第48話 サイラスの手紙
第五王子シリル・オブライエンの王宮入りが取り消され、辺境のニール公領の領地と爵位の下賜をもって王都を追い出されてから、間もなく二月が経とうとしていた。
オブライエン王国史において、王族が重大な過失を起こし、王宮を追放された例は数あれど、王宮入りが取り消された例はない。
その差配について、王宮区では様々な憶測と噂が巻き起こり――しかし、末の王子へ向けられる関心はそれ以上は大きくなることなく、この二月ですっかり沈静化していた。
ただ一点を除いて――。
昼下がりの王宮区。
その中心に座する広大無比な王宮は、その広さを活かして、明確な区画分けがなされている。
中央に構える中央棟は公の役割。王の執務室はもちろん、謁見の間や会議室、文官たちの仕事場などが配置され、ここで国政の大半が執り行われている。
そして中央棟から両側へ翼のように伸びている建物は、右側が国賓用の客室や法衣貴族たちの緊急時の居住区、左側が王族の居住区となっている。
左翼棟もまた細かく区分されており、その場所の所有者以外が許可なく立ち入ることは許されていない。
そんな左翼棟にあって、王族全員に等しく解放されている庭園に、ティーカップを傾ける一組の男女がいた。
「聞いてくださる? このところのオリバーの成長といったら、学園の先生方も驚いているらしいわ」
「……昨日も聞いた。試験の成績が良かったそうだな」
庭園に設けられたパラソル付きのテーブルに向かい合って座る二人。
先ほどから一方的に囃し立てているのは、派手目なドレスが特徴的な黒髪の女性――王妃ヴェロニカ。
そしてその話に気押され気味に耳を傾けている金髪の美丈夫こそが、オブライエン王国国王ルーティスだ。
どこか疲れた様子で口元をティーカップで隠すルーティスへ、ヴェロニカの勢いは止まらない。
「でもこれは話していないでしょう? オリバーが中級魔術に成功したこと」
「……中級魔術」
ルーティスの眉がぴくりと動いた。
その反応に、ヴェロニカは紅の引いた唇で弧を描く。
「ええそうですわ。第一王子も第二王子も、そして第三王子まで、十歳で中級魔術を修めた者はおりません。ですが! オリバーはやってみせたのですわ」
誇らしげに、そして自慢げに語るヴェロニカを、ルーティスは静かに見つめる。
魔術はその難度に応じて六つの位階に分類される。
中級は上から四番目の位階。
それを十歳の子どもが成功させるのは、確かに偉業だ。
ヴェロニカの子、第四王子オリバーは、シリルが生まれるまでは末の王子でありながら、その魔術的才能を期待され、王候補に名を連ねている。
「王妃様、そろそろお時間が」
「あら、もうそんな時間?」
その後もオリバーの近況報告は続き、茶が冷めた頃、側近の言葉にヴェロニカは立ち上がった。
「それでは陛下、ごめんあそばせ」
「ああ」
意味ありげな笑みを残して去っていくヴェロニカの背中をしばらく見届けて、ルーティスもまた庭園を発つ。
左翼棟の奥へと戻っていったヴェロニカと違って、ルーティスは中央棟へ向かい、すれ違う文官たちの会釈に手で応じながら最上階の執務室へ辿り着く。
部屋に入ると、老年の男が主の帰還を待っていた。
宰相バートランドだ。
「本日もヴェロニカ王妃との茶会でございましたか」
「そうだ。侯爵への義理がある。公務の余暇を見計らって求められては、軽々に断るわけにもいかないだろう。しかし最近は頻度が高い」
「浮かれていらっしゃるのでしょう」
「浮かれる?」
ソファへ腰掛けながら、バートランドの言葉に見上げる。
「ヴェロニカ王妃は、エイダ王妃を目の敵にされておいででした。陛下が自分のことを慮られたのだと、勘違いなさっていても不思議ではありますまい」
「……そういうことか」
「それに、シリル王子のことも警戒なさってましたからな。目の上のたんこぶが二つもなくなれば、浮き足立つのも当然でしょう」
「それで、オリバーの話ばかりしてきているというのか」
「オリバー王子も有力な王候補でございますれば」
「表向きは、だがな」
ルーティスの言外の言葉に、バートランドはすっと目を伏せる。
そんな腹心に、ルーティスは訊ねた。
「それで今日は何用だ、バートランド」
「はい。実はニール公領より報告書とお手紙が」
「ニール公領から?」
「報告書の方はシリル王子からのもの。お手紙はサイラス殿からのものでございます」
差し出された二通の書状をルーティスは怪訝に受け取ると、うち一通を広げる。
「サイラスはともかく、なぜシリルが報告書を書いている。代官のアドルフが家宰となり、領地を纏めているは――ず。アドルフが、脱税・横領だと……!?」
ルーティスは目を見張ると、バートランドに視線を向ける。
彼は残念そうに首を振った。
「残念ながら事実のようでございます。別で送られてきた証拠書類について部下たちと精査いたしましたが、揺るぎないかと」
「『もって家宰の任を解雇。領地の統治は領主シリルが執り行う』」
「本来は領内で処理していい案件でしょう。ですがアドルフ殿を重用なさったのは他でもない陛下です。報告なしに処理してはよくないと判断なさったのでしょう」
「アドルフが、不正とは……。領地のことをよく知り、その出自からして民心を束ねるのに打ってつけの人材と信じ、一任していたというのに……」
愕然とするルーティス。
しかしすぐにもう一通の書状へ目を向ける。
信じた者からの裏切りなど、国王である以上、珍しいものではない。
一度の嘆息で切り替えると、今度はサイラスからの手紙に目を通していく。
そうして読み終える頃には、ふっと無意識の笑みが零れていた。
「……信じがたい話だ」
「はい。恐れながら私も目を疑いました。まさかアドルフ殿の不正に気づき、糾弾したのがシリル王子の独断とは」
「三歳、三歳か」
「末恐ろしい才覚。言葉を憚らずに申しますと、王に相応しい器かと」
「君がそこまで言うとは珍しい。……ん? これはなんだ」
サイラスからの封筒の中にもう一枚の紙を認め、ルーティスは訝りながら取り出す。
それは一文字も記されていない、ただの無地の紙だ。
「さて、何かのミスでございましょうか。念の為入れ直しておきましたが」
「……そういえば、サイラスは優秀な魔術師だったな」
「ええ」
「ならば、魔術的な仕掛けが施されていてもおかしくはない。文官であっても読まれたくない何かを記すために」
「……!」
目を見開くバートランドをよそに、ルーティスは頭上を見上げる。
そこには光の下級精霊の姿がある。
《精霊眼》を持たないバートランドには見えず、また、契約していなければルーティスにさえ見えない、シマエナガに似た精霊。
その存在へ向けて、ルーティスは恭しく頭を垂れた。
「偉大なる光の精霊よ。どうか隠されたものを照らす光をお与えください。その対価に、私の魔力をお捧げいたします」
「――――」
精霊はぱたぱたとルーティスの頭の上に乗る。
そうしてどこか寂しげにその羽毛を逆立たせた。
「……っ!」
眩い光が溢れ出し、バートランドたちは目を細める。
溢れた光は室内を駆け巡り――やがて、何も書かれていない無地の紙へと吸い込まれていく。
それは文字となって紙面に刻まれていった。
「これは……」
唖然とするバートランドをよそに、ルーティスは息を荒げながら紙を持ち上げる。
「……サイラスめ。まだ私に隠し事をしていたとは」
「陛下?」
「読んでみるのだ」
「失礼いたします。――! シリル王子が、治癒魔術を習得されているですと!?」
「どうやら私たちはサイラスに信頼されていなかったらしい」
言葉とは裏腹に、どこか頼もしそうに笑みを浮かべるルーティス。
「しかし治癒魔術とは、そのような、あれは確か中級以上の魔術ではッ」
「私もそう記憶している。しかしサイラスが嘘を吐く理由もないだろう。……それに、このタイミングで明かしてきたということは、他にもっと明かせない何かが生まれた可能性がある」
「……影を、向かわせますか」
宰相らしい提案に、ルーティスは首を振る。
「いいや、シリルはこのままでいい。このまま伸び伸びと過ごしてもらおう。そのためにエイダにも追放の狙いを明かさずにいるのだから」
「――はっ」
いそいそと書状を仕舞うバートランドから視線を切り、ルーティスは天井を見上げた。
「まだ二ヶ月、か」
想定では、これからようやくアドルフの補助を受けて近隣領主との顔合わせが始まり、シリルに最も必要だった人脈作りの第一歩が始まるはずだった。
しかし、そのアドルフが不正を行い、弾劾されるとは予想だにしていなかったこと。
そして何より、まだ三つの齢にして魔術を扱えるなど――。
「――ふっ」
「陛下……?」
漏れ出た笑みは一瞬。
訝る腹心の声に口元を押さえ、ルーティスは王国のいずれ訪れるかもしれない未来を夢想した。




