第49話 相談役
孤児院を巡る一件が片付き、慌ただしく屋敷を出る日々が終わった。
それはつまり、ニール公領行きが発覚した時に夢見た、もふもふさんたちに囲まれて一日中もふり愛でる幸福な日々の始まりを告げ――。
「若様、こちらのご確認もお願いいたします」
「う、うん」
「シリル王子、こちらの議案については――」
「そ、そうだね」
――るわけがなかった!
領主の屋敷の一室。
これまでアドルフが使っていた会議室の最奥にどっしりと構える執務机の前に座り、足をぷらぷらとさせる僕の前に、次から次へと持ち込まれる領内についての報告と訴えの数々。
部屋の中央、僕から見て目の前に設置された長机を家臣や文官たちがびっしりと埋め尽くし、部屋には立ち所に人が入っては出ていき、書類の山が増えていく。
アドルフを家宰の任から解いて三日。
僕は領主として、日中は会議に奔走する日々が続いていた。
これまで僕が自室で目を通し、決裁作業を行なっていた書類たちは、この会議を経て厳選されたものだというのが痛感する。
アドルフは一日中上げられてくる報告と訴えから必要なものとそうでないものを判断していたんだ。
失って気付く。アドルフの有能さを。
不正なんてするなよ!
とはいえ、領内の運営を三歳児、それもまだ教育も進んでいない僕なんかがすべて捌けるわけもないので、今日から助っ人が招聘された。
それが先ほどから僕の左隣に立ち、家臣や文官の訴えに対する見解を簡潔に耳打ちしてくれている青年だ。
「シリル様。民心が税収の使い道について、……僭越ながら、横領の不安を感じるのは道理。しかしここで民に寄り添えば、そこからの引き締めが難しくなります。時間が経てば動揺も収まるでしょう。今は静観されるのが吉かと」
理知的な声と眼差し。
その性格を物語るように茶髪をきっちりと整え、キリッとした青い瞳をこちらへ向ける彼の名はクリフ・センツベリー。
何を隠そう、アドルフの息子さんだ。
脱税と横領を行ったとはいえ、アドルフは元々この地にあったニール王国の末裔として、地域の人間から敬われ親しまれてきた血筋の人間。
そんな彼を新参者である僕が追い出しただけでは角がたつ――というサイラスさんの提言で彼が相談役として招かれた。
ちなみにクリフさんを相談役に据えると告げた時、サイラスさんは苦い顔をしていた。
ニール王の末裔は他にも何人かいるのだから、この中から選ばれた方がいいって。
そうは言っても、どの人も血筋こそ立派なものの、すっかり一般の人になっていて、政治や領地経営から縁遠かったんだ。
アドルフの息子であるクリフさんは多少の実務経験もあったため、そこについて僕は意見を変えることはしなかった。
でもまあ、よくクリフさんもこの話を受けてくれたものだ。
父親を追いやった僕のことを恨んでいてもおかしくないだろうに。
……あ、サイラスさんはそのことを危惧していたのか。
◆ ◆ ◆
「はぁ……これでおわり、だよね」
「はい。お疲れ様でございました」
ぞろぞろと家臣や文官たちが会議室を後にする中、僕はクリフさんに訊ねる。
彼は恭しく、本当に敬意を伴った様子で僕へ頭を下げてきた。
「くりふのおかげでたすかったよ。きのうよりはずっとらくだった」
「光栄でございます」
クリフさんの今日の仕事ぶりに文句はなかった。
あれだけの量の議題を捌けたのがその証拠だ。
やっぱり僕の目に狂いはなかったな――と、密かに得意げになっていると、クリフさんが窺うように声をかけてくる。
「シリル様、一つよろしいでしょうか」
「うん?」
「どうして、私を相談役に指名してくださったのでしょう」
今日、屋敷に現れた時に何かを気にしている様子だったのは、このことを考えていたからなのかな。
どうしてと言われても。
僕はサイラスさんに言われたことを話す。
それでもクリフさんは頭を振った。
「意図は理解できます。ですが、だからといって私を指名されて……怖くはないのですか」
「こわい?」
「……私が、シリル様を逆恨みで傷つけるのではないか――と」
クリフさんの青い目が鋭くなる。
ふと彼の後ろを見ると、文官たちの姿はすっかりなくなっていて、代わりに会議室の前に立っていたサイラスさんがぴくりと反応し、扉越しにこちらを窺ってくる。
こ、こわいよ、目が怖い。
……っと、今はクリフさんからの質問だった。
僕はつい笑みを零す。
「何か、おかしなことを申しましたか?」
「え? あ、ごめん。だってさかうらみしてるひとは、じぶんからさかうらみ、なんていわないでしょ?」
僕を恨むのはお門違いだと、誰よりもわかっている証拠だ。
そんなクリフさんが僕を恨むなんて、ありえない。
僕はぴょんと椅子から飛び降りて、クリフさんを見上げる。
「あどるふはゆうしゅうだった。そんなひとをおいだしたんだ。ゆうしゅうなひとをよばないと、くろうするのはりょうみんだからね」
「そ、それだけの理由で……」
それだけとはなんだ。
かなり大事なことだと思う。
僕はこのニール公領を豊かにするぞ! とか、そんな気概はない。
もふもふさんたちとのんびり気ままに過ごせたらそれでいいと思ってるからね。
でも、そればっかりに気を取られて領民の人たちが苦しむのは流石に違う。
健全なもふりは健全な営みから!
思わずよぎった格言にむふぅと得意げになり僕を、クリフさんは唖然と見つめている。
っと、仕事が終わったんだし早く部屋に戻るぞ。
「それじゃ、あしたもよろしくね」
「は、はい! シリル様」
深々と頭を下げるクリフさんに手を振って、僕は会議室を後にした。
◆ ◆ ◆
「そ、そんな……い、いいんですか」
自室へ戻り、机の前に座った僕。
机の上では、クロヒメがお腹をこちらに向けてごろごろしている。
その無防備な姿に僕は両手をわきわきとさせ、お伺いを立てていた。
「ンナァ……?」
「いやでも、そんなぶれいなこと、いや、……っっ」
「ゴロゴロゴロ、ンニャ」
あ〜もう我慢できない!
「ンニャ!?」
クロヒメのお腹に顔を押し当てる。
もちろん、痛くないように皮膚が触れる程度で。
そうして僕はふわふわの毛でくすぐったくなる鼻から目一杯空気を吸い込んだ。
「すぅぅうううううううう〜〜〜〜〜〜はぁぁあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜」
あぁ……おひさまのにほひ……。
今日一日、疲れていた頭の中が一気に回り出していく。
全身がクロヒメで包まれているような錯覚。
し、至高だぁ……。
「シリル王子……その、精霊様に、そのような……ああ、いえ、なんでもございません……」
すぐ傍からサイラスさんのどこか呆れた、そして諦めた声が飛んでくる。
僕はそれに構わずクロヒメを吸い続けるのだった。




