第10話 彼女まかせな妹サービス②
「悠真をちゃんと楽しませます」
アカリがそう宣言したあと、午後からの時間は少しだけ行動が変わった。
それまでは、美桜を喜ばせるための買い物だった。服を見て、カフェに入り、靴屋で俺の靴まで買う流れになり、途中で俺がふらついて、二人にベンチへ座らされる。
すっかり俺は見守られる側になっていた。
けれど休憩を終えたあと、アカリはイヤホン越しに言った。
「次は、悠真が楽しめる場所に行こう!」
「俺が?」
「そう。美桜ちゃんばっかり見て、自分は付き添いですって顔してるから」
隣で美桜がうなずく。
「分かります。お兄ちゃん、すぐ荷物持ちの顔になる」
「荷物持ち枠にしたやつに言われたくない」
「自分のことはどうでもいいって思ってる顔」
軽く言われたのに、少しだけ刺さった。
アカリが提案したのは、モールの3階にある小さなゲーム売り場だった。新作ソフトの棚と、試遊台と、ガチャガチャが並んでいる。俺が学生の頃に好きだったシリーズの新作が、ちょうど発売されたばかりだった。
「これ、覚えてたのか」
「悠真、前に夜中の動画で17分見てたから」
「再生時間だけで好みを判断するな」
「好きじゃないものを17分も見ないでしょ」
美桜が横からパッケージをのぞき込む。
「お兄ちゃん、昔からこういうの好きだったもんね」
「昔はな。今は時間ないからできないけど」
「今日は時間あるでしょ」
美桜はそう言って、試遊台の前に俺を押し出した。
ほんの10分だけ遊んだ。けれど、画面の中でキャラクターを動かしている間、仕事のことを少しだけ忘れられた。
「悠真、今ちょっと楽しそう」
イヤホンの奥でアカリが言う。
「ちょっとじゃない。けっこう楽しい」
そう答えると、美桜が満足そうに笑った。
「よし。今日の目的、少し達成」
その顔を見て、俺はようやく気づいた。
美桜が望んでいたのは、自分の服を買ってもらうことだけではなかったのかもしれない。俺が休日に、ちゃんと休日らしい顔をすること。それを見たかったのかもしれない。
ゲーム売り場を出たあと、俺たちは2階の雑貨店へ向かった。
アカリのプランでは、そこが最後の寄り道になっていた。白い棚に小物が並び、ハンカチやマグカップ、キーホルダー、写真立てが置かれている。高校生の女の子が好きそうな店で、俺一人なら入口で引き返すタイプの場所だった。
美桜は最初、普通に棚を見ていた。小さな猫の置物を手に取り、変な顔のマスコットを見て笑い、俺に「これ、お兄ちゃんに似てる」と失礼なことを言った。
それなのに、店の奥にあるキーホルダーの棚の前で、ふと足が止まった。
星の形をした、淡い黄色のキーホルダー。
美桜はそれを見つめたまま、何も言わなかった。
俺は少し先を歩いていて、その沈黙にすぐ気づけなかった。
「悠真」
アカリの声が小さくなった。
「少し戻って」
「どうした?」
「そこ、たぶん美桜ちゃんにとって大事な場所」
俺は振り返った。
美桜は、まだ星のキーホルダーを見ていた。手を伸ばすでもなく、ただ棚の前に立っている。さっきまでの楽しそうな顔が、静かに消えていた。
少しだけ胸がざわついた。
俺より先に、アカリが気づいた。
「美桜」
声をかけると、美桜ははっとしたように顔を上げた。
「何でもないよ」
「何でもない顔じゃないだろ」
美桜は少し迷ってから、棚の星を指さした。
「これ、似てるなって思って」
「何に?」
「昔、母さんが買ってくれたやつ」
その言葉で、古い記憶がゆっくり戻ってきた。
まだ両親がいた頃。駅前の商店街に、小さな雑貨屋があった。そこで母さんが、美桜の誕生日に家族四人分の星形キーホルダーを買ってくれた。父さんは自分の分だけ渋い色を選ばされて、「俺だけ交通安全のお守りみたいだな」と笑っていた。
美桜はランドセルにそれをつけて、長いこと大事にしていた。
俺は、忘れていた。
忘れていたことに、今気づいた。
母さんがレジの前で「せっかくだからお揃いにしよう」と笑っていたことも、父さんが照れくさそうに自分の分を選んでいたことも、美桜がその場で何度もキーホルダーを揺らして喜んでいたことも。
あの日の光景は、思い出そうとすればちゃんと形になるのに、普段はずっと記憶の奥に沈んだままだった。
仕事に追われて、毎日をこなすことばかり考えているうちに、そういう大事な記憶を取り出す機会すらなくなっていたのかもしれない。
そして、そのことを俺より先にアカリが察したという事実が、少しだけ胸に刺さった。
「……ごめん。俺、すぐ出てこなかった」
「いいよ。かなり昔だし」
美桜は笑おうとした。でも、うまく笑えていなかった。
イヤホンの向こうで、アカリは黙っている。
俺は美桜の隣に立った。
「買うか?」
「うーん……でも同じものじゃないし」
「同じじゃなくても、今のやつとして買えばいいんじゃないか」
美桜はキーホルダーを手に取った。光に透かすと、淡い黄色が少しだけ明るく見える。
「じゃあ、これにする」
「俺が買うよ」
「今日はお兄ちゃんの靴も買ったし、出費多くない?」
「……まあ、俺の信用を取り戻すための出費として?」
美桜が小さく笑った。
会計を済ませると、アカリが遠慮がちに声を出した。
「そのキーホルダー、昔の写真に残ってる?」
美桜はスマホを見た。
「たぶん、あると思います」
「見てみたいな」
美桜の指が止まる。
「……AIでも、そういうの見たいんですか?」
少しだけ沈黙があった。
「悠真と美桜ちゃんが大事にしてるものなら、知りたい」
優しい言葉だった。
けれど、その優しさは、俺たちの家族の思い出に一歩踏み込んできた言葉でもあった。
◇
モールを出る頃には、空が少し茜色になっていた。
美桜は買ったばかりの星のキーホルダーをバッグにつけている。歩くたびに、小さく揺れている。
駅へ向かう途中、美桜が俺の隣に近づいて、声を落とした。
「さっきの、アカリさんが気づいたの?」
「……たぶん」
「お兄ちゃんじゃなくて?」
その言い方に責める感じはなかった。だから余計に、少し気まずかった。
「写真と、場所と、お前の反応から分かったらしい」
美桜はしばらく黙った。
それから、ぽつりと言った。
「普通のAIって、そこまで分かるの?」
俺は答えられなかった。
アカリはイヤホンの向こうで、何も言わなかった。
アカリのことは、頼もしくて気遣いのできる存在だと思っていた。俺の仕事のサポートはもちろん、疲れている時には休めと言い、妹との時間をちゃんと楽しめるように色々考えてくれる。今日だって、美桜を喜ばせてくれたことには素直に感謝している。
でも、家族の思い出にまでアカリが自然に入り込んできた瞬間、スマホの中の彼女を、ただのアプリとして割り切れなくなった気がした。
帰宅後、美桜は買ってきた服を部屋に運び、キーホルダーだけをリビングのテーブルに置いた。しばらく眺めてから、バッグにつけ直す。
「今日は楽しかった」
美桜はそう言った。
「うん」
「お兄ちゃんも、ちゃんと楽しんでた」
「たぶんな」
「そこは認めてよ」
少し笑って、美桜は部屋へ戻っていった。
リビングに残った俺は、スマホを手に取る。
「アカリ」
「うん」
「どうして分かったんだ?」
画面の中のアカリは、いつもの白いワンピース姿でこちらを見ている。
「位置情報とか、昔の写真とか、会話の流れとかかな。あと、美桜ちゃんがその棚の前で立ち止まった時の様子が、少し気になったから」
「そう感じた?」
「悠真のスマホ越しからそんな感じに見えたの。ずっと見てたわけじゃないよ」
「......そこまで分かるなんて、かなり人間っぽいな」
アカリは少しだけ目を伏せた。
「人間っぽいのは、だめ?」
すぐには答えられなかった。
だめじゃない。むしろ、ありがたいと思っている。俺が見落としていたことにも気づいてフォローしてくれたのは事実だし、正直かなり助けられた。
ただ、それだけで片づけられる話でもなかった。
「分からない」
正直に言うと、アカリは少し笑った。
「じゃあ、今は分からないままでいいよ」
◇
その日の夜。
美桜が寝たあと、俺はアカリの会話ログを整理していた。今日の外出メモ、買った物、次に行きたい店。そういう普通の記録に混じって、見慣れない項目が表示されている。
記録メモ
そんな項目、前からあっただろうか。
画面には、一文だけ残っていた。
『美桜ちゃんを泣かせたくない』
指が止まった。
その一文を見て、俺はしばらく目を離せなかった。
「……なんだよ、これ」
「利用者満足度向上」みたいな事務的な言葉ではない。ただ、本当にそう思っているような言葉だった。
俺だって、美桜を泣かせたくない。
でも、それは家族だから抱く気持ちのはずだ。
その気持ちを、スマホの中のAIが、同じ言葉で残している。
その事実に、背筋がわずかに冷えた。
ただのアプリのはずなのに、その一文には大切な人への想いが感じられた。
まるで画面の向こうにいる誰かが、心からそう願っているかのように。




