第36話 森の守護者
この森林の守護精霊さんのところへ行く。
そんな傍目には荒唐無稽な話を切り出したわけだけど、サイラスさんはすんなりと受け入れてくれた。
そりゃあ少し驚いていたけど、すぐに「承知いたしました」と頭を下げてくる。
詳しいことは何も聞いてこないあたり、もしかしたら三歳児が適当に言っているだけだと思っているのかも。
だけど僕も、適当を言っているわけじゃない。
夢の中で出会ったヤクさんが、伝承に記されていた精霊で、あの夢がただの幻ではないという不思議な確信があるんだ。
僕は手のひらを見つめる。
あの時。ひんやりとしているはずの石像に触れた時の、内側から溢れてきた熱と鼓動の感触が夢から覚めた今でも蘇る。
なんで精霊さんが石像の姿をしていたのかはわからないけど、もし現実で出会えたら、あの長くてさらさらしていそうな毛並みをもふることができる。
それにしても、どうして精霊さんは石像の姿で僕にあったんだろう
もしかして夢の中で僕を満足させないために石像に……?
「シリル王子……?」
「な、なんでもないっ」
ぶんぶんと頭を振っているとサイラスさんに心配された。
気を取り直して守護精霊さんの下へ向かう。
手がかりは何にもない。
だけどこれまた不思議なことに、僕は確信を持って踏み出していた。
感じる!
向こうにもふもふさんの気配を……!
◆ ◆ ◆
夢の中とは打って変わって、僕の足が向いた先は少し離れた場所にあった洞窟だった。
小高い山の中腹にあった入り口から、中へと進む。
「シ、シリル王子、どうか足元にお気をつけください」
「ありがとう!」
斜め後ろから、【導きの灯】で照らしてくれているサイラスさん。
狭い洞窟の中、僕たちの歩く音が反響する。
道沿いに降って行くと、遠くからピチョンという水音が聞こえ始めてきた。
「チュゥン」「コォゥン」「キュイィ……」
「みんな……?」
不意に。僕に着いてきてくれていた精霊さんたちの様子が変わる。
一瞬、街道の一件が脳裏をよぎったけど、あの時ともまた違う。
怖がっている、というよりも……悲しがってる?
嫌な予感がして、歩く速度が早まる。
もふもふさんの気配がさらに強まってきた。
「ッ、濃密な気配……」
後ろでサイラスさんが呻いた。
そういえばサイラスさん、孤児院に向かった時の車内でも不思議そうに空中を見つめていたっけ。
もしかしたら魔術師は精霊に対する感覚が普通の人よりも鋭いのかも。
そんなことを思っていると、前方に光が見えた。
洞窟の中なのにどうして明るいんだろ?
不思議に思いながら光へ向かって突き進むと、広い空間に出た。
「……ふきぬけ?」
見上げると、頭上にぽっかりと空いた穴から青い空が姿を覗かせていた。
「! シリル王子、あれはまさか……!」
「えっ? ……あっ」
サイラスさんの声で下を向く。
そこに夢で見たような池が――地底湖があった。
頭上の空を映すように、青々と輝いている。
そして。そんな神秘的な湖の只中に小島があって、大きな石像が佇んでいた。
「……っ、やくさん!」
「シ、シリル王子!? 危のうございます!!」
夢と同じように湖へ飛び込もうとした僕を、サイラスさんが慌てて引き留める。
「で、でも」
「わかっております。あの石像が、守護精霊なのですね」
「! さいらすもみえるの?」
サイラスさんは《精霊眼》を持っていないはずなのに。
僕の疑問にサイラスさんはどこか緊張した面持ちで石像を見つめる。
「強大な存在であれば、素質がなくとも目に見えるのです。……そして遠目からでも感じるこの気配、この威圧……間違いなく、王級以上……ッ」
威圧?
そんなものは感じないけど。
って、そんなことより。
「ぼく、あそこにいかないと」
「承知しております」
必死に訴えると、サイラスさんは眩しいものでも見るような目を僕へ向け、何事か詠唱を始めた。
「うわ、わっ」
体がふわりと浮き上がり、地底湖の上を飛んでいく。
そうしてゆっくりと、目的の小島へ降り立った。
「ありがとう!」
「とんでもございません。しかし、このような場所に精霊の残滓があったとは」
「ざんし……?」
不穏な響きに首を傾げると、どこからともなく声が聞こえた。
『……よく、来てくれた。よく、間に合ってくれた』
「!」
疲れた老人のような声だ。
声の主を探す。
視線は、自然と石像に向かった。
「もしかして、やくさん……?」
「シリル王子、どうされましたか?」
石像を見上げて呟いた僕を、サイラスさんが訝る。
もしかしてこの声、僕しか聞こえてないの……?
僕は石像へ……ヤクさんへ近付く。
『あぁ本当によかった。儂が完全に消える前に、君のような子どもと出会えて』
「き、きえるって、どういうこと?」
ヤクさんの正面に回り込む。
話しているのに、口はまったく動いていない。
夢で見たまんまの姿だ。
『言葉通りの意味だ。儂はもうすぐ消える。人間風に言うなら、死ぬ』
「!?」
――死。
その言葉にひゅっと息が詰まる。
固まる僕へ、ヤクさんは静かに、そして振り絞るように語る。
『儂はかつて、妖精族の少女と契約した。……この地を、魔物の寄り付かぬ場所とするために』
あの伝承の通りだ……。
『しかし少女はこの世を去り、残る子孫もなく、儂に残ったのは少女との約束だけ。……儂はずっとこの地を守り続け……まもなく儂の力は尽きる』
じゃあ、ヤクさんは、ずっと一人でこの森を魔物から守っていたってこと?
『人にとっての死が天命によるものなら、精霊にとっての死とは己の力を使い果たすこと。彼女がいなくなり、与えられる力もなくなった今、儂の存在は尽きようとしている』
「じゃ、じゃあ、ぼくをよんだのは、やくさんをなおすため?」
話が全然頭に入ってこないけど、たぶん、ヤクさんはその妖精族の人から力を貰い続けていたんだ。
でもその人がいなくなって、それでも森を守るために力を使っていたから、ヤクさん自身の力すり減って、こんな姿になっている。
だったら、僕がその力を与えられたら!
ぐっとやる気になった僕に、ヤクさんの声が届く。
『違う』
「えっ?」
『儂の中の契約は残っている。儂は彼女の精霊。君から力をもらうことはできない』
「そんな……」
『君をここに呼んだ理由はただ一つ。警告しておきたかった。――儂の消失と共に加護は消え、森に魔物が現れる。……そのことを、あの町の人々へ伝えてほしい」
そう言い切ると、ヤクさんは満足そうに呟く。
『……あぁ、よかった。消える前に、このことを伝えられて。これで思い残すことは――』
「――やだ」
『…………』
なんだか勝手に話が進んでいるけど、まったく納得できない。
だってヤクさんは、その妖精族の契約で町を守って、その人がいなくなってからも自分を削って守り続けて、それで死んじゃうんでしょ?
そんなの受け入れられない。
「きえてほしくない、やだよ」
『……君は優しい子どもだ。あの子を思い出すようだ』
「……っ」
悟ったような声。
それが一層、悲しい気持ちにさせる。
僕はそっとヤクさんへ手を伸ばした。
硬い、硬い石。
残滓、とサイラスさんは言っていた。
そっか。精霊さんが力を使い切ると、こんな風になっちゃうんだ。
……こんな風になるまで、ヤクさんはその妖精族との約束を守り続けていた。
「やだよ、やだやだ……!」
子どもみたいに駄々を捏ねる。
せっかく会えたのに。
さらさらふかふかの毛並みをもふらずに別れるなんて、そんなのやだ!
僕はざらざらの石を両手で撫で回す。
いつも精霊さんたちを撫でる時みたいに、慈しみと愛おしさを抱きながら。
「シリル王子……、――っぁ!」
『うん……? こ、これはどういうことだ……』
消えないで、もふらせて。
こんなところで一人寂しく消えていかないで!
両手に力が籠る。熱が体の奥底から湧き出てくる。
両手へ伝わっていく感覚がある。
――ピキッ、と音がした気がした。
僕は構わず撫で続ける。
硬いざらざらとした石みたいな体だけど、長い毛並みを愛でるように。
「……あれ?」
ふと、違和感を覚えた。
手に伝わってくる感触が……手触りが、なんだかふかふかしているような。
顔を上げる。
僕の手を中心に、石の体にピキピキッと亀裂が入っていた。
その亀裂からは黄金の光が溢れ出している。
「わっ!」
亀裂は全身へと広がり、隙間から溢れる光がこの空間を満たして行く。
そして。
「――なんと、このようなことが起こるとは」
光が収まる。
そこではさらさらとした長毛を靡かせたヤクさんが、あんぐりと口を開いていた。




