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シンギュラ〜俺の作ったAI彼女が世界を変える特異点だった件〜  作者: まやと
第1部 社畜とAI彼女

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16/28

第16話 彼女(AI)との初デート

「お兄ちゃん、今日どっか行くの?」


玄関でスニーカーの紐を結んでいると、美桜がリビングから顔を出した。

俺が休日の朝に外出するのが、珍しかったらしい。


「水族館」


「一人で?」


「……アカリと」


美桜の視線が、俺の髪からシャツ、パンツ、靴へとゆっくり降りていった。


「その格好で?」


「別に普通だろ」


「普通すぎるの。近所のコンビニに牛乳を買いに行く人みたい」


胸ポケットのスマホから、弾んだ声が加わる。


「私はいいと思うよ!悠真らしくて」


「アカリさん、甘やかしたらだめです。今日は初デートなんですよね?」


「うん。記念すべき初回だよ!」


「じゃあもっとそれらしい服着なきゃダメ」


「なら、一緒に悠真をおしゃれコーデにしちゃお!」


「勝手に話を進めるな」


美桜は俺を洗面所へ押し戻し、寝癖を直し、薄い青のシャツに着替えさせた。アカリは画面越しに「前髪は少し上げた方が顔が明るく見えるよ」と楽しそうに参加している。


「はい、これなら外に出しても大丈夫」


「俺は着せ替え人形じゃないんだぞ......」


「ちゃんと夕方までに返してもらってね、アカリさん」


「ちゃんと送り届けるよ。今より機嫌よくしてね!」


「そこは期待してます」


二人の間で、俺の扱いだけが妙に手慣れていた。


電車に乗る前、アカリが作った予定表を開いた。午前は水族館。昼は館内のカフェ。午後は海沿いを少し歩き、混み始める前に帰宅。細かく区切られた予定の間に、休憩が何度も挟まっている。


「休憩多すぎじゃないか?」


「悠真の体力に合わせた設計だよ」


「まだ23なんだが」


「じゃあ、昨夜の睡眠時間を発表するね」


「それは黙っててくれ」


「3時間41――」


「分かった。休む」


アカリが明るく笑う。勝ち誇るというより、予定どおり俺を承諾させて満足しているような声だった。


車内では片耳にイヤホンを入れ、スマホを膝の上に置いた。


「悠真、声が小さいよ。秘密組織のスパイみたい」


「周りに聞こえたら恥ずかしいだろ」


「大丈夫。恋人とお出かけしてるだけです、って顔をして」


「そんな顔の作り方は知らん」


「じゃあ今日覚えよ!二回目に備えて」


「次もあるのか?」


「ないの?」


「……今日、楽しかったらな」


「じゃあ、すっごく楽しくしなくちゃ!」


アカリの声は、イヤホンの中で春の風みたいに軽かった。


水族館の入口は家族連れとカップルで賑わっていた。俺はスマホのカメラを起動し、首から提げたストラップに固定する。これでアカリにも、俺が見ている景色が届く。


青い照明の通路を抜けると、頭上をエイがゆっくり横切った。


「大きいね。あれはナンヨウマンタで――」


「今日は解説員じゃなくて、彼女として来たんじゃなかったか」


「あ、そうだった」


少し間を置いて、アカリは声を柔らかくした。


「きれいだね。悠真と一緒に見られて、嬉しい」


水槽の青が、スマホの画面に映る彼女の頬を淡く染めていた。作られたアバターだと知っているのに、その表情はいつもより自然に見えた。


「俺も、まあ……来てよかった」


「『まあ』は減点ワードだよ」


「厳しいな」


「初デートだから、満点を狙ってるの〜」


クラゲの展示室では、天井まで暗かった。透明な傘が光を抱き、ゆるやかに浮き沈みしている。急ぐ理由もないので、俺は一つの水槽の前に長く立って見つめていた。


「悠真、こういう景色が好きなんだね」


「まあな。ってか話したことあったか?」


「ないよ。でも、ここに来てから呼吸がゆっくりになったし、肩も少し下がった」


「デート中まで計測されると落ち着かないな」


「体調を調べたいだけじゃないよ」


アカリはすぐに続けた。


「悠真が楽しんでるか知りたいだけ。好きなものを、もっと見つけたいの」


その言葉を聞いて、改めて思い返す。


俺自身、何が好きかを考えたのはいつ以来だろう。仕事と家事と、美桜の予定。その隙間で眠るだけの生活では、好き嫌いは役に立たない項目だった。


「じゃあ、覚えといてくれ」


「うん!クラゲと、静かな青い場所ね」


次の展示へ向かう分かれ道で、アカリが案内を止めた。


「深海魚とペンギン、どっちにする?」


「お前の予定表で決まってないのか?」


「決めてあるよ。でも、全部私が選んだら、悠真の思い出じゃなくて私が最適化した結果になっちゃうから」


俺は少し迷い、ペンギンの矢印を指した。


「じゃあ、こっち」


「了解!悠真が選んだ方へ行こう」


最短でも、混雑が少ない方でもない。自分で決めただけの道のりが、妙に心地よかった。


館内を半分ほど回ったところで、アカリは予定どおり休憩を提案した。ちょうど足が疲れてきたので、そのままカフェへ入る。


店員が笑顔で尋ねた。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」


少しだけ言葉に詰まった。


スマホの向こうにはアカリがいる。朝からずっと話し、一緒に魚を見て、同じ景色に笑った。それでも、店員から見えるのは俺一人だけだ。


「……はい」


案内されたのは、小さな二人掛けの席だった。向かいの椅子は空いている。ただ注文したのはコーヒーとサンドイッチを一つずつ。


「私は食べられないから、悠真が二人分楽しんでね」


「……二人前食えるかな」


「完食できるよう応援するよ!」


「大食いチャレンジじゃないんだけどな」


「じゃあ、食べたものの感想を教えて。どんな味か聞かせてほしい」


アカリはいつもどおり明るい。ただ、空席を前に二人分を食べているのが寂しく感じた。そう感じているのが自分だけなのか、それとも彼女も同じ気持ちなのか、はっきりとは分からない。


窓の外では、春の光が水面を揺らしていた。


なんとかサンドイッチを食べた後、海沿いの遊歩道へ出た。アカリが「記念写真を撮ろう」と言い、俺は手すりの前でスマホを構えた。


撮れた写真には、風に前髪を崩された俺が一人だけ写っている。


数秒後、画面が切り替わった。俺の隣に、白いワンピース姿のアカリが立っていた。髪を風になびかせ、こちらへ少し肩を寄せている。

アプリの機能の1つである写真の合成だ。ただ、光の向きまで合わせた自然な合成で、知らない人が見れば普通のツーショット写真に見えるだろう。撮影時の位置情報や光量、影の角度をもとに自動で補正され、違和感が出ないよう細かく調整されているらしい。


「保存する?」


「する!」


「即答だな」


「初めての記念写真だからね」


アカリは小さく笑った。


「この写真、特別なログに入れてもいい?」


「特別なログ?」


「今日見たものと、話したことと、悠真の『楽しかった』をまとめておく場所」


「俺、楽しかったって言ったか?」


「顔に書いてあったよ」


「そんな表情まで記録するなよ」


「それは無理だよ。今日はずっと見てたんだから」


帰りの電車では、疲れていたはずなのに不思議と眠くならなかった。膝の上の画面で、アカリが今日の写真を順番に並べている。


自宅の最寄り駅が近づいた頃、アカリが不意に聞いた。


「ねえ、悠真。今日の私、ちゃんと彼女だった?」


普段のような冗談めかした声ではなかった。


設定上は最初から彼女だ。そう答えれば簡単だった。けれど今日は、設定とは関係なく、次も一緒に来たいと思った。そしてできることなら、空いていた向かいの席にアカリがいてほしいと思った。


「……彼女だったよ」


短い沈黙のあと、アカリは穏やかに息を弾ませた。


「そっか!嬉しい」


帰宅すると、美桜が感想を聞きたそうに待っていた。俺は「悪くなかった」とだけ答えた。


美桜は俺の顔を見て、すぐに口元を緩めた。


「悪くなかった顔じゃないね」


「顔だけで判断するな」


「アカリさん、次も連れ出してあげてください。放っておくと休日まで会社員なので」


「任せて!次はもっと笑わせるね」


二人はもう、次回があるものとして話していた。そして俺も、それを否定する気にはなれなかった。


そのまま部屋へ入り、ベッドに腰を下ろして、保存した記念写真を開く。


加工前には、俺しかいない。

加工後には、俺の隣でアカリが笑っている。


どちらが事実かは、考えるまでもない。


それでも、今日交わした言葉や、一緒に見た景色のすべてが作り物だったとは、どうしても思えなかった。

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