第56話 運動
「シリル。祝宴の日取りが纏まったわ」
週に一度のお休みの日。
朝食の場で、エイダさんが切り出してきた。
「祝宴は三週間後の日曜日。明日の会議の前にシリルには招待状に署名してもらいます。その後のことはわたくしとクリフたちで進めておくけれど、以前にも話したように、来週からはパーティーでの振る舞い方や来賓の方々についての知識を覚えてもらうわ」
「わかりました」
こくりと頷きつつ、少しだけ緊張する。
祝宴は僕の領主着任を祝って開かれるもの。
当然、僕が主役ということになる。
そう考えると、少し緊張してきた。
「ふふっ、大丈夫よ。当日はわたくしたちもいるもの」
「う、うん!」
僕の不安を見抜いたエイダさんが柔らかく微笑みかけてくれる。
確かに。
パーティー会場にはエイダさんやサイラスさん、クリフさんたちもいるはず。
それに人前では姿を隠しているだろうけど、コムギやハヤテたちも僕のそばにいてくれている。
……あれ? そう考えると全然平気だな。
「母さま、ぼく、たのしみです!」
「そ、そう? ならよかったけれど……」
勢いよく言ってのける僕に、エイダさんは不思議そうに首を傾げる。
それにしても、エイダさんがクリフさんと一緒に祝宴の話を進めているなんて。
クリフさんがエイダさんから信頼を得ていることがわかって、なんだか嬉しい。
「シリルは今日もこの後は森へ行くの?」
「うんっ」
一週間に一度の休日は、セルワーレの元へ行ける唯一の日だ。
逃す手はない。
「シリルは本当に自然が好きなのね」
元気よく頷いた僕に、エイダさんは笑っていた。
◆ ◆ ◆
「シリル、一ついいかな?」
セルワーレのもふもふへ飛び込もうとすると、彼はどこか遠慮がちに口を開いた。
「なぁに?」
小首を傾げる。
珍しい。これまでなら何か話があっても、ひとまずもふらせてくれたのに。
セルワーレは僕の頭上を見つめ、萌葱色の瞳を細める。
「……コムギたち、太っていないかい?」
「……そ、そうかな」
「や、やはりそうでございますよね」
「さいらすまで!?」
後ろで控えていたサイラスさんの追い討ちに、僕はぐぐぐぐっと頭上を見上げる。
そこには毛玉さんたちがゆらゆらと飛び交い、その中にいつものようにコムギたちの姿もある。
可愛い。今まで通りの愛くるしい姿で空中に浮かび、……どこかふらふらとしている。
いや、わかってる。
誰の目から見ても、みんなふくよかになっていた。
コムギの体はちぎりパンみたいにパツパツになってきているし、ハヤテは翼に比べて体周りが大きくなっていて、ちょっと飛びづらそうだし、ユキもクロヒメもグレンもずんぐりしてる。
って、ミナモに至ってはもはや空中に浮かんでいない。
地面を水面に見立てるようにして仰向けに寝そべっていた。
……はい。ご飯のあげすぎです。
初めて魔力玉をコムギたちに与えた日の翌朝。
コムギたちはベッドの上でぐでぇ〜としていた。
その姿を見て僕は悟った。
ご飯をあげすぎたんだって。
これはよくない。
ご飯のあげすぎは思わぬトラブルの下だ。
何か重い病気を引き起こすかもしれない。
そう思って、コムギたちに与える魔力玉は一日一個まで、そう誓いました。
でもね。あんなつぶらな瞳でねだられて、どうして拒めるというのか……!
いやでもやっぱりよくない。いやでもかわいい、いや、だめだって。
そんな葛藤を繰り返すうちに、僕はふと思ったんだ。
あれ? 精霊って病気になるの……? って。
精霊さんは以前のセルワーレのように力を使い果たさなければ死なない存在。
だったら魔力をいくらあげても、それはみんなにとっていいことなのでは……?
そう思ってからはもう、歯止めが効かなくなりました。
毎晩、ねだられるがままに魔力玉を与え続け――そして、みんな太っちゃいました。
「だめだった、かな」
事情を話して、セルワーレにおずおずと窺う。
もしコムギたちに害があるなら、心を鬼にしておねだりを拒む所存だ。
「だめというかねぇ……いやぁ、君にはいつも驚かされる。そうか、魔力そのものを体外に排出できると、そういうこともできるんだね」
セルワーレは驚嘆の声を漏らしつつ、固唾を飲む僕に答える。
「まず、君の認識は間違ってはいないね。儂ら精霊は力を使い果たさない限り消滅することはない。君が魔力玉を与え続けても、その子たちが病に侵されたりすることはないよ」
「よ、よかった」
「でもね。その状態を続けることはお勧めしないね」
「ど、どういうこと?」
安堵したのも束の間。
セルワーレからの言葉に、全身に力が籠る。
「君はこれまで、精霊たちを撫でることで、力を与えてきた。君の体から生じた魔力は、触れ合う中で、精霊自身の力へと変換されてきたんだよ。けれど、魔力玉は違う。それは君の純然たる魔力の塊だ。精霊が取り込んでも、精霊自身の力には変換されず――人の子らしくいうと、消化されないんだ」
だから、コムギたちは太ってしまったらしい。
でも、だったらなんでみんな魔力玉を食べたがるんだろう。
その疑問を何気なく口にすると、セルワーレは笑った。
「簡単なことだよ、シリル。それはみんなが君のことを大好きだからだよ」
「えっ?」
「好きな人の作ったものは、欲しくなる。そうだろう?」
なにそれなにそれなにそれ!!
みんなそんなこと思ってくれてたの!!!!
僕はてっきり、お腹空いたのかなって思ってたのに!
「みんなぁああ!!」
僕はコムギたちを抱きしめる。
……もふ圧がすごい。
太ったからかな。
って、そうだ。
「せるわーれは、さっきこのじょうたいはよくないっていってたよね? どうすればみんなもとどおりになるかな」
「それはね、君の魔力を精霊たちの力に変換するんだ」
「へんかん?」
のしのしと、セルワーレが歩み寄ってくる。
「人との契約で精霊魔法を使う時、対価として差し出された魔力は精霊の力へと変換される。取り込まれた魔力を用いて力を振るえば、彼らの力へ変換されるよ」
「……つまり、たべたあとにうんどうしろってこと?」
「ふふっ、面白い表現だ。でもその通り。彼らは君の魔力を勝手に使おうとはしない。君の許可をもらえるまでね。だからこれまで体の中にただ溜め込んでいたんだ」
そんな、律儀すぎる……。
でも精霊ってみんなそういう存在なのかも。
僕はコムギたちを地面に下ろすと、みんなの目を見て伝える。
「ごはんは、みんなにあげたものだから、みんなのものだよ? すきにしていいからね」
「ワン!」「チュン!」「キュー!」「ナァ!」「コン!」「キュッ!」
コムギたちは僕の言葉に頷くように鳴き声を上げると、みんな思い思いに動き出す。
そうして――。
「せ、精霊魔法……」
サイラスさんが唖然とする。
とてつもない炎の息吹に、大気を吹き飛ばす爆風、次々と盛り上がる地面に、地底湖に降り注ぐ雨、太陽を超える眩い光に、夜を凌ぐ闇。
溜め込んだ魔力を用いて振るわれるそれらは、洞窟内に天変地異を巻き起こしていた。
すべてが収まる頃、みんなは元の姿へと戻っていた。
もちろんこの姿も可愛いけど、ずんぐりとした姿も可愛かったなぁ。
◆ ◆ ◆
「不思議なものだ。一人でいることには慣れていたというのに、今はもう寂しさを感じているなんてね」
シリルたちが去った後。
すっかり静けさを取り戻した洞窟内に、セルワーレの声が響く。
何十年もの間、一人で生きてきた。
だから、一人でいることには慣れていた。
誰にも看取られず、ただ朽ちていくのを待つだけだった。
そんな自分が――今さら、こんな感情を抱くことになるとは。
「シリルにはとても、言えない弱音だね」
何気なく口にしてしまえば、あの優しい子はどうにかしようと奔走するに決まっている。
自分を森から連れ出そうとするか、あるいは彼がここに住もうとするか。
そのどちらも、セルワーレとシリルの立場を思えばできない話だ。
セルワーレはこの森の守護者であり、シリルは領主なのだから。
唯一の打開策があるとすれば――。
セルワーレの脳裏に、一人の少女が過ぎる。
今はもういない。
かつて長き時を共にした少女の姿。
セルワーレは頭を振る。
と、その時。
「――! おや、これは珍しい」
自らが支配する大森林の、その東側を見据え、セルワーレは目を細めた。




