24.抑制
「……あの人はお仕事をしている感じは全くしませんでしたけど、何なんですかね?……」
レイリーリャはブコン屋の川ウソ青年の振る舞いに呆れながら、ヌ=カスマダ老人に聞く。
「まー、アェはそういうかぅい男じゃかぁ、気にすぅ程のモノじゃないのう。」
老下僕がする説明の声の調子は淡々としている。
「アェでも仕事はしっかぃ……いや、それなぃに、クビになぁない程度には、やってぅからのう。」
ヌ=カスマダ老人が川ウソ獣人のフォローを試みたが、彼が過去に色々しでかした事を思い出してしまったようで、余りフォロー出来てなかった。
眉間に皺が寄っている割にはあっさりとした笑いを口許に浮かべている。フォローし切れていなかった事をすんなり受け入れ気にしていないようであった。
そして一度に運びきれずに置いてある商品を抱え、再び控室に入っていった。
レイリーリャは礼拝堂に独り残される。
…………それにしても、あの人が言っていた『粉の天然水』って何なの?
水って粉末になるものなの?
彼女は川ウソ獣人が去り際に勧めていた『粉の天然水』について、あれこれ考え込んでいた。
…………氷を砕いたら粒にはなるけど、それとは違うよね?……
彼女はネレイステセシア像に目を向ける。しかしそれがその答えを告げる事などある訳が無く、独り考え込む。
ヌ=カスマダ老人が控室から戻ってくると、空いた素焼きの碗に峠竹脂茶を注ぎ始める。
碗から湯気が立ち昇る。
すると礼拝堂の入口からハイリアルが入ってきた。墓地から戻ってきたのである。
彼は俯き気持ちが沈んでいるかのようであった。
その間もなく、司祭が寺務室から現れる。彼が戻って来るのを待ち構えていたかのようだった。
「ハイリアル様、山中の空気がまだ冷え困難な状況であるにもかかわらず、ご冥福のお祈りを捧げられ、信女フリザンテーレも天国で喜んでいる事でしょう。」
司祭は彼を目にするなり賞賛する。平静を装うが、その声の端々は微かに昂っている。
彼は嫌そうに顔を上げ、右目に掛けた赤いレンズ越しに司祭を目にする。
その入室後の様子をレイリーリャは全く気付いていなかった。
…………天然水を粉末にして何の意味があるの?
……水飲みたかったら、そんなモンじゃなくってフツーの水飲めば良いし、粉なめたら、水飲んだ事になるの?
レイリーリャは自分の世界に浸っていた。
その心の中にある疑問は泉の水源のように湧き続ける。
「……信心まさに大海の如く深くあらせられるハイリアル様に、ネレイステセシア様からの御恩寵を賜る事は、誠に然るべき事と私は思います。」
司教は慇懃に彼を崇めるように、厳かな口調で語りかける。
「先程ハイリアル様の従者より伝えられましたが、何でも以前にハイリアル様は喀血をなされたとか。」
司教が語る言葉の語尾が、口調が好機を捕らえたかのように微かに昂る。
それを聞くと同時に彼は、眉間を皺寄せ片眉を上げ、苛立ちを表に現していた。
レイリーリャは司祭が喀血と口にした事が耳に入るとその方に目を向けた。司祭が礼拝堂内に戻っている彼に話しかけているのが目に入った。
しかし彼女が今いる位置からでは、その赤いレンズをかけた横顔しか見れなかった。その内面を読み取る事は出来なかった。
「……その恩寵として治療術をお受けになられて、ご健康を取り戻される事が、ネレイステセシア様もお望みになられる事と私は愚考致します。」
「……我自ら貴様に頼んでいないのに、余計な事をするな。」
ハイリアルは苛立ちを抑えようとしつつも、そうし切れずに尖ってしまった口調で非難した。
―――ハイリアル様怒り出しちゃった。何でだろ?……ワタシが変な事を言ったら機嫌を悪くしそうだよね…………。
レイリーリャはその態度を見て途惑い、何をすれば良いのか解らずまごまごしてしまう。
ヌ=カスマダ老人は口許を片手で覆いながら、責めるハイリアルと責められる司祭の二人の顔を見ていた。何も言わず眉間に皺を寄せ、まさに苦虫を噛み潰したような顔をしている。
彼が入室した際に紛れ込んできた甲虫が、羽音を鳴らして礼拝堂の天井を何度かぶつかりながら飛び回る。祀られている女神ネレイステセシア像まで飛んでその鼻の上に止まると、遣り取りをしている者達を見比べるように頭を左右に動かした。
レイリーリャは、ヌ=カスマダ老人が彼女に対して主人であるハイリアルに『何か』をすべきだと主張した事を思い出した。
しかしそれが『何か』は、彼女には思いつかなかった。
老下僕がそれを伝えようとした時にブコン屋がやってきてしまい、彼女が聞きそびれて知る事が出来なかったからであった。
……ハイリアル様に『何か』伝えて何かした方が良かったんだろうけど、何伝えれば良いんだろう?……
彼女は『何か』が一体何なのか考えてみた。しかしそれらしきものは思いつかなかった。そんな自分にもどかしく感じる。
ハイリアルは司祭を責める事を止めると、振り向きレイリーリャの顔を凝視した。眉間に皺が寄り目で彼女を刺し貫くようだった。
彼女はその顔が目に入り怖く感じた。彼が彼女に怒りを感じ、詰るつもりのように思えたからであった。
―――私のした事はそんなに怒るような事だったの?!ハイリアル様の為になると思ったのに。…………
驚愕し動揺しつつ怖く感じる。思わず顔を下に俯いて逸らし、ハイリアルの視線から逃れてしまう。それでも頭の上から重圧がのしかかる。
「……出るぞ。」
ハイリアルは一言告げた。
その声はレイリーリャの顔面を地面に叩きつけるような低く据わった声だった。
「世話になった。」
それからヌ=カスマダ老人がいる方を向いて一言礼を言うと、礼拝堂の玄関がある方に向かって歩き始めた。
歩いている間振り返って、レイリーリャを気にする素振りは全く見せなかった。
反応を一切求めず無視するようであった。
「か、かしこまりました。」
彼女は彼を怒らせないよう、出来る限りの丁寧な言葉遣いで応えた。
感じる怯えを止められなかった。
そして付いて行くのに遅れて彼に怒られてしまう事に怯えながら、ヌ=カスマダ老人と司祭がいる方に向いた。
「司祭様にお爺さん、今日はお世話になりありがとうございました。」
レイリーリャは笑顔を装おうとしているが、その顔は強張っている。急いで挨拶を切り上げたかった。
「―――うむ。ハイリアル様に宜しく伝える事を忘れぬように。」
司祭は両手を後ろに組み胸を張り、重々しく厳めしい態度で応える。ハイリアルに叱責され失ってしまった威厳を、格下相手に重々しく振る舞って立て直すようであった。
「嬢ちゃん、近くを通ったぁ、また寄ぃなさいな。気を付けぅんじゃぞ。」
ヌ=カスマダ老人が彼女の両手を握りしめると、その目を見つめ哀願するように伝える。
「安心して下さい。大丈夫ですよ。」
彼女は言う言葉とは裏腹に、不安を、ハイリアルの怒りを怖れている。
「そうじゃ。少し待ってくぇぅかのう。」
ヌ=カスマダ老人はそう言うと控室に入って行った。それから再び戻ってきて、中に何か入っているベージュ色した麻袋を手渡した。
「わざわざありがとうございます。嬉しいです。」
レイリーリャは今日会ったばかりにも拘わらず、歓待だけでなく土産物まで渡してくれる、ヌ=カスマダ老人の心遣いに暖かく感じる。ハイリアルに感じる怖れを束の間だが忘れられた。
「この袋の中のもの、見せてもらいます。」
ヌ=カスマダ老人の「どうぞどうぞ」という許可を貰う前に、袋の中を覗いてしまう。褐色の素焼きの瓶が見える。
「これ何ですか?」
彼女は袋の中を見つめたまま首をかしげる。
「峠竹脂茶じゃよ。」
老下僕が微笑みながら応える言葉が耳に入った瞬間、彼女は袋の中を見つめたまま身体が固まり動きが止まった。
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レイリーリャは愛馬ズゼルーマーに乗って、現在地から南西に進んだ所にある港町に向かって街道を歩いていた。その前をハイリアルが乗る馬が先導し、その後を付き従っている。
教会を出てから彼は何も語らなかった。
教会の礼拝堂から彼女が出てくるのを見た時、彼は眉間に皺を寄せ下唇を噛み締めるような険しい顔をした。これから怒りを現そうという感じではなく、何かを堪えるように苦しさを我慢するするかのような表情であった。
しかし彼女にはその表情が語る意味について理解する事は出来ず、彼が怒りそうだという想像しか出来なかった。
そういった事から、彼女は怒られ説教されるものだと思い、怖れを感じていた。
叱責されるきっかけになってしまいそうに思えたので、彼女の方から彼に話しかける事は出来なかった。
……………司祭様が治療術を受けるよう勧めたのをハイリアル様は怒ってた。
……確かに教会のお爺さんの言う通りだったかもしれないね……。
彼女は馬に跨がる彼の後ろ姿を見つめる。後ろから見るので彼の今の表情は解らなかった。
しかし背中の筋肉が膨張し、堪えた憤りが爆発しそうに彼女には見える。
…………だけど、なんで、ハイリアル様が怒るのか解らないなぁ……。
彼女は目を瞑り首を傾ける。
―――わたしはハイリアル様の為を思って司祭様に頼んだのに、……身体を治す事って断るような事じゃないよねぇ。
彼がこれを断る理由が思いつかず途惑いを感じる。
…………誰だって痛く辛く苦しいのは嫌なものだよね。
それは、ハイリアル様も、……そうだよね。
彼の背中を見る。
その背中は心に疑問を抱えている彼女に答えはしない。
そして彼女自らの意識の底にある悲しみも、自覚してはいない。
…………そんだったら、治して嫌なものを取り除くのは、…………良い事だよね。
……怒られる程のものじゃないよね?
…………さすがに褒めて貰おうとは思わないけど、何でだろうね。
…………こんな事は思いたくないけど、……ハイリアル様は、
―――恩知らずだよ。
彼女は彼を責めたくなる。
その意識の底で感じている怒りは、悲しみから代わってしまっている事を自覚していない。
教会を出発してから半刻(1時間)も経っておらず、謀猴の刻(16時)になっていなかった。
それにもかかわらず彼は片手を上げ、止まれと指示する。
―――休憩するにはまだ早いなぁ。
彼女は怪訝に思う。
……5ルートメロキも進んではないと思うけど……。
「……ちょっと行ってくる。少し待っていろ。」
彼は彼女の方を向いて命令を下した。だが目を合わせていなかった。
路肩に生える薮の中に入り、その奥に向かって歩いていく。その足取りは急いではいなかった。
しかし彼女からさっさと離れ去りたそうに、一切振り返る事は無く黙々と進んでいく。
その背中は苛立ちが籠もるように力が入っている。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
わたくしも嬉しいです。
街にある本屋が減少し、棚に陳列された本の背表紙を眺め、興味を感じる本を手に取って読んでみるような事は減ってしまったように感じます。
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そうしていただけると、この作者の心が嬉しさで大爆発したようになり、これからの物語を創る励みと自信になります。




