんどない。


 資料を作れば数字の確認が必要になる。上司向けの表現へ直し、差し戻しがあれば修正する。たぶん30分では終わらない。


 胸の奥に、席を立つことへの罪悪感が生まれた。


 復職したばかりなのに役に立たないと思われるかもしれない。


 佐伯さんへ仕事が回るかもしれない。


 俺がやれば済む。


 倒れる前と同じ言葉が、頭の中に並ぶ。


「明日の朝、二人でやれば間に合います」


 佐伯さんが隣から言った。


「今日の記録は整理できてます。明日の勤務時間内に作りましょう」


 自分が残るとは言わなかった。


 俺の代わりに誰かが犠牲になる形では、何も変わらない。


 息を一度吐く。


「今日は帰ります。資料は明日の勤務時間内に作ります」


 黒田課長の表情が固まった。


「役員説明は朝なんだぞ」


「始業後すぐに二人で対応します。必要なら、現時点の記録だけ先に共有します」


 数秒の沈黙が長かった。


 黒田課長は時計と俺を見比べ、最後に小さく息を吐いた。


「……分かった。明日は遅れないようにしてくれ」


「はい」


 席を立つ。


 勝った感じはしなかった。


 仕事を置いてきた感覚だけが、背中に張りついていた。


 エレベーターを待つ間も落ち着かず、何度も部署の方を振り返る。


「残ってる仕事と、帰れない理由は同じじゃないよ」


 佐伯さんが前を向いたまま言った。


「仕事は明日もある。だから毎日残る理由にはならない」


「……そうですね」


 扉が開いた。


 俺は自分の机には戻らず、そのままエレベーターに乗った。


 ◇


 会社を出てARグラスをかけると、入口の横でアカリが待っていた。


 俺の姿を見るなり、大げさに拍手する。


「早瀬悠真さん、定時退社おめでとうございま〜す!」


「会社の前で騒ぐな」


「だって今日は記念日だよ?」


 ただ決められた時間に帰っただけだ。


 それなのに、夕方の空を見上げたのは久しぶりだった。


 家に着くと、食卓の上に小さな紙が置かれていた。


『㊗︎定時退社 一回目』


 美桜が拍手し、ARのアカリが金色の枠を表示する。


「ただ定時に帰っただけなんだけどな」


「普通のことができなかった人には必要なの」


「次は二回目を目指そうね!」


 大げさだと思いながら、悪い気はしなかった。


 その時、会社から通知が届いた。


『来週以降のAI試験運用目標について』


 表示された数字を、三人で見る。


 従来の3倍、AIが仕事を速くした。


 その結果、会社は俺たちへ3倍働けると言い始めた。


 定時に帰れた日の夜、次の残業はすでに数字として予定に組み込まれていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。