第37話 撫でるだけ
「ふぁああああ、もふもふかーてんだぁ……!!」
僕は今、幸せの只中にいた。
よくわからないけど、石になっていたヤクさんの体は突然もふもふを取り戻したんだ。
何種類もの緑色が複雑に折り重なった毛並み。
暖簾のように体の両サイドに垂れ下がった長毛へ両腕を広げて覆い被さる。
想像よりも長毛は硬い。でも手触りはいい。それに長毛の内側にはなんともふわふわで滑らかな毛が広がっていた。
長毛に体を突っ込ませていると、まるで全身がお布団に包まれているような感覚に襲われる。
ふかふかだし、暖かいし、なんだかいい匂い……。
「あの、シリル王子……精霊様にそのような……」
「よいのだ。この子は儂の恩人、好きにさせてあげたい。儂のせいで悲しませてしまったのだしな」
「! 精霊様の声……!?」
そう言って、ヤクさんはずずぅと首を胴体側へと回してくる。
長毛に埋もれる僕へ顔を近づけると、その鼻先で僕の目元をツンツンと優しくつついてきた。
きょ、許可も貰えたことだし、もっともふってもいいということですよね!
長毛に覆い被さったまま、伸ばした両手でヤクさんの毛並みをもふり続ける。
両手と、そして全身から熱が溢れ出して行く。
ちょっと前の僕なら、治癒魔術を使うためにこの至極の時間を中断せざるをえなかった。
でも今の僕は一味違うのだ。
「『みずとかぜのせいれいよ そのじあいをもって かのものをいやしたまえ』――【癒しの手】」
熱が収まる。
その間も、僕はもふりをやめない。
感情のジェットコースターだ。
さっきまで悲しかった分、この幸せがいつも以上に身に沁みる。
「今の治癒魔術は……」
「不思議なことだ。力が漲る。……それに、君の周りにいるこの無数の精霊たちは一体……」
サイラスさんとヤクさんが何やら呻いていたけど、僕はひとまずもふり欲の解消を優先した。
◆ ◆ ◆
「落ち着いたかい?」
「うん、ありがとう、やくさん!」
僕はヤクさんの背中の上から、その問いに応える。
なんでヤクさんに乗っているかって?
断じて僕が我が物顔で乗ったわけじゃない。
もふり続けていたら、ヤクさんの方から「背中に乗るかな?」と訊ねてくれたんだ。
僕だって、二つ返事で「乗る」と答えたわけじゃないよ。
正直、もふもふさんの上に乗るなんて恐れ多くて申し訳なくて……でも乗ってみたくて……どうしようどうしようと逡巡したんだ。
そうしていたら、ヤクさんが続けて「背中も撫でてくれると嬉しい」と言ってくれたので、じゃあ仕方ないなぁありがたく、という経緯。
おかげで僕のもふり欲求は、ヤクさんが確認したように随分と落ち着いた。
「そのヤク……という呼び名はなんだい?」
「いやだった!?」
ヤク似だから、ヤクさんというのは安直すぎたかな。
「嫌ではない。……が、儂には名がある。セルワーレという名前が」
「ごめんなさい!」
それは酷いことをしてしまった。
僕が頭を下げると、ヤクさん……改めセルワーレさんの全身がゆらゆらと揺れる。
「謝ることではない。儂も名乗っていなかったんだ。……よければ、君の名前を聞かせてくれないかな」
「! ぼくはしりる! それで、こっちはさいらす!」
僕が紹介すると、サイラスさんは慌ててバッと頭を下げていた。
ヤクさんは大人の背丈ほどの高さがある。
だからその上に跨ると、サイラスさんを見下ろす形になる。
ちょっと新鮮。
「……そうか、シリル。良い名前だ」
「せるわーれさんも!」
「ありがとう。儂もこの名は気に入っていてね」
嬉しそうなセルワーレさんの声。
その声に合わさるように、ふわりと優しい風が吹きつけ、僕の周りに纏わり付く。
サイラスさんが地底湖を越えるためにかけてくれた風の魔術のように、体が浮き上がり、セルワーレさんの正面へ降ろされる。
そうして、セルワーレさんは四つ足を折り曲げて地面に伏せ込むと、頭を下げてきた。
「感謝する、シリル。この場にて朽ちるはずだった儂の肉体が再び蘇ったのは、君のおかげだ」
そういえば、さっき僕を恩人って。
「ぼく、なにもしてないよ?」
したことといえば、泣きじゃくりながらセルワーレさんの体を撫でたぐらい。
「いいや、紛れもなく君のおかげだよ。君が儂に力を分けてくれたから、消失を免れた」
「ぼくからちからをもらうことは、できないって」
確か、契約が残っているとかなんとか。
「本来は、そのはずなんだ。精霊が人から力を貰うには契約が不可欠。そして同時にいくつもの契約を交わすことは不可能。……だが、君はどうやら、契約なしに精霊に力を与えられるらしい。心当たりはないかな」
「こころあたり……?」
そんなこと言われても。
「! そういうことですか」
「さいらす……?」
静かに、というより、固唾を飲んで僕とセルワーレさんの話を聞いていたサイラスさんが声を上げる。
振り返ると、サイラスさんはすっきりした様子で僕たちを見ていた。
「庭園でも、お部屋でも、そして街道でも。シリル王子は精霊魔法をお使いになられていない、そう仰っておいででした」
「うん」
嘘じゃないよ?
精霊魔法は、自分の魔力を対価に、精霊さんに命じて引き起こす現象のことでしょ?
僕は精霊さんたちに魔力を与えてもいなければ、精霊さんに何かを命じているわけでもない。
「精霊魔法も、言わば精霊との一時的な契約。ですが、シリル王子が契約なしに精霊へ力を与えることができるのだとすれば、精霊がシリル王子の意思を汲んでその力を振るうこともあり得ます。……言葉にすると、信じ難い話ではございますが」
「君の考えで間違いないだろう」
「きょ、恐縮です」
セルワーレさんから返事をもらって頭を下げるサイラスさん。
なんでさっきからそんなに怖がってるんだろう。
それにしても、力を与える……か。
ここまで言われても覚えはない。
「チュンチュン」
「ことりさん……」
そこへ、ぴゅーんと小鳥さんが飛んできた。
一度僕の頭の上に着地して、パタパタと目の前に降りてくる。
撫でろ、ということらしい。
もちろんでございます!
僕は左手で小鳥さんを受け止めると、逆の手の親指で優しく小鳥さんの頭を撫でる。
うーん、セルワーレさんとはまた違った触り心地。
ふわふわの羽毛の感触。その温もりを超える熱が僕の体から湧き上がり、小鳥さんへ流れて行く。
「……シリル。今まさに、君がその精霊に力を与えているよ」
「えっ」
戸惑う僕へ、セルワーレさんは萌葱色の綺麗な瞳に驚きを滲ませて呟く。
「本当に驚くべきことだが、どうやら君は……撫でるだけで、精霊に力を与えられるみたいだ」




