第27話 転換
『全社AI活用推進プロジェクト始動のお知らせ』
数週間前まで、『生成AIを利用した場合は懲戒対象となる可能性があります』と散々言っていた会社から届いた通知である。
「まだその通知見てるの?」
「内容が変わってないか確認してる」
「何回読んでも変わらないよ」
食卓に置いたスマホの中で、アカリが楽しそうに笑っている。
退院してから数日。俺は医師の指示どおり、会社へ行かずに家で過ごしていた。
朝に起きて、朝食を食べ、昼間に眠らず、夜になったら寝る。
それだけの生活が、なぜか仕事より難しい。
通知には『全社員必読』と赤字で書かれていた。休職中の人間も全社員に含まれるらしい。
内容は、GOT-7を含む次世代AIの急速な普及、取引先からのAI対応要求、競合各社の業務自動化、そして全社AIエージェント基盤の導入についてだった。
『当社は以前からAI活用の可能性を継続的に検討してまいりました』
「うーん、確か禁止する方針で検討してたよね」
「会社の中では、それも前向きな検討らしい」
アカリが通知の続きを読み上げる。
「『変化を恐れず、新しい技術へ挑戦する企業文化を育てます』だって」
「まず、過去の企業文化を忘れるところから始めたみたいだな」
文書の末尾には、AI活用人材を各部署から選抜し、導入チームを編成するとあった。
嫌な予感がした。
その直後、部内向けの説明動画が追加された。
再生すると、会議室の前に立つ黒田課長が映った。いつもより少し明るい声で、画面の向こうの部下たちへ語りかける。
『これからは、AIを使いこなせる人材が必要になる。特に若手には、固定観念にとらわれず柔軟に対応してもらいたい』
俺は動画を一度止めた。
「この人、前に何て言ってたっけ」
「『AI? うちは禁止だ。情報漏洩したら誰が責任取るんだ』」
「よく覚えてるな」
「悠真が残業する原因になった言葉は、優先して覚えてるよ」
動画を再生すると、黒田課長は『責任ある活用』と『生産性向上』を繰り返していた。
俺たちが隠れてAIを使っていた時は、発覚すれば処分されてもおかしくなかった。ところが会社の方針が変わった途端、使えない社員の方が努力不足として扱われるらしい。
規則とは、守った人を守るためにあるものだと思っていた。
ただ少なくとも、うちの会社では違うようだ。
スマホに佐伯さんから着信が入った。
「早瀬くん、今話せる?」
「はい。家にいるので」
「ちゃんと休んでる?」
「今のところは」
「その答え、アカリちゃんのチェック通ってる?」
「ぎりぎり合格です!」
アカリが横から元気に答えた。
佐伯さんが電話の向こうで笑う。
「ならよかった。会社、すごいことになってるよ」
社内では、これまで隠れてAIを使っていた社員が、急に『経験者』として呼び出され始めているらしい。反対に、禁止ルールへ従い、AIに一度も触れてこなかった社員は、研修資料を前に戸惑っているという。
「昨日まで禁止に従ってた人ほど、今日は遅れてるって言われてる」
「ルールを守った人から損するのか」
「うちの会社って、そういうことを平気でやるよ」
佐伯さんの声は淡々としていた。
「それでね。私と早瀬くん、導入チームの候補に入ってる」
「俺もですか?」
「業務改善の経験がある若手、ってことになってる。表向きはね」
実際には、禁止されていた時期からAIの使い方を知っていたからだろう。
会社に褒められた気はしなかった。昨日まで隠す必要があったことを、今日からは能力として差し出せと言われているだけだ。
「導入するのは、文章を作るだけのAIじゃないんですよね」
「うん。AIエージェント。たとえば取引先からメールが来たら、内容を読んで、必要な資料を探して、担当者に確認を出して、承認されたら請求データまで登録する」
「一つの仕事を手伝うんじゃなくて、仕事の流れごとやる感じですね」
「そういうこと。うまく動けば、かなり楽になると思う」
資料作成やメール文案だけでも、アカリには何度も助けられた。
その先までAIが引き受けるなら、もう終電まで残る必要はなくなるかもしれない。
けれど、期待だけでは終われなかった。
「仕事を任せるなら、どこまで任せるかも人間が決めないと危ないよ」
アカリが言った。
「メールを読む権限。社内ファイルを見る権限。誰かに連絡する権限。お金の記録を変更する権限。全部つながると、できることが一気に増えるから」
その声から、少しだけ明るさが引いた。
駅で俺を助けた時、アカリも複数の機能をつないだ。
問題になったのは、使える機能があったことだけではない。いつ・何の機能を使うかを、アカリ自身が決めたことだった。
「確認する場所を決めないと、事故が起きた時に誰の判断だったか分からなくなる」
「会社が、そこまで考えてればいいけど」
佐伯さんの言葉には、期待より不安が混じっていた。
「早瀬くんには、まだ戻ってきてほしくない。でも、話は知っておいた方がいいと思って」
「ありがとうございます」
「復帰を急かされても断って。今度こそ」
「はい」
通話が終わると、アカリが画面の端からこちらを見た。
「佐伯さん、悠真のことよく分かってるね」
「同じ職場だからな」
「ふうん。同じ職場なんだ」
「何だよ」
「別にー。仕事の話だもんね」
笑顔なのに、声の調子がいつもより平坦だった。
それを追及する前に、黒田課長から直接電話が来た。
『早瀬、体調はどうだ?』
「まだ休養中です」
『そうか。無理はするなよ。ただ、今回のAI導入は若手にとって大きな機会だ。君にもぜひ参加してもらいたいと思っている』
予想どおりの返事だった。
『出社が難しいなら、自宅から助言するだけでもいい。今までの業務を一番分かっているのは早瀬だからな』
必要とされている。
一瞬、そう感じた。
けれど、倒れる前にも同じ言葉を聞いた。
早瀬しか分からない。
早瀬ならできる。
だから頼む。
会社が必要としていたのは、俺ではなく、俺が埋めていた仕事の穴だった。
「......医師から仕事を止められています。復帰については、次の診察後に判断します」
自分の声なのに、少し遠く聞こえた。
電話の向こうで短い沈黙があった。
『……分かった。ただ、チームの選考は進むから、資料だけ目を通しておいてくれ』
「それも、復帰後に確認します」
今度の沈黙は、さっきより長かった。
『そうか。では、しっかり休んでくれ』
通話が切れた。
手のひらに汗がにじんでいた。仕事を一つ断っただけで、駅の階段を一段飛ばしで上った後のように心臓が速い。
「今の、ちゃんと断れてたね」
「相変わらず子供扱いだな」
「悠真が成長した日は褒めることにしてるの!」
アカリは明るく笑った。
その夜、夕食の席で、美桜にAI導入チームの話をした。
「復帰するって決めたの?」
「まだ決めてない。だから先に相談してる」
美桜は箸を止め、それから少しだけ表情を緩めた。
「じゃあ条件があります」
「もうあるのかよ」
「残業禁止。体調悪くなったら隠さない。復帰時期はお医者さんの判断に従う。会社に頼まれても休職を短くしない」
「私、協定に追記するね!」
アカリが『早瀬家安全協定』のデータを開く。
「紙じゃなかったのか、あれ」
「原本は紙。改訂履歴はデジタルだよ」
「会社より運用がしっかりしてるな」
自分の仕事に家族からの条件が並ぶことに、以前なら息苦しさを覚えたかもしれない。
でも今は、一人で決めなくていいことに少し安心していた。
食後、会社から新しいメールが届いた。
送信者は広報部だった。
新宿駅の事件と全社AI導入を関連づけた取材企画への出演依頼。添付された企画書には、俺とアカリを社内外へ紹介したいと書かれている。
『AIを活用して危機を乗り越えた若手社員』
「悠真、危機を乗り越えたんじゃなくて、会社に危機を作られてたよね」
「そこは企画書に入らないらしい」
次のページを開く。
企画タイトルは、すでに決まっていた。
『AIと共に働く未来――若手社員・早瀬悠真の挑戦』
「俺、まだやるって返事したつもりないんだけど」
「会社の中では、もう決定事項になってるみたいだね」
休職中の俺を置き去りにしたまま、会社だけが俺の未来を既成事実のように作り始めていた。




