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   [ クマくんの、もうちょい検索メモ(3)]


『はじめての経済思想史』中村隆之著

『アダム・スミス』堂目卓生著

『ケインズとハイエク』松原隆一郎著  より引用編集


【① アダム・スミス(1723~1790年)】


■近代経済学の父、アダム・スミスも、人間の真相を探求した。

人間には心の中の公平な声に従おうとする「賢明さ」と、それを無視しようとする「弱さ」が同居している。

■経済を発展させるのは、人間の「弱さ」のほう。弱さは世間の評判を気にするために富や地位を求める。

しかし、あくなき欲へのこだわりによって、結果的に社会全体の富が増大する。その富は見えざる手によって分配され、多くの人びとの間に生活必需品が行き届く。

(現代のトリクルダウン説は、それほどうまくいかず、格差をひろげたが……)

■一方、私たちの「賢明さ」は、徳と叡知が心の平静をもたらすことを知っている。

「弱さ」が社会的役割を果たすには、「賢明さ」の制御を受けなければならない。

■人間が完全な人間になれないように、社会も完全な秩序を生み出すことができない。

■「賢明さ」と「弱さ」が混在する社会の秩序は、他人の感情に対する共感(Sympathy)という人間の自然能力から生まれる。

共感力から、誰もが能力を活かせる相互利益の関係や、労働の努力を公正に評価(交換)し合える自由競争市場が育まれる。


*大航海時代、欧州経済政策の基本は、軍事力で植民地を拡大し、独占事業などによって大きな利益を上げ、貿易収支など金融経済を活性化する「重商主義」だった(どこか、いまの時代と似ている)。

スミスの『道徳感情論』『国富論』は、こうした「強いものが支配する」やり方に対する疑問と批評だった。

*アダム・スミスは、お互いのフェアプレイ精神が基盤にある経済活動を想い描いていた。神の手の前提であり、『国富論』の基礎にある、『道徳的感情論』が、当時も現実から置き去りになっていた。


【② ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946年)】


■経済理論には、普遍性を求めるという美名の陰で、現実世界を見失う傾向がある。経済学は無限の多様性と複雑性を有している。

ケインズは、社会は自然科学のように分析できないと悟り、人間の日常的な営みの内面を観察し、解釈する道を選んだ。

■巷のコミュニケーションや素人判断の積み重なり(ポピュリズム的な大衆心理)が、恐慌やバブルを生む。彼は、確固たる人間をモデルとした個人主義や自由主義に限界を感じていた。

■私有財産権者の利己心は、フェアプレイの精神や社会全体の富裕化に反するかたちで表れてしまっている。

まず、資本の利回りを追求する「資本家」と、実物資本を動かす「企業家」を分けて捉え、その内で、顧客に喜ばれなければ、労働者の能力を活かさなければと倫理的制約を持つ「企業家」の自由競争を公正に確保する必要がある。

■利回りなどを追求する投機資本主義が、事業経営者の判断を鈍らせるほどに支配力があるならば、「資本家」=金融に主導権を渡してはならない。

そうした思いが為政者の立場にあるケインズのさまざまな政策提言につながった。


*ケインズは、最大の経済悪は、危険・不確実性・無知という。

現在も、VUCAの時代と言われるが、不合理を含んだ人間の集合体こそ、なによりも不確実の諸元だと感じていたのだろう。

*ケインズは生前から、理論化や定式化に軸足を置くマクロ経済学や計量経済学には批判的だった。理論化しにくい「不確実性」への複雑課題が、しばらくのあいだ、経済学から置き去りにされたが、現在では、それを含めた研究が興隆している。


【③ フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク(1899~1992年)】


■社会という複雑なシステムをいくら観察し、研究したところで、そこに働いている因果関係をまるごと認識・理解することなどできない。

世の中には、人知を超えたものがある。誰も全体のしくみなど理解していないが、うまく機能している秩序もある。

ハイエクは、「市場」もそうした人知を超えた秩序の一つであると考えた。

■人間の知識は、不完全である。断片的な知識しか持たない人々が、自由に知識で競争し、また相互に知識を発見し、そこに価値づけの分類が起こり、秩序形成に至るのが市場だ。

彼は、市場を人間による「知識の集散と創発の場」と捉えていたようだ。

■こうした自由を、政府が設計主義的合理主義で押さえこんではいけない。人間が頭で考えたことより、自然に形成された自生的秩序を信頼すべきとした。

■それでもハイエクは(人知を超えた)市場を理解しようとした。

市場経済の本質は、社会思想全域でしか捉えられないと考え、次第に「人間の物語」へ思索の領域をひろげていく。

■彼は、自由放任主義者ではない。慣行や倫理的習慣も含めた法(道徳的価値観)の下で、自由な競争を行うべきで、政府はまったくなにもするなと言っているわけではなく、通貨発行管理や公共投資は必要としながら、規律のゆるみや慢性化を指摘している。


*フリードマンは、師ハイエクの「市場の調整機能こそ善」であるという表象を単純化・特化してスローガン化し、その主張による権威獲得に向かい、ハイエクの、人間や社会への洞察を置き去りにしてしまった。


【④ カール・ポランニー(1886~1964年)】 


『人間の経済Ⅰ・Ⅱ』カール・ポランニー著

『現代に生きるカール・ポランニー』ギャレス・デイル著

『カール・ポランニー』若森みどり著  より引用と編集


■経済人類学の道を拓いたポランニーは、市場経済(交換)のメカニズムを徹底的に検証し、批判した。社会の中で、経済価値が支配的な地位となり過ぎ、販売目的で生産されたわけではない人間活動(労働)や自然(土地)までもが商品として転化・包摂された。

市場では、人間の意志ではなく、価格が労働の方向を決定し、利子率が資本に命令する。

市場経済の突出は、非人格的な社会関係を生み出し、人間本来の「生」の充足がおびやかされ、不自由な社会をもたらす。

■市場が過剰に拡大すると、社会は人間の尊厳や自然環境の保護を求めて自己防衛機能を働かせる。それによって、市場の需給メカニズムは歪む。

自己調節的市場は、幻想である。一方、政治的・経済的な制約を受ける社会もまた、不完全である。

■社会と人間が、経済活動を通じて調整しながら生きるヒントを得るために、彼はエジプト、ペルー、ギリシャなど、市場が曖昧な頃の古代経済までさかのぼって探索した。

■古来、人間が経済過程を秩序立てる統合諸形態は、「互酬、再分配、交換」である。

「互酬」は、贈り物や譲渡、扶助など、時には贈与者へのリターンを伴わない財やサービスの移動。

「再分配」は、時の権力者など、中心へ移動した財などが改めて外に向かうこと。

「交換」は、価格決定市場などメカニズム内の任意のつながりとなる。

■ポランニーは、人間社会にとって、市場経済に基づいた非人格的・利得優先の交換だけではなく、共同体内のつながりを深くする互酬や、社会の中で生きる安心や希望をもたらす再分配を過去に置き去りにせず、機能させることに意義があると提起した。

■効率と自由を調整して生きる産業社会で、人間がより自由に「人格的生活(良き生活)」を充実しておくるためには、経済システムは社会に命令するのを止め、市場経済は、社会に埋め込まれるべきだ、と考えた。



*もし、ポランニーが現代日本を訪れたなら、震災時の被災地応援消費や、ゲームのファン・コミュニティにおける「推し」の見返りを求めない献身的な活動、郷里から届いたお米や果物の近所へのおすそ分けなど……この国の日常的な営みが「互酬」にあふれていることを、どう感じるだろう。

日本は意外と、GDP的な市場経済の範疇から外れた、市井の経済循環が盛んな国かもしれない。

*アダム・スミス、ケインズ、ハイエク、ポランニー、そして現在の行動経済学などは、ホモ・エコノミクス、あるいは生産資本としての人間ではなく、不完全だが人格を持って生活の充足を願う「普通の人々(common people)」を、思考の中心に置いているように思う。


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