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第2章 すくそばにある、知の分断


 YOさんとKeiさんは、今夜もモニター画面を肴に、それぞれの瓶ビールを飲んでいる。

 アメリカで、また無差別の銃乱射事件があったらしい。

「あのひとたちは、ずっと内戦をやってるんじゃないかな」

「南北戦争が終わらないんだ」

「10代の頃は、あこがれの国だった」

「電動歯ブラシの生活とかな」

「……そこなの?」


 画面が変わり、メジャーリーグのダイジェストを伝えはじめた。

「ホームランの打球を、すぐに黄色や緑のマーカーみたいなラインでトレースするだろ。あの技術って、弾道ミサイルの追尾システムらしいぜ」

「軍事技術なのか」

 カウンターの右隅には、相変わらずのクマくん。ひとつ空けて、L字の角からジョージ、若手のシュウトくん。その先に座る双子の兄弟と、しだいに会話が交ざっていく。

「お掃除ロボットも、もとは地雷の除去装置でしょ」

「ネットも軍事技術からです」

「ティッシュや缶詰も、軍需から民需への転用だったかな」

「デュアルユースっていうらしい」

「戦争とセットじゃないと、平和は生まれないのかなぁ……」


 今夜のおつまみ三品は、小さな冷奴にギバサをのせたもの、ゴーヤの種付き輪切り揚げと、青トマトのピクルス。都会の四季は、酒の肴からはじまる。




 ネイビーは、双子のさらに奥に座る、若い男女と話をしている。ときどき早い時間に顔を出す、近所のご夫婦だ。マスター、この町で幼児の英語教室、どこか評判いいところを聞きませんか?

「英語なぁ。英才教育も大変だね……日本語の勉強は大丈夫なの?」

「日本語? ……絵本の読み聞かせは、ときどきやっていますけど」

夫婦は顔を見合わせる。日本人が、日本語の学習塾に行くかな。

「英語なぁ……おーい、ジョージ。お前さんは、ナニ語で育ったの?」

「えっ、ボクですか?」

「あちらのかた、この前、外国のひとと上手な英語で話していましたよね」

夫婦がジョージに、軽く会釈する。

「ボク、香港出身なんです。向こうでインターナショナル・スクールに入って、そこは広東語と英語が公用語でした。それと、お母さんが日本人なので日本語が少しできて、10歳の時にこっちへ来てからは、やっぱりインターで英語と日本語で……うーん、ボクはナニ語で育ったの? わからない!」

「うらやましいな」 「グローバルで活躍するの、困らないですね」

「ぜんぜん、困っています。自分がナニ語で考えているのか、わからなくなる時があるんです。アイデンティティというか、ボクには根っこがないみたいで、とても寂しく思うことがあります。特に大変なのは、どの言語のボキャブラリーも偏っているんです。広東語は子どもがしゃべる感覚、日本語は高校の宿題を発表しているみたいな感じ……」

「ジョージの日本語は、流暢だと思うよ」

ネイビーはいつも、彼の語りを楽しんでいた。

「質ではなくて量でしょう? 母がおしゃべりだから、ボクもたくさん話します」

母国語を豊かに使いこなせることは、自分が世界を眺める時のスタート地点ではないか。ボクには、ない。香港の政治的な激動も、他人事のように感じてしまう。どこにいても、誰に対しても、アウトサイダーっぽいんだ。


 Keiさんが、テクノロジーに詳しいシュウトくんに訊く。

「いま、自動翻訳がすごい勢いで進んでいるよね」

「たぶん5年もしないうちに、対話や翻訳には困らなくなると思います。たとえば、話をするお互いの耳にイヤホンマイクみたいなものをピュッと挿しておいて、僕が日本語でしゃべると、相手の耳には英語で聞こえる。相手が英語でしゃべると、僕の耳には日本語で聞こえる。そんな商品が、すぐに出てくると思いますよ。妄想ですけど」

YOさんが横から話に入る。

「だったらさぁ。いま子どもに一生懸命、英語を習わせても、そりゃ電卓が出てくるのがわかっていて、そろばん塾に通わせるようなことにならないか? あ、ごめん、カップルさん。いやいやいや、否定するつもりはないんだよ」


 ネイビーが首をゆっくりまわし、凝りをほぐすようにして語りはじめる。

「むかし、恥ずかしい思いをしたことが何度もあってさ」

――若い頃、華僑の実業家とはじめて商談する席があってね。おれの英語で真剣勝負はまずいだろって思ったから、その日は、法務がわかる通訳に同席してもらった。

 ところがね、話のほとんどは、ビジネスじゃなかった。その社長さんが訊くんだよ。能美さん、ワタシは俳句の勉強をしています。俳句のルーツには、風水につながる思想が流れていると思いますが、どうでしょう?


 その後もロンドンで、あちらの銀行家と仕事をしたときは、相手がメシを食いながら言うんだよ。能美さん、ヒロ・ウザワ *1は、ノーベル経済学賞を取るべきだった。そう思いませんか?

「おれはね、なんにも知らなかった。向こうのそれなりのひとたちに、能美とはどの程度のヤツなのか、英語力より、交渉相手にふさわしい人物か、値踏みされているような気がして身が縮んだよ。勉強って、ホントは、なにをすればいいのかな?

 英語で〈カルチャー〉っていう言葉があるだろう? あれは〈文化〉だけじゃなくて、〈素養〉とか〈土壌〉っていう意味もある」

クマくんが、スマホで検索する。

「土壌……アグリカルチャーの、カルチャーですね」


 YOさんがとなりの若者を見る。

「ハッカーも、ガイジンさんとつき合うだろ?」

「技術まわりの言葉は世界共通語が多いですが、音声翻訳も使います。それより、ネイビーさんの言っている〈文化〉はヤバいですよ。この前、タイからの留学生と友達になったら、銭湯や神社のマナーを教えてと言われて……僕、ぜんぜん知らないんだ」

――和のデザインとかワビサビとか、外国のひとたちのほうが、ずっと詳しいんだ。

「うーん。要するにだな、寿司屋へ行って、ツナとサーモンとシュリンプだけ英語で言えても、入梅いわしの時季が来たな、おお、生の鳥貝も入ってるね、とか、まず日本語でいろんな経験をしていないと、ガイジンさんにも、たいして深い説明ができない。

 おもてヅラを英語で話すだけじゃあ、寿司を知っているというには、薄っぺらいって……そういうことだろ」

「それな。言葉は素養の土壌なんだ」

ネイビーは、YOさんのわかり方に感心する。


夫婦がまた、顔を見合わせる。

「ウチの子は、回転寿司でマグロとサーモンとオクラ納豆ばっかり食べている」

「ママ友のあいだでは、子どもが3歳過ぎると、ふつうに学習教室の話になります。

でも、わたし、子どもより自分の日本語ボキャブラが、不安になってきちゃった」

「ごめん。せっかく英語の教室を探しているのに。話の流れが違うほうへ行っちゃった」

「あ、勉強になります。こういう話、僕らのまわりで誰もしないから」


 しばらく他愛もない話をして、夫婦が腰を上げる。また、寄らせてもらいます。僕と彼女の母親が、月に2泊ずつ子どもの面倒を見に来てくれるので。そんな日には早い時間、2人で出かけます。

 みなさんの話、ホント興味津々でした。女将さん、今度ピクルスのつくり方、教えてください。

 ええ、また来てくださいね。

 いやいやいや、カップルさん、また巻き込まれてくれよ。

 よろしくお願いします。おやすみなさい。

 おお、また、頼んます。




 10分もしないうちに、お客さんがひとり入ってきた。〈Patina〉の古株、NPOのリョウコさんだ。厨房に顔を出し、まずタエさんに声を掛ける。ひさしぶり! 今日もおつまみ、楽しみにして来たわ。みんなに笑顔をおくりながら、クマくんの隣りの空席を自然に埋める。

 ネイビーは、なにも訊かずに、ハウスワインの白を細身のクーラーに入れてサーブする。


「リョウコさん、子どもの英語教育って、盛んだろ? いまみんなで話していたんだ」

「学童クラブでも、図書館のお話し会でもやっているわ。子どもが英語で遊ぶの、いいじゃない? 言葉は早いうちからのほうが身につくらしいわよ」

「その前に、ちゃんと日本語を学んだほうがいいんじゃないかって、話していたんだ」

「あらら。それはね、あるの!」


 リョウコさんがワインで喉を湿らせ、スイッチを入れる。

「地に足のついた言葉というのかしら……深く考えるための言葉を使いこなせていないと、ほかの言葉で、それ以上に深くは考えにくいような気がするわ」

「言葉の学びは、どうやったら深くなるんだろう。本を読むとか、まぁ、ふつうだけど」

「わたしが言葉のことで気になっているのは、ノートを取らないひとたちが増えていることかしら。

 あるとき、NPOのひとりに訊いてみたの。ノートは取らなくても、大丈夫なのね。振り返りは、しっかりできている?」

そのメンバーは、文部省(当時)が、学習指導要領を極端に簡略化した時期に学生だった。

「僕の高校では、ノートを取らないと暗記できないヤツは、バカだって言われていました」

――そのひとは、ノートを取らないことが知性の証のように話したの。ショックだった。ノートは暗記のための記録じゃないわ。わたしたちは、自分の手がつくった書き込みの上で、自分と対面している。

 いま議事録は、AIの文字起こしが当たり前になっているけど、便利・便利で、みんな大丈夫なのかしら。

 ひとの話から、なにを拾ったのか。相手の言うことを、どう解釈したのか。その言葉の脇に、どんな連想が寄ってくるのか。理解と思考は、表裏一体でしょう?

 日本語を読んでなんぼ、書いてなんぼが、失われている……そのひとの高校、県立なのよ。


 企業では、実務のリーダーが彼らの世代になりはじめている。わたしはちょっと、気になる。最近の学校は、もう少し言葉を大事にしてくれているのかしら。現場で起きていることは、世の中で言われているより、些細なところで、もっと深刻よ。


 Keiさんが、ため息をつく。ウチの若手も、いやおれも、ノートを取らなくなっている。というか、手取り足取り、レジュメやマニュアルが準備され過ぎているのかもしれない。

「そういえば高校の教育では、論理国語と文学国語が分けられましたね」

「なんだそれ? 受験用の国語と、人間用の国語みたいじゃないか」

YOさんのわかり方は、常にスッパリしている。

「学校では、子どもが自分で問いを立てるような探究学習が増えているけれど、まだ教科書を覚えて答えを出して、点数にするような勉強が主流ではあるのよね」


 リョウコさんは、ワインを自分でグラスに注ぎ足す。手酌のほうが、気が楽なのだ。

「わたしのプログラムを手伝ってくれるひとたちの中に、美術の先生がいるの。その先生が嘆いていたわ。子どもが美術に興味を持っても、受験の役に立たないからって、親があきらめさせてしまう」

「藤井聡太さんが活躍して、将棋はいいけど、絵はちょっと、とか、偏向もありそうだな」

ネイビーが、ワインクーラーにクラッシュアイスを流し込む。

「いろんな大学のホームページを見ると、あちこちに〈問題解決能力の高い、グローバル人材をつくります〉って書いてある。おれには、〈グローバル経済のパーツ、大量生産します〉って読めるんだ……読解力、ありすぎかな」


「学びの目的が、経済ファーストで画一的なのね」

――子どもが英語に興味を持つことは、悪いことじゃないのよ。英語を学ぶのも、その子が海外の何かに興味があるのだったら、それは素敵な挑戦だわ……大切なのは、子どもがどんなことに好奇心を持つのか、親が自分の時代の価値観で、入口を制限しないことじゃない?


 いまは、子どもたちのまわりに多彩なプログラムがある。SDGsもあり、書道や武道もあり、ロボット工作もやっている。わたしは、知性の土台みたいなものは、さんざん学び散らかして、体験のすそのを広げておいたほうがいいと思う。だって、人生100年時代なんだから。


 Keiさんは思った。そうだな。これからどんな知識が役に立つかなんて、わかったもんじゃない。企業は事業計画に合わせて、必要な職能を設定する。でも、働くことそのものが、ガラッと変わる時代に、職能に合わせて学び続けていくだけでは、そのうち人間自体が摩耗してしまいそうだ。

 社会に出てからだって、自らの好奇心に任せて学ぶほうが健全かもしれないな。うーん。でもそれは、自律的な成長形成、自己責任だよ。

 そこまで、われわれ育成系が提供すべき仕事になるのか?




 かつてリョウコさんは、生命保険会社の調査部門で順調にキャリアを積んでいた。彼女の会社では、人口動態から労働環境、医療技術、就学動向、ライフスタイルなど、マクロからミクロまで広範囲の調査を行い、戦略や商品開発の道しるべとしていた。

 彼女が40歳を越えてすぐ、お母さんが認知症を発症した。そうした高齢者の状況を調査分析したこともあるが、それと自分の家族に起こったリアルとは、別物だった。

――知ってはいたけれど、わかっていなかった。ましてや感じていなかった。

 発症した側の恐れや悲しみ、あきらめ。リョウコさんのお母さんは、記憶から抜け落ちる出来事や予定を、大きな日記帳にびっしりと書き込んでいた。自分の脳に抗いながら、懸命に生きるお母さんが愛おしかった。

 ひとびとの、本当の現場と向き合おう。彼女は介護教室を通じて知り合ったNPOに、思い切って転職した。


 リョウコさんがワイングラスに視線を落としながら、独りごとのように話す。

「心配なのはね、お役所や教育機関と、自分が優秀な親御さん。その多くが、むかしながらのエリートイメージから、まだ感覚的に抜け出せていないの。世の中が変わりはじめているのは、頭ではわかっている。でも、学びの志向が、先入観で金縛りになっているような感じがする」

ネイビーが小さくうなずく。

「成功したひとほど、その体験が沁みつくからな。子どもだけじゃなくて、社会人の学びも、勉強でうまくいったひとたちがつくった、ハウツー攻略みたいになってしまう」

「本当はみんな、気になっているんじゃない? 会社が設定したスキルだけをアップデートしていけば、しあわせな人生になるのか……えっ、気になっていないのかしら?」




 シュウトくんはいつも、タエさんの自家製レモネードに、ラムとホワイトキュラソーを垂らしてもらう。カクテルでいえばXYZの亜流だろう。それを背の高いコリンズグラスで飲む。

「いまの子どもたちが社会に出る、10年後の世界がどうなっているのか……僕たちだって、どうなっているかわかりませんけど……マジで、働く前提が違うはずです」

――いままで通り、提供された学習をうまくこなして、立派な組織をめざして。それで競争の勝ち組感があって、しあわせな暮らしができるはずだって思えるのかな。10年どころか、3年後に……。


「Keiさんのところでは、AIエージェントの研修はあるんですか?」

「うん。ほんとうはマニュアル本みたいな研修は、やりたくないけど。経理と開発では、入り方が違っていいから。みんなが同じように使うと、またちょっと、創造性に幅がでないだろ」

「そうですね。本当は遊びながらトライ&エラーで、自分の使い方を編み出していくのが面白いんだけど……会社じゃなあ。でもそのうち、仕事そのものが、変わっちゃいますよね」

「そうなんだ。業務どころか、そもそも働くって、なにをすることなのか、まったく変わるだろうね」

「さっきの英語の話じゃないですけど、コンピューター言語を知らなくても、AIと対話してゲームぐらいつくれてしまう時代になっています。しかも3か月単位で、どんどん利口になるし」

「シュウトの仕事は、大工より生き残るんじゃないのか?」

YOさんが訊ねる。

「わかんないです。AIそのものというか、技術の目的をつくるひとたちは、生き残るかな……AIが自分で進化しはじめるかもしれませんけど。

 一般のシステムやソフトウェア開発は、ソースコードを記述できなくても『〇〇をしてほしい』って指示を出せば、プロセスは、かなりできるようになっています。まさかと思っていることが、すごいスピードで進みはじめているんですよ。ね、クマさん?」

「……僕ら、絶滅です……」

鉄道のダイヤグラムを開発管理するような仕事は、はじめに量子コンピューターを導入する可能性が高い、先端分野なのだ。先端に触れている者ほど、シンギュラリティ*2に対するイメージも、いっそうリアルなのかもしれない。


 ジョージもまた、想いを合わせる。

「ボクたちコンサルも、期待と不安が半々です。もうすでに、『こんな新規事業を立ち上げたい』とエージェントに打ち込めば、タスクもフィードバックも、AIがプロセスマネジメントのベースを出してきます。商談や経営会議まで可能です。クライアントは、ジョージは、もういらない。自分たちだけで、できると言い出すかもしれない」

「ハッカーもコンサルも、ヤバい感があるのか……もう、勉強しても、しょうがないじゃん」

そういうYOさんに、シュウトくんがぷるぷると首を振る。

「ダメです。だってAIになにを頼むのか、それをつくったら、誰に喜んでもらえそうなのか、やっぱり人間のことや世の中のことをもっと知らないと、AIとはおざなりにしか話せないんです。でもそれは、いままでの〈お勉強〉と、ぜんぜん違う感じがする」


「シュウトは、なにを勉強しているんだ?」

「えーと、いまは、歴史」

「へ? 歴史?」

若者はスマホにタッチして、呼び出した画面を隣りの先輩に見せる。

「実は、YOさんに教えてもらおうと思っていたんです。ここの内装」

「ここ、どこ?」

「京都の桂離宮」

「……あのさ」

YOさん、うろたえる。

「それはな。おれのような町場じゃなくて、数寄屋職人っていう特別な仕事師がいるんだよ」

「けっこう調べているんですけど、このデザイン、シブいですよね」

「あのね。ウチの扱っている内装は、アルミサッシや塩ビの壁紙なんだ。そりゃ和室もやるけどさ……まいったな、こいつ、深くて」

「サイバースペースに、いい溜まり場をつくりたいんです。空間のアイデア、歴史の中から見つけちゃった」

「それよね」

リョウコさんが、まるい笑顔になる。

「学ぶことって、もっと面白いはずなのよ」



「シュウトくんたちの言っているのはさ」

Keiさんが腕組みして、真剣な眼差しになる。

「そこに課題やチャンスがあれば、その工程を効率的に進められるよう、いままでは多くの人間が働いてきたよね。

 でもこれからは、AIが進行管理の提案までしてくれる。仕事のオペレーションはAIに預けて、むしろ、いい発想ができるかどうか、そして、出てきたものを適切にジャッジできるかどうか……要するに、入口と出口が、人間のいちばん大切な仕事になるっていうこと?」

——まいったな。発想と意思決定は、組織が最も苦手な領域じゃないか。

「あ、そうです。たぶん。ゲームをつくるんだったら、ゲーム関係だけじゃない本もたくさん読んで、アートも観て、旅行に行ったりヨガに通ったり、神社巡りするとか、余計なことをいっぱい体験していたほうが、アイデアが豊かになるとしたら……要件定義やタスクの管理がうまいことより、そっちのほうが大切になっていくんじゃないかな。

 商品やサービスの開発は、中間手続きがかなり激変するような気がします。バックオフィスも、すごく小さくて済みます……ほんとうに、人間は、なにを学べばいいんだろう?」


クマくんがつぶやく。

「……言葉は大事だ」

シュウトくんが即応する。

「それ、言えてます。AIの性能を引き出すには、すぐれたコミュニケーション力がいるんです。言葉の選び方、ワーディングや、対話のセンスとか。

 ネットからプロンプト(指示文章)を集めてきて、それをコピペして貼り付けても、似たような答えになりがちです。AIに問いの立て方を作ってもらうようなやり方もあるんだけど、う~ん、結局、アウトプットはふつうになる。

 いずれ、みんながAIをぶっ飛んで活用するには、気づきをうまく言葉にする能力が〈違い〉になっていくと思う……あれ? ネイビーさん! やっぱり、言語は素養なんだ」


 学びのスーパー・ジェネラリストである女性が、Keiさんにひとさし指を小さく振る。

「社会人教育は、新人さんもベテランさんも、〈読む・書く・話す〉を、土台からじっくりやったほうがいいかもしれないわね」

「Keiの仕事は、底なしにひろがるな。可哀想なやつ」

YOさんが弟を流し目で見る。

「いや、せめてそこは、学校教育で根っこを太くして欲しいけどなぁ。職業訓練や就活準備みたいなことは、もういいから。まったく、人財開発は、どこの底までやればいいんだよ」


 ネイビーは、それぞれプロフェッショナルである常連たちの時代知覚を、心に留める。

――「勉強とは、こういうものだ」先入観を固定されたひとは、仮説に耳をふさぐ。

――「エリートは、こう学んできた」前例から離れないひとは、予兆から目をそらす。

 おれたちはいま、学びの常識定説だと思ってきたことから、本当に離脱しようとしているのかもしれない。そう感じるか否かでも、未来への認識が分断しはじめている。




「あと、Keiさんの言う、出口のほうなんですけど」

ジョージがスモールトークをつなぐ。

「AIが提案してきたことが、人間にとって適切かどうか、アウトプットを判断する能力が、問題になりませんか」

「違う大規模言語モデルをベースにしたAI同士が、チェックし合えるといいのに」

「うん。シュウトくんの言うようになるかも。ただ、そこにモラルがあるかどうか、よくわからないんだ。たとえば、人種やジェンダーの差別は、もともとAIに飲み込ませたデータに偏りがあると、より強く偏向が出るらしいんです。だから人間がフェアにやらなきゃいけないんですけど……どこの誰がフェアなのか、その判定、これからけっこう揉めるような気がします。〈フェアなひと〉って、なにをどう学ぶと、なれるんだろう?」


 ネイビーが連想をひろげる。

「それな。アメリカ的な思考のAIと、中国的なAIとか。また人間の代理で揉めはじめるのかね?」

「ああ、ナントカ主義のバトルは、ボクはちょっと、面倒くさいです」

ジョージが改めて、自分が生まれた地へと思いを馳せる。イデオロギーをもとに、しあわせな場所ができたことなんて、一度もないよ。それ、歴史の真実でしょう?

「いま世界の中で比べれば、日本は、少しはマシなほうかと思いますけど……」

「ここはここで、ちょっとヘンな国かもしれないよ。日本という国家が好きだと言えば、あんたは右ですか。日本の里山の風景にこそ、暮らしの真髄があると言えば、ちょっと左が入っていますね、とか。とにかくレッテルを貼って、分け隔てしたがるフシは、おれにはなんだか、違和感がある」

「どっちか、みたいな短絡的な踏み絵をされるのは、おれも面倒くせえなぁ」

YOさんも腕を組む。

「ねぇ、クマさん。アメリカ的な思考を学習済みの基盤モデルと、中国的なモデルと、イスラム的なものと、日本的なものとか、いつかコネクトすると思う?」と、シュウトくん。

「……そのAIは、発狂するかも」クマくんは、いつものブラックなジャブで返す。




 タエさんがエアコンをつけたまま、道路に面した大きな窓を、いったん開ける。夜風には、まだ初夏の軽さが残っていた。店の空気がゆるみ、みんなのグラスの表面で、水滴がふくらむ。


 Keiさんが、いつもさばさばとワインを飲む仲間に話しかける。

「リョウコさんは、子どもからお年寄りまで、接するひとの幅がひろいですよね。世代の分断も、かなり感じますか?」

「そうねぇ。わたしは、世代の価値観は違っていて当たり前だと思っている。でも、ギャップが深くなっているかもしれないわ。自分たちの得意なコミュニケーション以外は、お互いに通じ合うのをあきらめてしまっているというか。確かに分断という言葉は、その通りかもね」

「たとえば、おじさん構文……文章に行間がたくさん入っていたり、気を使って絵文字を連発してくるのは、ちょっと若いひとたちが引くとか、一時、話題になりましたよね」

 マーケティング領域も仕事にするジョージが、会話を受け取る。

「そういう若手は、SNSがテキスト・コミュニケーションの中心なんです。短い文章だから行間はあけないし、反射的にレスするから飾り文字もわざわざ探さない。彼らの世代が、全面的なデジタルネイティブかというと、スマホの様式には強いけれどPCには弱いひとがいたり、どのデバイスやアプリを中心に生きているかによって、言葉や文章に感じることが、すごく違うような気がします」

「いまどきの新人研修では、〈メールには、タイトルがある〉っていうことから教えるんだ」

Keiさんの言葉から、シュウトくんも会話に交ざる。

「あ、ふだんはハッシュタグがタイトルか……僕は子どもの頃から、オトナと仕事をしていたんで、メールに違和感はないです。でも、『お世話になっております』『何卒よろしくお願い申し上げます』とか……定型文って、どうなんですか? うーん、季節の挨拶とか、優しさを感じる場合もあるけど」

「『誠に遺憾でございます』なんて、曖昧な政治言葉もまだ残るのかしらね?」

「あれは職業病だ。けっこう難病だぞ」YOさんが、ひとこと入れる。

「ボク、半分ガイジンなので、『ヤバい』っていう日本語がよくわかりません。あれは、ほめているんですか? それとも警戒感を示しているんですか?」

「日本で一番ヤバい温泉を教えてください……あらら、なんかダメね」


「……シュウトは、Z世代っていうひとだろ?」YOさんが、再び若者に話を振る。

「そうらしいんですけど。僕は渋谷へ遊びに行かないし、タイパなんて関係なく、やっていることにのめり込んで、無駄に徹夜するし。ナントカ世代っていわれるラベルを貼られたくない感じのほうが強いです。友達にも、いますよ。『ここはちょっと、Z世代っぽいことでも言ったほうが、おじさんやおばさんたちのマーケティングには、都合がいいんだろうな』みたいに他人ごとなの」

リョウコさんは頬杖をついて考えている。

――気の利いたバズワードを世代にくっつけておけば、カンタンに理解できた感じがするのよね。でも、どこかで理解するのを表面で済ませ、あきらめているような。あなたたちが、そこから引くの、わかる気がするわ。



「ねえ、Keiさん。パーパス、パーパスって、バズっているのは、社訓、社是と、経営理念と、経営ビジョンと、どう違うのかしら?」

「あはは。専門家のあいだでは、それぞれ厳密な定義があるのかもしれませんけどね。正直、同じお子様ランチの上に、違う旗が立っている感じはあります。ただ、時代がサステナビリティのほうへ向いているので、これまで企業は経済のためにあったところが、社会のためにどうあるべきか考えよう、という点は違います……ん? それってべつに、ビジョンでもいいですかね」

「澁澤栄一さんとセットで言われる〈経世済民〉じゃないけど、もともと会社は、世の中のことを考えていたんじゃないの?」

「忘れちゃったんですよ。社内とライバル会社ばっかり見て競争しているうちに」

「ボク、このあいだクライアントと話していて、すごいパーパスに出会いました。そのひとは、自分の業績目標のことを、〈パーパス〉って言ってました」


 Keiさんには、ジョージの言うことがよくわかった。経営陣と、本社スタッフと、現場とのあいだで、同じ言葉を共有しても、いつのまにか意味が行き違ってしまうことが多々あるのだ。言葉はわかり合う起点にもなるけれど、理解のギャップをひろげる争点にもなる。


 ネイビーにも、思い当たることがあった。例の〈イノベーション〉だ。

 経営陣は、事業ドメインをトランスフォームするほどの破壊的なイノベーションを期待する。ところが管理セクターでは、持続的に事業効率を上げる改善を志向する。現場においては、たとえ短期でも新規の利益機会獲得を、イノベーションと読み替えてしまう。

 了解し合っているようにみえる言葉の中で、自己都合的な解釈……そして分断が起こる。そのうちイノベーション推進活動は実態を失い、イノベーションという言葉そのものが組織から消え、いつもの対前年比/成長論に戻る。 


 リョウコさんのバズワード不信感が、さらにふくらむ。

「わたし、ダイバーシティっていう言葉も……もちろん、多様な価値観が共生することには賛成よ。でもね。わたしはこうだから、あなたはこうだからで、あら、価値観が違いましたね、それじゃあ、またね!って、ぶつけ合いも混ざり合いもなく隔たってしまったら、結局、分断したままじゃない?」


 シュウトくんも、ふと、思い出す。

「YOさん、1on1って、知ってました?」

「もちろん。スラムダンクだろ?」

Keiさんがフォローする。

「いま企業では、1対1、なるべくパーソナルに上司と部下がコミュニケーションを取って成長の機会を後押ししよう、という場づくりがすすめられているんだ」

「僕、それを聞いて、びっくりしたんですよ。大きな組織は、そんなルールまでつくらなければ、対話もないほど、ひとが離ればなれになっていたのかと思って」

――僕の毎日は、パーソナルな対話ばっかり。そこから新しい発想や仕事が生まれてくるのに。大きな組織のひとたちは、なにに触発されて、ピンときたり、ジャンプしたりするんだろう?


「Kei、サラリーマンの世界は、相当に傷んでいるのかなぁ……」

――おれたち小さな工務店だって、職人のとっちゃんと中東から来た若い衆が、しょっちゅう現場でしゃがんで話をしているよ。そのうえ、カミさんが頻繁に声をかけちゃあ、お節介を焼いている。そうしないと、仲間になれないじゃん。ウチは、その、1on1まみれだぜ。

 Keiさんは仲間の指摘が効いて、しんみりと聞いている。そう、分断しているのはアメリカと中国どころじゃなくて、おれたち組織の日常なんだ。




 リョウコさんが、ゴーヤの揚げ物に残ったギバサをのせながら、ブツブツつぶやく。

「もう、言葉も技術も思想も、世代も階層も大企業もNPOも、ぜんぶ混ぜこぜにしちゃえばいいのに。いちいちバカみたいに分けて壁をつくったり、分業したことだけ磨けば専門家だとかなんとかやっているから、面倒くさいんだわ。人間や世界について、パーツでしか考えなくなっているのよ」

彼女の快活さが、論理的なムチャを吹き飛ばす。

「それな。混ぜこぜは、わりと、日本の得意技だよ」

ネイビーが受けとめる。

「日本人の、ウタの歌詞って、いろんな言葉が混ざっていますよね」

ジョージが気づく。

「♪ ハロー、好きだよ、モウマンタイ~みたいな」

シュウトくんが歌い、YOさんは、

「カツとカレーだ。昨日は、カレー蕎麦に海老天がのってた。混ぜこぜは、文化遺産にすべきだ」

「兄貴が言ってるの、全部カレーじゃないか」

「トルコライスはどうだ? ニッポン洋食のすばらしい混合感」

「……カレーピラフが入ってる」

「食べると育てるで〈食育〉とか、〈終活〉とか……漢字も混ぜ合わせで価値を生むね」

「歌舞伎なんかも、すごいのよ。どうして四谷怪談と忠臣蔵の討ち入りの話が合わせ技になるのかしら。あれ、どうやって発想したんだろう?」

「今度のコロナ禍でリモートワークがはじまって、オンとオフも混ざり合いましたね」

「ああ、PCの画面に、同僚の子どもや猫が顔を出したりするの、ちょっと、いいんだよね」

「複業や兼業も、やりようによっては、面白い混ぜワザになるかもしれないわ」

――そうか。食品スーパーの仕入れをやりながら、行政の地域振興を兼務するとか。生鮮品の担当部署が、料理教室を開業するとか。イベントではよくやるけど、〈職〉にして混ぜられるな……混業。そのほうが、楽しそうじゃないか。


「人間とAIも、結局、混ぜこぜになるんだろうな」

「イイトコ取りって考えれば、いいんじゃない?」

「僕の中身は、テクノロジーと混ざって、どんな進化をするんだろう」

「シュウトはもう、脳の半分ぐらい、あっち側の世界に混ざっているんじゃないか?」

「自分がどっち側の世界にいるのか、よくわからない時があります」


 ネイビーがシュウトくん用のレモネードを拝借する。りんご酵母の日本酒が残っていたな。ちょっと合わせてみよう。

「ひょっとすると次に来る世界って、日本には、おあつらえ向きかもしれないよ」

――おれたちは、漢字でも仏教でもファッションでも食い物でも、外から来るものをリスペクトして取り入れているように見えて、そのくせ、ごしゃごしゃに混ぜ合わせて、いつのまにか日本っぽいものにつくり変えてきたんじゃないかな。編集というほど、洗練されたものではないような気がする。

 コロナ禍の最中に、ニュースを見て思ったんだ。あの非常時に、欧米をはじめとした自由世界の国々が、一気に政府主導の計画経済に転向していなかったかい? ふだんのりっぱなイデオロギーの張り合いって、なんなのだろう。かたくなに自由な市場経済なんて、あの場合はやってられなかったんだよ。パンデミックみたいな状況は、これからも起こるだろう。


「こうあるべきだ」とか「どっち?」って決めつけすぎると、これからどんどん、自分を追い込んで生きづらくなっていくんじゃないかな? そのとき、日本の習性は、ごちゃ混ぜが大好きだろ?

おれは、地球の未来に、その一見いい加減な〈混ぜたい魂〉が、とても大切なエンジンになると思っている。

 イノベーションって、日本語に訳すと〈新結合〉なんだぜ。


 ネイビーが、首をこりこり回しながら話を続けた。

「それこそ、かき混ぜ役をAIがやればいいんじゃないか?」

「……なにをかき混ぜるんですか?」

Keiさんが訊く。

「いや、その1on1。あそこの上司と部下は、最近あまり話していないなと探知したらさ、AIが声をかけるというか……1on1×AI」

「三者会談ね。三者って、けっこうコミュニケーションがうまくいくのよね」

「AIに優れた対話力があるんだったら、階層意識も世代分断も、うまいこと、こなすだろ?」

「そこまで頼りにしちゃって、いいんですかね?」

「思いつきだけどな」

ジョージは、なにかインスピレーションを得たようだ。

「あの、もしもですよ。AIがフェアに、プライバシーを保って対話を取り持てるとしたら」

――AIこそ、実務や思考のパートナーになるだけじゃなくて、組織の世話役さん。

ドライなエリートがなろうとしなかった、サーバントリーダー *3になれるかもしれない。




 店から駅までの帰り道、リョウコさん、クマくんとジョージが一緒になった。

 大柄なクマくんは、小柄な二人にしずしずと小股で歩調を合わせる。

「今夜みたいな話、会社でぜんぜんしないなぁ」

ジョージが明るくかすむ夜空を見上げながら話す。

「リョウコさんのところは、みなさん、もっとフランクなんでしょう?」

「わたしのところでも、〈妄想・ディスることを禁ズ〉みたいな空気は、あるわね。批評がふつうに出ないと、実は、問題の本質が見えにくいのよね……」

「ボクの会社は、モヤモヤしてはいけない雰囲気もあります。会社で今夜みたいな話をしても、『そんなこと言ったって、利益出さなきゃ、しょうがないだろう』ぐらいの感じかな」

「みなさん、クレバーに働いているのよ。でも、これからもずっと、『しょうがない』のかしら」


駅に近づくにつれ、黙々と家路へ向かう働きびとが、すれ違うようになった。

クマくんがぼそっとつぶやく。

「……みんな、本質的なことは、考えないように避けているのかな」

「それ、ちょっとヤバいわね」

「そのヤバいは、良いほうですか? 悪いほうですか?」



やわらかな夜風の中、ハナミズキの葉がさざめいていた。




文中 注釈


*1 ヒロ・ウザワ(宇沢弘文) 

数理経済学の世界的権威。持続的社会における経済のあり方を模索した先駆者。資本は、私的資本と社会的共通資本(自然環境、社会インフラ、教育・医療など)に分けて考え、社会的共通資本は、市場経済の競争原理や国家政策ではなく、第三者的な専門家によって管理されるべきだと論じた


*2 シンギュラリティ 

人工知能が自律的に改良を繰り返し、人間を上回る知性が誕生するという仮説。人工知能研究の世界的権威であるレイ・カーツワイルは、2045年にシンギュラリティに到達すると予測している


*3 サーバントリーダー 

ロバート・グリーンリーフが提唱したリーダーシップ哲学。奉仕や支援を通じて信頼を培い周囲に協力してもらえる状況を作り出す

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