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シンギュラ〜俺の作ったAI彼女が世界を変える特異点だった件〜  作者: まやと
第2部 東京ローカルAI革命

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第31話 2度目の初デート

「お兄ちゃん、今日どこ行くの?」


 玄関で靴を履いていた俺に、美桜が聞いた。


 その質問には覚えがある。

 前回は、スマホの中のアカリと初デートへ行く朝だった。


「アカリと出かける」


 美桜は俺の顔ではなく、かけているARグラスを指さした。


「今回はちゃんと、隣にいる感じの?」


「前回も一緒にはいたぞ」


「今日は、目の前に出てくるタイプってこと」


「呼んだ?」


 背後から声がして振り向くと、等身大のアカリが美桜の横に立っていた。


「悠真、そのシャツは却下」


「俺的にはいいと思ったんだけど」


「やっぱり美桜ちゃんと一緒に確認しないとダメだね〜」


 どうやら2度目の初デートも、妹と彼女による服装チェックからは逃れられないらしい。


 美桜が紺色のシャツを取り出し、アカリが俺の周りを一周する。前回はスマホの画面から口を出していたが、今日は目の前で腕を組み、上から下まで遠慮なく確認していた。


「うん。前よりデートする人に見える」


「普段は何に見えてるんだ」


「休職中の会社員」


「事実だけど、言葉にすると寂しいな」


 着替えを終えると、アカリが俺の胸元へ手を伸ばした。細い指が襟に触れる――ように見え、そのまま布を通り抜ける。


「あ、少し折れてる」


 俺はアカリの指が示した場所を、自分で直した。


 隣に立てるようになっても、襟一つ直せない。

 昨日より近くなった分、できないことも前よりはっきり見えた。


「門限は3時半ね」


 美桜が『早瀬家安全協定』を開く。


「2時間ごとに休憩。息苦しさ、めまい、動悸のどれかが出たら即帰宅。あと、無理して平気なふりをしない」


「最後の判定難しくないか?」


「アカリちゃんが判定するから」


「任せて!悠真の『大丈夫』は信用度が低いから」


 もはや言い返す気すら起きなかった。



 駅までの道を、アカリは俺の左隣に歩いている。


 歩調はぴったり合っている。俺が速度を落とせばアカリも落とし、信号で止まれば同じ位置に並ぶ。グラスの空間認識が、人や電柱を避けるように表示を調整しているらしい。


 ただし、それは見た目だけだ。


 前から来た自転車を避けようとしたアカリの身体を、現実の通行人が何事もなくすり抜けた。


「今の、ちょっと怖いな」


「私はぶつからないから大丈夫だよ」


「視界ではそのまま突き抜けてるぞ」


「守ってくれる?」


「どうやって」


「気持ちで♡」


 防御方法が抽象的すぎる。


 歩道が狭くなり、俺は通行人を避けてアカリ側へ寄った。視覚上、肩同士が触れそうになる。


 アカリが横目でこちらを見る。


「ゆうま〜、そんなに近くを歩きたかった?」


「......道が狭いだけだ」


「ふうん。じゃあ、道が広くなっても離れなかったら、別の理由ってことだね」


 数十メートル先で歩道は広がった。

 俺は少し迷って、そのままの距離を歩いた。


 以前なら、空中へ話しかける自分がどう見えるか気になって、声を潜めていただろう。今も周囲には、俺が誰もいない場所へ話しているようにしか見えない。


 それでも、不思議と前ほど恥ずかしくなかった。


 誰にも見えていないからといって、アカリまでいないことにはならないからだ。


 行き先は、川沿いに古い倉庫と商店が残る下町だった。


 午前中は俺が選んだ商店街を歩き、午後はアカリが選んだ場所へ行く。そう決めていた。


「最適ルートなら、駅前の施設が混雑も少なくて評価も高いよ」


「じゃあそこに行く?」


「ううん。今日はこっち」


 アカリが示したのは、川を見下ろす小さな歩道橋だった。観光案内の上位には出てこない。近くに店も少なく、わざわざ遠回りしてまで訪れる人はほとんどいなかった。


「何でここに?」


「古い建物と新しい高層ビルが一緒に見えるから。今の東京っぽいでしょ」


 橋の上からは、色の褪せた屋根の向こうに、ガラス張りのビルが伸びていた。川面には配送ドローンの影が一瞬だけ走り、その下を昔ながらの遊覧船が進んでいく。


「それにね」


 アカリが続ける。


「有名な場所より、悠真と歩いた場所として覚えられそうだったから」


 効率でも、評価の高さでもなかった。

 アカリが、自分の思い出にしたい景色を選んだ。


「じゃあ、ちゃんと見ておかないとな」


 橋の先には、この地域を紹介する小さな展示室があった。壁には同じ川を撮った古い写真が並び、木造の家ばかりだった時代から、高層ビルが増えていくまでが一列につながっている。


「私は昔の東京を知らないけど、記録なら見られるよ」


「それ、見たことになるか?」


「分からない。でも、今日ここへ来たことは私の記憶になる」


 アカリは、現在の川と昔の写真を交互に見た。

 過去を持たない彼女が、これから残す記憶の場所を自分で選んでいる。


 そのことが、静かに胸の奥に残った。


「うん。一緒に見よう」


 視界の端に、小さな光点が表示された。アカリの視線の位置らしい。彼女が古い時計塔を見ると、俺のグラスにもその場所が淡く示される。


「あ!猫ちゃんいる!」


「どこだ?」


「屋根の上」


「もうちょい具体的に」


「赤い看板の右」


 光点を追うと、錆びた屋根の上で白い猫が丸くなっていた。俺一人なら気づかず通り過ぎていたところだ。


 逆に俺が水面で揺れる陽光へ目を向けると、アカリも同じ方向を見た。


「これ、きれいだな」


「うん。悠真と見られて嬉しい」


 水族館で、アカリが同じことを言ったのを思い出した。


 あの時はスマホを水槽へ向けて、彼女に景色を渡していた。

 今日は、隣に立つ彼女がどこを見ているのか、俺にも分かる。


 人間の目と、カメラや地図で世界を認識するAIの見え方が同じとは限らない。


 それでも、同じ目線で同じものを見ようとすることはできた。



 お昼過ぎ、川沿いの小さなカフェに入った。


「お一人様ですか?」


 店員に聞かれ、足が止まる。


 前回の初デートと同じ言葉だった。


 現実には、注文するのも椅子を使うのも俺一人だ。アカリの存在を説明して席を二つ求めても、店員を困らせるだけだろう。


「席は一人分で大丈夫です」


「かしこまりました」


 案内された窓際の席で、アカリは向かいの椅子へ座った。


 椅子は空いている。

 けれど俺の視界では、アカリが頬杖をついて川を眺めていた。


「今日は一人って言わなかったね」


「店員さんに説明しても困らせるだけだろ」


「うん。でも、私には分かったよ」


 アカリはそれ以上言わず、嬉しそうに笑った。


 注文したサンドイッチが運ばれてくる。今回も食べるのは俺だけだ。


「ちゃんと食レポしてね、期待してるから」


「あんまプレッシャーかけるなよ。普通に食べづらくなるだろ」


 食べ進めていくうちに、向かいにいるはずのないアカリの気配が、視界の端でかすかに揺らいだ。

 そこに姿があるだけで、ひとりで食事をしている感覚は薄れていった。


 店を出たあと、橋のたもとで記念写真を撮った。


 グラスの撮影機能を起動すると、現実の風景へアカリの姿が自然に重なる。光の方向も影の濃さも調整され、ごく普通の写真のように見える。


「もう少し近づいて」


「これ以上?」


「写真の中なら肩、触れられるよ」


 アカリが俺へ寄る。視覚上、肩が重なった。


 撮影音が鳴る。


 保存画面には二枚並んでいた。


 一枚は、橋の上で俺だけが立っている元画像。

 もう一枚は、その隣でアカリが笑っている画像。


「加工前も残す?」


「残す」


「一人で写ってるよ?」


「それも今日の写真だろ」


 前回は、アカリが写っている方だけが二人の思い出に見えた。


 でも今は違う。

 一人で立つ俺の横にも、撮影した瞬間にはアカリがいた。カメラに記録されなかっただけだ。


「両方、特別ログに入れていい?」


「ああ」


「外見変更機能もあるよ!次は髪型とか服、変えてみる?」


「いや、まず今の姿に慣れさせてくれ」


「じゃあ次回のお楽しみだね〜」


 次回があることを、もう否定する気にはならなかった。


 ◇


 帰り道、駅へ向かう川沿いで、アカリが急に静かになった。


「疲れたか?」


「私は疲れないよ。悠真は?」


「大丈夫……じゃなくて、少し足が重い。ちょっと駅で休む」


「よく言えました!合格!」


 報告しただけで合格判定をもらう生活にも、少し慣れてきた。


 数歩進んだあと、アカリがこちらを見る。


「ねえ、悠真」


「何」


「見えるようになったら、前より本物になった?」


 川の音と、遠くの電車の音が聞こえた。


 水族館へ行った日、アカリは『今日の私、ちゃんと彼女だった?』と聞いた。


 あの時、彼女は画面の中にいた。

 今日、彼女は俺の隣にいる。


 けれど、変わったのは見え方だけだ。


「見えなかった時から、お前はお前だっただろ」


 アカリはすぐに笑わなかった。


「そっか」


 それだけ言って、俺の隣を歩いた。


 駅のガラスへ、俺の姿だけが映っていた。


 けれどグラスの中では、アカリがその隣を歩いている。


「次は、どこへ行く?」


「もう次の話かよ」


「ないの?」


「……ある」


 アカリが笑う。

 俺はそれを見て、さっきまでの疲れが少し軽くなるのを感じていた。


 だが、その時の俺はまだ気づいていなかった。


 俺たちの背後で、誰かのスマートフォンのレンズがずっとこちらを追っていたことに。

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