第4章 過去に潜む未来
駅から〈Patina〉への道すがらでは、夕焼けの時間にツバメが何羽も飛び交うようになった。このあたり、南東京では、巣立ちの準備がはじまっているのだろう。
そんな日常に気づけるのも、毎日残業あたりまえの世界が、変わったからだ。
リョウコさんが店の扉を開けると、今夜は、常連たちの集まる場所が違っていた。
大テーブルに、YOさんと連れの男性、シュウトくん、アッちゃん、ジョージとクマくん。カウンターのほうでは、こわいオッチャンとネイビーが、静かに飲みはじめたところだ。
オッチャンは、氷を入れたロックグラスに白ワイン、それをくーっと飲む。
「ぷは~、やはりワインの真髄は、のどごしやな。なっ?」
……それほど静かでもなかった。
リョウコさんは、いつものようにタエさんと挨拶を交わし、好きなワインのあるほうへ。
「久しぶり、オッチャン」
「おお、あんたもこっちのオトナ組やな。今日も暑かってん、おばちゃん」
「おばちゃん余計やわ、オッチャン」
大テーブルでは、YOさんが隣りに座る男性を紹介していた。
「茂岡さんは、宮大工さん。全国の社寺建築を修復してまわる、渡り大工さんだ。いまは北陸の方で、後継者を育てる養成学校もやってらっしゃる。ウチはときどき、古い家の修繕を頼まれることがあって、レベルは違うけど、たまに工夫を教えてもらうんだ。この棟梁は、つまり、匠だ」
小柄で白髪混じりの短髪。YOさんと同じように、厚みのある身体つきをした初老の男性は、物静かな佇まいで、こんにちは、と小さくつぶやいた。みんなは少し緊張気味に、ひとりひとり挨拶する。
テーブルの上には、それぞれの飲み物と小皿、そして大きな平皿がふたつ。色とりどりの食材がサーベル型のピックに串刺しされて並んでいる。ピンチョスだ。タエさんが、急なテーブル使いに機転を利かせてくれた。
「棟梁とお会いして酒を飲むなんて、何年ぶりかな。シュウトはこの前、桂離宮の茶屋をつくりたいとか言ってただろ。おれには答えられないから、訊いてみれば?」
シュウトくんが顔を赤らめながら、改めて頭を下げる。
「あ、桂離宮をつくるなんて大それたことでもないんですけど。でもちょっとだけ興味があって……あ、どうしよう」
棟梁は、ベースボールキャップを被った異分野テクノロジストに、柔和な視線をおくる。
「若いひとが伝統建築に関心を持ってくれるのは、うれしいことです。書院や茶屋は、数寄屋職人という、また繊細な拵えの専門家がいるんですが。共通する思想は、ありますよ」
アッちゃんも興味津々、話に加わる。
「伝統建築は、後継者さんがいなくて大変らしいですね」
「いまは各地に、次の世代を育てる場ができはじめています。まぁ、どの時代でも、100人に教えて、100人全員が宮大工にたどりつけるわけではありません。
千何百年か受け継がれてきたことを絶やさず、ひとりでも多くに伝えておければと思ってますわ。私はいま、機械にも教えています」
棟梁はYOさんに顔を向ける。
「大学の先生や企業の技術者が、私の身体にシールやらコードやら貼り付けてな。槍ガンナを使うところをカメラで撮るんだ。そうすると、指やの腕やの、チカラ加減がわかるらしい」
クマくん、ジョージ、シュウトくんが、それぞれうなずく。
「センシング *1か」
「力触覚センサー *2」
「工業製品だけじゃないんだ」
棟梁は出張用のキャリーケースから、最新のパッドを取り出す。
「機械から、私らが教えてもらうこともあります」
パネルには、どこかのお寺の図面が呼び出された。棟梁がパッドを指で操作すると、図面が3Dで動く。
「むかしはこうした測量に、ひと月以上かかっていたんです。いまは、半日かな」
3Dスキャンによる点群測量 *3。まわりのみんなは、伝統建築の匠が、最新テクノロジーを躊躇なく取り込んでいる様子に、ちょっと驚いていた。
「そうは言っても、屋根裏をはいずり回って、自分の目で見て、手で触ってみないとわからないことも、相変わらず多いですわ。わははは」
棟梁は、実にうまそうにビールを飲む。
YOさんの背中には、汗がにじみ出ていた。おいおい、おれはさっきまで、マンションのリビングをハワイアンにリフォームしたいお姉さんの話を聴いていたんだぜ。壁紙をアロハな葉っぱの模様にしたいんですね。そこにキルトとウクレレを掛ける。なるほど。では明日、見積もりをお出しします。
「師匠。棟梁さん。すごく恥ずかしいんですけど、僕たちの作ったスケッチ、見てもらえますか」
シュウトくんが自分のリュックから、棟梁よりだいぶ古めのPCを取り出す。
「僕は、コンピューター関連の仕事をしています。いままでにバーチャルの世界で」
若者は棟梁のほうにPC画面を向け、手早くパネルを操作していく。
「こんな風に……宇宙空間でミーティングをしたり……これは、古代のメソポタミアでバトルゲームをやりました。僕は、鳥やクラゲになったこともあります。
ただ、自分たちの技術が拙いのかもしれませんが、ゲームやイベントの世界観をつくると、どうも空気感がペラペラだったり、逆に情報過剰になってしまって」
シュウトくんが、顔を少し赤らめながら話す。
「それに、ヘンなことに飽きちゃったというか、サイバースペースに入り浸ると、ものすごく疲れるんです。みんなでまったり過ごす時は、なにか違う工夫ができないかと思っていました。
僕の仲間は、日本以外にもいます。なにげなく集まって、放課後の部室のように雑談がしたいんです。でも、ただの部屋じゃ、つまらない。それで、ここを見つけてしまい……」
シュウトくんがPCをさらに動かす。画面には、桂離宮にあるいくつかの茶屋を切り取った、スネルビジュアルが立ち上がった。その中のひとつをクリックする。
宮内庁HP(桂離宮:賞花亭)
https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/ katsura/place07.html
同(桂離宮:笑意軒)https://sankan.kunaicho.go.jp/multilingual/katsura/place09.html
緑豊かな丘の上にひっそりとたたずむ、茅葺屋根の小亭。
その〈溜まり場〉は、土壁のない開放的な正面から見ると、そっけない掘立小屋のような趣がある。
あけっぴろげな室内には、畳敷きの腰掛がコの字型に土間を囲んでいる。
正面以外、三面の褪せた土壁にレイアウトされた窓は、素朴な竹や藤の蔓を組み合わせた連子格子で、外と素通しでつながる。
建物の前には石の敷かれた小路が這い、眼下の池へと続いている。
「こういう空間って、デザインがまったく威張っていない。それにウチとソトがうまく影響し合っていて……ウチかソトか、わからないぐらい。花や木、鳥の声や月の動きが、部屋の中にあるような感じで……時間の流れが、すごく気持ち良さそうなんです」
棟梁が、ゆっくり、うなずく。
「離宮の空間は、一日の時の流れ、一年の季節の流れ、百年で朽ちるものや、変わらない悠久を、五感と五体全部で感じるようにできているんでしょうね」
「棟梁さんの手掛けるお寺や神社が信仰の世界だとしたら、ここは仙人が棲むような、仙境の世界なんでしょうか? 桂離宮をつくりはじめた智仁親王は、豊臣秀吉の養子になりますが、秀吉に子どもができてしまったため縁組を解消して、八条家が興されたそうです……たぶん、えげつない政治や経済とは無縁の、理想郷を設計したんじゃないでしょうか」
「ここは、その時代のひとたちの、仮想現実なの?」
ジョージが言葉を現代化する。
「天正の時代にコンピューターはありませんが、自然の要素を人工的に配置し直して、夢の世界をつくったとは、考えられますね」
「シンボルとパターンで構成されているんでしょうか?」
「シンボル……そうですね。単に草ぼうぼうのままあることを自然とするのではなく、山川草木、花鳥風月のありさまを削ぎ落として、ひとの間で伝わり合う記号にする。それを再構築して、より純粋な自然の真相に近づきたいと思うような、パターン……うーん、美意識でしょうか」
棟梁が少し考える。
「なんというか……私らの世界では、〈作法〉ですかね。自然の道理にかなった」
「ああ、効率にしたがうと、パターン。自然にしたがうと、作法なんですね!」
ジョージは、彼なりの言語モデルを進化させている。
「ちょっと、動かしてもいいですか」
棟梁がシュウトくんからPCを受け取り、さくさくと画面を動かしていく。
「モチーフは桂離宮の、特に賞花亭ですね」
「そうです。質素な感じが好きで」
「書院は、ないんですか?」
「はい。僕らには、お茶屋だけで充分です」
「庭もかなり、こぢんまりしています」
「少人数の秘密基地みたいなものなので、空気が醸し出せるだけのスケールがあれば……」
「あれ? あなたの賞花亭。この下地窓は、笑意軒から持ってきてますね。竈と炉は、松琴亭のつくりかな。延べ段はどこだ? 月破楼か。これは桂離宮オールスター・パーツだな!」
――桂離宮は、探幽、光悦、遠州の噂もありますが、17世紀の錚々たる文化人が八条家三代のもとに集まって、とんでもないものをつくったわけですよ。石の置きかたひとつにしても……それを、滅茶苦茶に解体して、切り貼り編集してますな。うーむ。
「すいません。僕、無作法なんです」
「作法は別として、こういう拵えようもあるんだな」
棟梁は目を細めながら画面をくくる。
「こんな切ったり貼ったりが、できるんだ」
YOさんが、身を乗り出して画面を覗く。
「あんたのとこも、現場をスキャンして、そこにカタログの画像を貼り付けて、お客さんに提案するといいよ」
棟梁は、黙ってシュウト作の桂離宮茶屋を眺め続ける。常連の5人は、検定試験でも受けているような気分になった。
しばらくして、画像をくくる、節くれの指が止まった。
「時間と方角……東西南北はどうしますか?」
シュウトくんが、きょとんと目を見開き、息を止める。
「光は動かすつもりでしたが、方角まではツメて考えていませんでした」
「私のあつかう寺社と離宮は志向が違いますし、どこまで現実を再現するのかも、考えようですが。
もし、ここに世界を設定するならば、時間も必要でしょう。お日様もお月様も、東から出て西へ沈みますが、季節によって、出入りの位置や、高さが変わります。窓や軒先から入る光もうつろいます。
それが、草木や人間の感じる〈時〉の変化です。生き物の盛衰や、四季の移り変わりです」
――時間には、種類があります。
たとえば、梅の木がありますね。年に一時期、満開の時だけ花見をする愉しみもいいでしょう。
一方で、その木がつぼみを膨らませ、花が咲き、散り、緑の新芽が出る。初夏には実をつけ、夏には木陰をつくり、秋には葉を落とす。ピークだけでなく流れを観るのも、〈時〉の味わいです。
それから、梅の木が生まれてから朽ちるまでの百年も、また別の時間の感じ方です。
伝統建築には、現代の人間が忘れているような、幾重もの時間が流れているんです。
「桜と紅葉の季節が一緒に来たら、催事としては都合がいいかもしれませんが、なんだか煩わしいでしょう。一日一日、わずかにうつろう積み重ねが時間を醸し出す。それが用の美を超えた、自然の美だと思います」
YOさんも、お弟子さんになった気持ちで聴き入る。
「たしかに、そこが同じ季節の同じ時間に設定されていたら、飽きるかもしれないですね。そうなるとモデルハウスの中みたいになるか」
あのアロハなお姉さん、ハワイアンなリビングに三カ月で飽きないといいが。
シュウトくんは、匠の話にひそむヒントをものにしようとしている。
「そうか。バーチャルな空間に物足りないのは、自然観だけじゃなくて、時間の重なりか」
「考えてみれば、会社もそうだよね」
ジョージが連想する。
「会社にも、一日、一年、百年のスケールが同時に流れているけれど。いまは日次・月次に四半期成果、前年比ばっかり気にしているような感じがする。せいぜい、社長任期と中期計画ぐらい」
「そう。刹那的に考えるよう、アタマが躾けられている」
アッちゃんもゆっくり頷き、内省する。
「アッサリ、カンタンにとらえてはいけないのね」
棟梁は、若いひとたちが、それぞれ自分事に話を解釈しているのが興味深かった。
――初対面の若者に妙な講釈をたれてしまった。いまどき迷惑かな。でも、私は話をしたいんだ。
私の仕事は、なにより宮大工を絶やさないこと。これまで千年受け継いできたものを、これからの千年にきちんと受け渡すことだ。
ただ、なかにはまったく異質な感受者がいてもいいのではないか。
すでにこの現実世界には、寺社を建立できるように切り出せる千年檜が、ほぼ、ない。立派な木が育つ、土もない。
バーチャルな離宮? それも継承のひとつかもしれない。
私が一番恐れるべきは、宮大工たちの心と身体に沁み込んだ、単なる道具づかいだけではない〈知〉が途絶えてしまうことだ。
YOさんが、棟梁のグラスに両手でビールを注ぎ、のどを潤してもらう。
「話してもいいですか? 宮大工の伝えごとですが。東西南北には、意味があります。」
——木を活かし、建物を活かすには、〈四神相応〉という良い地相が必要だと言われています。
東に青龍(清流)、西に白虎(広い道)、南に朱雀(沼沢)、北が玄武(山)。その地相にはまらない場合は、南に桐、東に柳、北に楡、西に梅を植えよと、教え継がれています。
また、山の南側で育った木は、柱に割った時にも、同じように南側を向けて建てろとも伝えられていましてね。年輪やフシのできかた、木の柔らかさや固さが、育った向きによってそれぞれ違うんですな。
自然に在ったものは自然に合うように使わせていただきます。だから、樹齢千年の檜が、柱になってからも千年生きる。それもまた、時間です。
私らは、パターンというより、建物で自然の摂理を再構築しているのかもしれません。そのとき、方角は、場を拵える際の根本思想なんです。
「……勉強が足りませんでした」
シュウトくんは、素直に棟梁の言葉をリスペクトした。
クマくんが大きな身体を脱力するように、音にならない息をつく。ほかのみんなも、身のまわりにはない、壮大な仕事観に触れたような気がした。
大テーブルには、気持ちのよい沈黙が訪れた。熱心に話してくれた棟梁は、タエさんのピンチョスを、無邪気にぽんぽんと口に運んでいる。
アボガド、アンチョビオリーブ、ムール貝。小海老のフリットをつまんだ匠の目が、一瞬光った。
むむ、このマヨネーズ……できる。酢の味、黒コショウの使い方、豆板醤を少したらしているのか。私はこの味に、どこかで出会っているような気がする。
棟梁は遠い記憶を探すように、頭上でゆったりまわるシーリングファンを眺めた。
カウンターのオトナ3人組は、2本目のワインにとりかかっていた。
「ほれ、あそこで職人とハッカーと科学ライターとコンサルが、ずっぽり創発しておるわ。それを検索オタクが、黙々と深掘りしてんねん。なんとまぁ、うつくし~い景色やのぉ」
「アイデアって、ああいう場面から、偶然のようにぐるぐるポンッて生まれるんだよな。そういうぐるぐる時間を、いまの職場や働き方に期待するのは、もう難しいのかな」
「あら、お役所で『難しいですね』って言われたら、それは、『面倒だからやりたくない』っていう意味なのよ」
「ワイやネイビーは、『前例がない、難しそうだ』を散々ひきおこして、いまがある」
「そうだったかな。セイちゃんは、けっこう丁寧に対応して、でも好きにやってた」
「難敵ばかりやったな。はなから論理的に考えたいひとたちにとって、アイデアなんちゅうものは、不安定で隙だらけ、いい加減な思いつきにみえてしまうらしい」
アイデアというものは、論理のはしごをボカッっと外して、想定外の解決策を出すことがあるやろ。常識に沿いたい側からすれば、ぐるぐるポンッへの、恐れやコンプレックスも、あるんちゃうかな。
データや形式にして理解できないものを、ひとは恐れるんやな。
「でも、論理は必要だろう?」
「いいアイデアには、必ず腑に落ちるロジックが胎内に宿っとるわ。ひとを説得するとき、それを引き出して構築すればよいだけや。むしろ論理の手前にあるべき、アイデアがはっきりしない時こそ、説得は難航するやん。企画書がデータで分厚くなって、言い訳に聞こえる」
オッチャンが自分のグラスに氷とワインを足す。
「ワイは、〈調整〉という仕事が、どうも発想の生み合いを避けているような気がする」
「毎日の仕事の、なにをやめてしまえば、あんなに楽しそうに打ち合わせできるかしら。あの大テーブルの空気感が、仕事に欲しいのよね」
「なにをやめるか? おお、足すより引くほうが、ええのかもな。おばちゃん、グッドな問いやな」
「おばちゃん言わんといて、オッチャン」
グラスがすいすい空いていく。ほらな。ワインの極みは、のどごしやん。
棟梁が手洗いに立つ合間、それまで神妙にしていたYOさんが、まわりに話しかける。
「あのさ、細かい質問で悪いんだけど。こういう空間でね」
シュウトくんのPCを指さす。
「その、土間から上がるとき、クツを脱いで、畳の感触がわかるようになるもんなの?」
「アバターが、クツを脱ぐ!」
シュウトくんが再びフリーズする。
「まったく考えていませんでした」
「足裏の感覚か。いまのところ技術は、眼と耳と指の触感……肌の感覚」
ジョージも考える。
風のゆらぎ、光のぬくもり、冷たくてあたたかい畳の感触。時間と空間のリアリティ。
「それって、足が感じなくても、脳が感じればいいの?」
アッちゃんがピンチョスのピックで、自分の手のひらをつついてみる。
シュウトくんとクマくんが顔を合わせる。
「ブレイン・コンピューター・インターフェース」
「物理演算エンジン」
「ごめん、大工のおれには、話が見えない」
「すいません。脳とコンピューターを直結して、考えたり感じたりすることを同期する技術が開発されているんです。それからゲームの世界では、重力っていうか、アイテムに質量やスピード、摩擦なんかを演算するソフトウェアが使われています」
「できるんだ」
「まだ技術が足りないように思います。でも、YOさん。こういうアイデアの場をつくっておくと、技術のほうから寄ってくることがあるんです。アバターがクツを脱いで、畳を肌で感じることも、きっと」
「医療の技術とか、応用できるかもしれない」
ジョージもイマジネーションをひろげる。
「YOさん、僕はこういう時間が最高に楽しいです。ありがとうございます」
――僕は、コンピューターがちょっと好きな、ただの不登校児だった。ちゃんと受験勉強もできていない。でも、ネットをいじっていたら、そこに同じようなひとたちがいた。僕らは、こんなことができたら面白いよねってバカを言っているうちに、似たような感覚を持っているひとや、僕らよりもっと深く考えているひとと、また知り合いになって……じゃあ一緒にやろうよって、はじまる。
ずっと、その繰り返しなんだ。やりたいことが、いつも外へと膨らんで、さらに面白くなっていく。あらかじめ与えられた課題もなければ、マニュアルもない。だから、楽しい。
……仕事って、そういうもんでしょう?
茂岡棟梁は席に戻りながら、ちょうど厨房から出ていたタエさんに声をかけた。
「こちらの料理は、あなたがつくっておられるんですか?」
「はい。お口に合いますでしょうか」
「おいしいです……ぶしつけな話ですが、むかし、京都の伏見を下ったところに、よく行く料理屋がありましてね。〈漂〉というお店でしたが」
タエさんが、目を丸くする。
「わたしの伯母が、先代の女将でした」
棟梁は、ゆっくりと静かに、頭を下げた。
「弟子入り先は京都に現場が多くて、よく先輩に、伯母さまのお店へ連れて行ってもらいました。私はむかし、跳ねっ返りでね。誰からも叱られておりましたが、女将さんは根気よく、味も礼儀も教えてくれましたわ。マヨネーズで、思い出しました」
「あら、棟梁さんは、マヨラーですか?」
「あそこの女将のせいです。この味は、忘れませんわ。わははは」
「わたしが伯母から教えてもらったのは、サラダのマヨネーズは自分でつくること。あとは出汁巻き卵ぐらいなんです」
「出汁巻きか。よくいただきました。実山椒が横にのって」
「どうかまた東京においでの際には、わたしの出汁巻き、召し上がってみてください」
「ありがとうございます。今度は懐かしい話でも、させていただきます」
棟梁が席に戻ると、大テーブルには、おだやかな敬意に満ちた空気が戻る。
「宮大工さんになるには、どれくらいの修行が必要ですか?」
ジョージが訊ねる。
「10年といわれています」
「お弟子入りするひとたちも、覚悟がいりますね」
アッちゃんが、学びの年月を想像する。
「宮大工を目指す若い衆は、おかげさまで、腹を決めてウチに来ます。ただ、いまの学校だか、世の中の成り行きだか、コツコツとわかろうとするより、手早くできればよいと思うひとが増えました。じっくりやってきたことは、50代を越えてから、腕に染み出します」
「なかなか待てないんですよね。世の中も急かすばっかりですし」
YOさんにも思うところがある。
「あんたは、いい修行をしただろう。〈穴掘り三年、鋸五年、墨かけ八年、研ぎ一生〉。親父さんは厳しかったね。そのおかげだよ。今度は、それを誰かに伝えないとな」
棟梁が、町場で一生懸命働く後輩の太い腕を、軽くぽんと叩く。
YOさんが小さく頭を下げた。
「親父が死んでから、親父の言葉を、よく思い出すようになりました」
ジョージが匠に、照れながら話しかける。
「棟梁さん。ボクは、職人さんというのは、道具を使う技術専門のひとだと思っていました。でも今日、お話を聴いて、技術の背景にある歴史文化にも、深い知識をお持ちなんだとわかりました」
棟梁は、ゆっくり静かな声で、若いひとたちに語りかける。
「道具づかいは、もちろん大事です。ただ、宮大工は……」
――たとえばこのあたりに、飛鳥時代のお寺があったとしますね。それを修復せないかん。実物はそこにあるんですが、屋根を支えている人型束という木の部材は、なんでこんなカタチなんだろう。いったい、なにをどう気づかいしてこうなったのか。いまある建築技術と道具から考えていても、わからんのですよ。
木組みを解いて、調べていくんですね。学校や企業の先生方にも分析していただきます。先代からの口伝や文献も大切です。地域文化や信仰、自然の中に、ぼんやりと答えらしきものが見つかることもあります。
さて、意味はうっすら見えてきたが、道具がない。じゃぁ、道具もつくらんといかん。
……私の仕事の大半は、謎解きと妄想みたいなもんです。
「私らは、道具づかいを人間だけでなく機械にも伝承しています。職人技のよくわからない暗黙知を、データにして見える化するわけですな。ただ、ものごとは本当にすべて、見えるようになるもんでしょうかね。それに、見えるもんばかりに頼っていたら、人間は、見えない力……新しい暗黙知を生み出せなくなるんじゃないかと、心配なんです」
――たとえば伝統建築の柱は、木のクセを読み、曲がったものをそのまま使うことがあります。それが風情だというのもありますが、曲がったものを削ってまっすぐにしても、その木には曲がった特性が残ります。
そのうち曲がる。無理をさせているから。削ってまっすぐ揃えれば均質できれいですが、要するに、味気のない規格品になるわけです。
「ひとも同じでしょう。みなを同じように削れば、規格品になります」
――よし、この曲がり木は床の間にそのまま使おう。当たり前の木づかいを超えるような、想像力の豊かな目利きは、時間をかけて育てなくてもいいんでしょうか。人間が、檜の大樹のように、クセを活かしながらじっくり伸びてひろがることは、もう叶わないのでしょうか。
棟梁が大テーブルのメンバーを見回す。
「ねえ、みなさん。コンピューターは〈想う〉ことができるようになりますか?」
「想えない。考えるだけだと思う」
「想うは、考える+感じる」
「AIは考えていないよ」
「人間は本当に想っている?」
「人格がないと想えない」
「想っていない人格も、いそう」
「人格がなければ、AIと恋愛できないぜ」
「YOさん、それ、単なるパターンです」
「ここで聴く限り、当分は難しそうですな。コンピューターにできる仕事が、どんどんコストダウンしたら、コンピューターにできない、想い悩んでばっかりの私らの仕事は、どんどん価値が上がりますか。若い衆の時代に、職人魂はようやく陽の目を見るか。わははは」
――私は古くさい人間の典型ですが、これから先は、人間があること・ないことを想像する能力こそ、唯一、希望にあふれる仕事になると思うんですよ。
シュウトくんが、消え入るようにつぶやく。
「どうして、小さいころに『職人さんになりたい』って思えなかったんだろう」
「あなたは充分、職人ですよ。分野は違いますけど。よかったら、その新しい賞花亭、ウチの若い衆にも話してみますか?」
「えっ…………」
シュウトくん、今度はうれしくて息が止まる。
「これもなにかのご縁ですから」
棟梁は、厨房のほうを見てつぶやいた。
「私らのほうで、仮想空間は作りませんけど。アイデアのありかたが、まったく違うのがね、ムチャをしているところが、伝統一辺倒には刺激になる。それに……私は50年ほど仕事をしてきましたが、なにもないところに東西南北からつくり込んだことは、ありません。四神相応の地相から拵える仕事なんて、いままで考えたこともありませんでしたわ。YOくんも、興味ない?」
「ありがとうございます。おれ、なにができるかなぁ」
YOさんは両手を頭の後ろに組んで考える。……脳裏にボワッと、新しい看板が光り輝いた。〈YO HOME バーチャル支店〉。
「あの、あたし、子ども向け科学雑誌の編集をしているんですけど。棟梁さんのお話、取材させてもらっていいですか?」
アッちゃんも、棟梁のお話を子どもたちの目の輝きにしたいと思った。
シュウトくんは、無言で何度もこくこくと頷いている。
――また、はじまった。面白がっていたら、もっと面白くなった。僕にとっての〈神の手〉は、好奇心なのか。
カウンターでは、リョウコさんがワイングラスを持って、腰を上げた。
「わたし、ちょっとあちらにお邪魔してくるわ。なんだか、新しい学びの匂いがする」
「あんたの鼻は、よう効く鼻やなぁ」
「そうそう、なんでも鼻を突っ込んでおくと、そのうち思いもしなかったことがはじまるの」
オッチャンはグラスの氷を指でつまみ、口に放り込んでボリボリ噛んでいる。
「またワイン飲もな、リョウコちゃん」
「あいよ、セイちゃん。ありがとね」
ネイビーとオッチャン、三十年来の戦友が、ふたりになった。
「……そういえば能美、お前、旅に出ると聞いたんやけど」
「世耕のオンタイからだろう」
ネイビーは、かつて同僚と共に世話になった、元顧客の名前をあげる。
「ちょっと、あのひとのたくらみを手伝うことになる」
「ここは、どないすんの?」
「ここは、タエさんとみんながいれば大丈夫だ」
大テーブルでは、棟梁を中心に、記念撮影がはじまっていた。
〈Patina〉――国籍・年齢・性別・職業、不問。それぞれが働き学ぶ毎日に、ひそかな違和感を持つところだけが共通。そんなひとたちが、少しだけ本気で自分の想いを話せる場は、そうカンタンには、しょぼくれないだろう。
システムに沿って、セオリー通りに考えることが安心だと思うのではなく、異見・私見が飛び交う場に心の躍動を感じることには、価値があるのだ。
特に、これからは。
セイちゃんも、この店、頼んます。
「60代がすぐそこに見えてきたのに、あちこち走りまわるような仕事は、どうだろうかと迷ったけど。世耕さんの話、面白そうだから行ってみるよ」
「走れ走れ、能美誠一。あんたは走れメロスくんや」
オッチャンは、ロックグラスに残ったワインを飲み干し、ふと息をつく。
「ワイらは、たいした成功者でもない。圧倒的な解決をもたらす方程式も、持ち合わせておらん。でもな……こんなワイらのちいちゃなバトンでも、どうか誰かに、渡してくれ」
3本目のワインが、まだボトルに残っていた。ネイビーはそれをふたつのグラスに分け合いながら、元同僚に笑顔で声をかけた。
「オッチャン。おれたち、まだ伸びしろがあると思うぞ」
本文 注釈
*1 センシング
センサーを利用して物理量や音・光・圧力・温度などを計測・判別すること
*2 力触感センサー
力の入れ方や圧力を記録して再現するセンシング技術
*3 3Dスキャンによる点群測量
地形や物体を、三次元座標を持つ点の集合体として測量し、PC上で扱う




