妹
2人が出て行った後、レイアはふと目線を下げて自分の手に目をやった。
(汚い手…。)
彼女はそう思った。それは、もしかしたら色々な意味を含んで居たのかも知れない。
(私は…、どうすればいいのだろう)
彼女は自分の手を見ながら、必死に考える。小さい頃から魔人の骨杖を振り続けているその手の皮膚は、とても女性とは思えないほど硬くなっている。そして、爪は真っ黒だ。「珠」を力を源に、聖霊の力を使うようになってから、目と爪は黒くなっていった。目は緊張を解くと元に戻るが、爪だけはいつからか色が戻らなくなった。
それは爪の周りの皮膚にも広がっていて、今見直せば手のシワも心なしか黒ずんでいる。レイアは自嘲ぎみに微笑み、静かに手から目線を離した。
…また一人になった。
すると、この部屋に訪れた3人の女の事が再び頭を過ぎった。
白の槍使いサカテと天才戦術家モモ…そしてサーシャ。
特にモモの話は、衝撃の連続で頭の中が真っ白になってしまうほどだ。彼女は…自分の目で確かめろ…そう言った。内容の真偽はともかく、その事だけは彼女の心にストンと落ちた気がする。
白の槍使い…戦争の最中サカテに突かれた腹はすこし痛むが、歩けないことはなさそうだ。レイアは、ゆっくりとベッドから足を下ろした。ふと体を見直すと、自分が肌着であることに気づいた。
(何か着るものは…。)
レイアが辺りをキョロキョロと見渡す。すると、ベッドの足元にベージュのワンピースが置いてあるのを見つけた。そのワンピースは丁寧に折りたたまれている。彼女は徐にその服を手に取ると、頭から被り着てみた。すこし大きいが、変ということはなさそうだ。
(これは…あいつのか…)
彼女が悪魔と罵るサーシャは自分より背が高い。サーシャはここを自分の部屋と言っていたので間違えはないだろう。優しい、いい香りがする。それは魔術師として生きてきた彼女にとっては縁遠いものだった。
「…似合わないかな。」
部屋の隅に立てかけてあった、大きな鏡の前に立ってみる。髪を手櫛で整え、鏡を覗き込む。目は、緊張しているのか漆黒だった。サーシャやモモと比べるとやはりこの目は異常なのだろう。だが、黒の法衣と骨の杖を持っていない彼女が、魔術師としての片鱗はこの「目」と「爪」しか見当たらない。
ふと、部屋の中央に置かれた丸い机の上に目がいく。そこには淡い鶯色のストールと真珠のネックレスがあったに。彼女はそっと近寄って羽織ってみた。そして、明るい色の真珠のネックレスも首からかけて切る。
「…。」
再び鏡の前にいくと、そこに写っていたのは年頃の娘のような自分だった。
レイアはそっと部屋を飛び出した。部屋のドアの前には、見張りもいない。本当に自由だった事に彼女は驚いたが、やがて目をキョロキョロさせて長く広い廊下を歩いていく。天井が高く、床は藍色の絨毯で覆われている。壁は、漆喰に白で清潔感があり、時折見える柱や調度品も見事なものだった。
(ここは…城なのか)
レイアはなんとなく辺りの雰囲気でそう感じた。やがて、5段くらいの小さい階段を下りていくと、パッと横から陽の光が入ってくる。彼女は、目に手をあてて眩しそうにその光景を見ると、どうやらそこは城の中庭のようだった。廊下の壁はなくなり、5m間隔で均等に白い柱が見える。そしてその柱の向こう側は、美しく刈られた青い芝生が広がっていた。
風が通るのか、芝が風で揺らいでいる。レイアは引き寄せられるように、その中庭に出てみた。靴からも芝生の優しい間隔が足に伝わる。小さい時から、自然と共に暮らしてきたレイアにはとても懐かしい感覚だ。
「あ…。」
レイアは、声を出した。誰かがその中庭の中央に陣取って、寝ている姿が見えたからだ。手足を大きく伸ばし、まさに大の字で寝転がっている。
「…。」
レイアは、忍び足で近づいていく。なんとなく…気になったのだ。爽やかな風を感じながらゆっくりと進んでいくと、やがて頭しか見えなかったその人物の姿が見えて来る。
寝ているのは、男のようだ。白い法衣を羽織っていて、左手に黒く大きな剣を握っていた。
「まさか…聖騎士…?」
彼女はそう思いながら、恐る恐るその男の顔を覗き込む。彼は、目を瞑っているがまだ若いことは想像に容易い。かなりの童顔のようで、レイアから見てもその寝顔はとても可愛いく感じられた。…とても聖騎士とは思えないその見た目に、彼女はホッと胸を撫で下ろした。基本的に魔人を目の敵にする聖騎士は、魔術師の天敵でもあるからだ。
と、強い風を感じてレイアは顔を上げた。
「わぁ…。」
彼女は目の前の風景を見て、思わず感嘆の声をあげた。その中庭から城の外を見ると、眼下には美しく壮大な街並みが広がっていたからだ。どうやらここは、城の最上階の庭ようだ。レイアは思わず、その街がよく見えるように、端まで走る。
そこから見えたのは、砂漠から平地まで大きく広がる巨大な街だった。
「こんな大きな街…見たことがない…。」
レイアは目を丸くしてそう呟く。街は、様々な大きさの建物が均等に並び、碁盤の目の様に伸びる道はどこまでも続いている。そして、ひときわ高い建物が見えたが、それはどうやら教会のようだ。宇宙の真理を表す放射状の文様と、女神をモチーフにした模様が見える。
そして、立ち並ぶ商店に目をやると、この離れた場所からも人々の活気が伝わってくるほど賑わっていた。ここには、サーシャがいる。と、いうことはこの街が、「ロハン」なのだろう。
そこはエディアの高官や魔術師の先生から聞かされていた話とは異なる風景が広がっていた。レイアがこの街を攻め込む作戦を聞かされた時、ロハンは悪魔が支配する死の街で、肢体が溢れていると教えられていたからだ。
と、後ろから視線を感じた。
レイアがゆっくり振り返ると、先ほど中庭で寝ていた男が上半身だけ起き上がって、自分を見ていた。彼はキョトンとした顔で、まるで珍しい生き物を見ているような目でこちらを伺っているように見ている。彼女の予想通り、彼の目は大きく童顔だった。10代後半だろうか…。;
レイアは、自然と小さく頭を下げた。
その男は、ボーっとしばらくレイアを見ていたが、やがて恥ずかしそうに頭を掻きながら
「レイア…さん?」
と尋ねてきた。レイアが一瞬驚きながらも小さく頷くと、彼は微かに笑ってそのまま軽く手を上げる。そして人懐っこい顔が一瞬見えたかと思うと、彼は再び体を倒してそのまま寝転がってしまった。
(…呑気な人ね)レイアはその様子に少し呆れてしまった。一応…自分はこの城の住民にとっては敵のはずだ。杖もなく、魔人もいないので何もできないが。
彼の休息を邪魔するのも悪いと思ったレイアは、再び街に目をやりその場に座った。風景を覆い隠す塀などがないため、座っても街は良く見える。空は水色で澄み渡っていて街の白い建物が映え美しい。
レイアは、おもわず立て膝の中に顔を埋めた。爽やかな風と暖かい陽だまりが心地いい。
(ここって、気持ちいいな。後ろの彼が寝ちゃうのもよくわかる)
そう思った彼女も…いつの間にか、こくりこくりと居眠りを始めてしまっていた。
どれくらい時がたっただろうか。
レイアが微かに肌寒さを感じゆっくりと目を覚ますと、街の白い建物がまるで橙色をかけたような夕日に照らされている。どうやら、夕方も終わろうとしている時刻のようだ。
「ん?」
彼女は背中に何か温かいものを感じた。ふと、肩に目をやるとそこには白の法衣が見える。「彼のだ…。」彼女はすぐにそう思い立った。どうやら、先ほど自分の後ろで呑気に寝ていた彼が、こっそり背中に羽織らせてくれていたようだ。
(いい人だな…)レイアは素直にそう思った。それにしても彼は、誰なんだろう…ふと気になる。城にいるのだからここの住人であることは間違えがない。レイアは彼が掛けてくれた白の法衣を丁寧にたたんでいると
「レイアさん!!ご飯だよー!」
やがて元気なアンドレの声が後ろから響きわたった。
アンドレに手を引かれながら、レイアは城の中二階にある食堂のような場所に案内された。そこは城で働く住人の食事の場らしく、巨大な空間の中に木の机が幾つも並べられ多くの人が夕食を楽しんでいる。
「ビッフェって言うらしんだけど…あそこに並べてある食事から、好きなものを好きなだけ取ってきていいんだって!」
アンドレは、目をキラキラさせながら食事が並べている場所を指差す。そこには、肉や野菜、パンなどが様々な食べ物が並んでいて、色とりどりのおかずがトレーに綺麗に置かれていた。
「ふふ。アンドレは、楽しそうね。」
「うん。だって、どれも美味しそうだよ。早く行こうよ。なくなっちゃう!」
アンドレはそう話すと、心配そうに小走りで向かう。レイアは、苦笑いしながら彼についていくが、そもそも自分はここで食事をしていいのか…ということが、ふと頭をよぎった。ここに連れてきたのは、子供のアンドレだ。誰の許可も貰っていない。
食事が並べてある場所には、多くの城の住人が楽しそうにメニューを選んでいる。
「はい、レイアさん。これに料理をのっけるんだよ。」
アンドレは満面の笑みでそう話しながら、トレーを手渡してくる。「あ、ああ。」レイアは生返事でそのトレーを受け取ると、小さく微笑みながらため息を落とした。
彼はどうやら一度このビッフェを体験しているようだった。レイアは、子供に教えてもらっているようで、恥ずかしくもありちょっぴり嬉しくもなる。
(ここでは、彼のほうが頼もしいわ。)レイアは、アンドレを見てそう思った。目を輝かせて料理を見ている彼を見ていると、ふと5歳年下の妹の子供時代を思い出す。レイアの妹はラメレスといい、姉妹はとても仲が良かった。ラメレスは小さい頃は甘えん坊で、いつも自分の後をくっついくる可愛い妹だ。(そうか…アンドレはなんとなくラメレスの子供の時にに似てるんだ…)レイアはなぜ彼のことが気になったのか、やっと気づいた。見た目はもちろん違うが、自分に懐き頼りにされているところなどそっくりだった。
(そういえば…ラメレスは無事だろうか…)ふとレイアは妹を気にやった。彼女は、自分とは別行動で今回のロハン侵攻作戦に従事している。そんなことを考えていると
「レイアさん、僕、先にいってるね。早く選ばないとなくなっちゃうよ!」
と、アンドレが急かす声が聞こえた。レイアは慌てて食事をそっと眺めてみた。確かに彼の言うようにどれも美味しいそうだ。ロハンの豊かさをまざまざと見せつけられた気がしてならない。なにせ、周りにいるのは王族や貴族ではない。どう見ても城で働く普通の民だ。
だが、喜んで料理を皿に盛っているアンドレを尻目に、彼女はトレーを持ちながら立ちすくんでしまった。やはり、本当に食べていいのか気になって仕方がない。
「おい!さっさと取れ!」
と、聞き覚えのある声がする。恐る恐る振り返ると、そこには白い羽織をきたサカテが自分を見上げていた。
「サカテ…さん。」
「なに迷っているんだ?魔術師ってーのは、優柔不断なのか?」
サカテは不安そうに並んでいるレイアに、いつものように無表情でそう声をかける。だが、レイアは何か体が固まって動けない。サカテは、小さくため息をつくと、
「後ろがつかえるんだ!もう、しょうがねぇ奴だな!僕が選んでやる。」
と言って、レイアのトレーの上に野菜、魚、スープ、パンとドカドカ勝手に乗せていった。如何にも短気な彼女らしい行動だが、レイアはその様子をただただ驚きながら眺めていた。自分も食べていいのかと確認したかったが、彼女はそのことを気にもとめずレイアを押し出すようにそのまま進むと、
「いくぞ!」
とサカテはレイアを仲間が座る場所まで勝手に案内した。
レイアは大人しくその場所までついて行くと、すでにアンドレは、座っていて肉にかぶりついていた。そして彼の横には、先ほど自分に意味深げな話をしてくれたモモが座っていて、スープを飲んでいる。
「おい、ここに座れ。」
サカテがそうレイアに椅子を勧めた。その声を聞いたモモは、一度顔をあげてレイアを見たがすぐに視線を外して再びスープを口に運んだ。
レイアが躊躇しながらもその場に座ると、サカテも彼女の横にドカッと腰を下ろした。そして、ゆっくりと手を合わせ目を瞑る。魔術師にとってその光景はとても異質に見えた。(なにをやってるのだろう…)と首を傾げる。レイアは彼女を横目で見ながらゆっくりとスプーンを手に取り、食べようとすると
「レイア、まずはちゃんと食べ物に感謝なさい。別にサカテのように祈らなくていいから。ありがとうって心で思えばいいのよ。」
とモモに真顔で注意にされた。レイアは慌ててスプーンを置くと、サカテを見ながら彼女の様子を真似をしてみる。若干精神論的なその様子にレイアは少し戸惑ったが、やがてサカテが祈りを終えるのを横目で見ると、自分もそれに合わせてゆっくりと食べ始めた。
(美味しい…)
レイアは一口目でそう思った。最初に口にしたのは魚を揚げたものだったが、味がしっかりと付いていて魚自体も白身でほのかな甘みがある。彼女の驚いた顔を見てアンドレは「美味しいでしょ?僕も最初食べた時、びっくりしたんだ!」と笑顔で、彼女にそう話しかけてきた。レイアも彼を見て、うんうんと頷く。
「ところでさぁ、レイア。聞きたいことがあるんだけどさ。」
サカテが、ふいに声をかけてきた。レイアは、スプーンを置いて怪訝そうに彼女を見ながら小さく頷く。
「うん、なに?」
「おまえの魔術師仲間だと思うんだが…ラメレスっていう奴、知ってるか?」
「えっ!?」
サカテの言葉にレイアは、驚いて思わず大きな声を出してしまった。だがそれは、仕方のないことだ。自分の妹の名だからだ。彼女は、自分とは別行動でロハンの支配下にあるキルドという街を攻めていたはずだ。このサカテがその名を知っているということは、ラメレスはキルドで拘束されたのだろうか…。レイアは一気に血の気が引いていくのを感じた。魔術師が捕虜になれば、その見た目や不気味さにどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。なぜか、自分はその迫害は受けていないが…。
「ラメレスは、私の妹だ。」
レイアは声を押し殺すようにそう言った。




