第35話 石像
上空を吹き付ける風。
その風に押し流されて行く雲。
地上に下りてきた風で揺れる周囲の枝葉。
そんな大自然の中を楽しげに飛び回る精霊さんたち。
……思えば。
こういう自然豊かな場所で静かにのんびりと過ごすのは、転生してから初めてのことかもしれない。
森林の中の小さな平地に寝転がりながら、僕はぼんやりとそんなことを思った。
王宮の庭園もそりゃあ何度か歩き回ったけど、お庭はお庭。
それに周りにはメイドさんたちもたくさんいたし。
この森へは精霊さんたちのために来たわけだけど、僕にとっても居心地の良い空間で落ち着く。
そうして寝転がり続けていると、段々と瞼が重たくなってきた。
昨日は遅くまで起きていたし、何より自然の心地よさが僕を眠気へと誘う。
三歳児に生じた睡魔というものは、抗おうとしても抗えない。
おのれぇ……精霊さんたちの姿をもう少し見ていたいのにぃ…………。
◆ ◆ ◆
「――えっ?」
目を覚ますと、知らない場所に立っていた。
深い深い霧で覆われた場所。足元さえおぼつかない、濃霧の中にいる。
頭上に浮かぶ太陽のおかげで暗くはないけど、霧全体が陽の光を透かして不思議な輝きを帯びていた。
「みんな……? さいらす……?」
きょろきょろと周囲を見回し、精霊さんたちの姿を探す。
だけど、帰ってくる声はないし、姿もどこにもない。
精霊さんたちがいないのは寂しいけど、自然の中を遊び回っているうちにみんなどこかへ行ってしまったのかもしれない。
だけどサイラスさんまでいないのは明らかにおかしい。
サイラスさんが僕を一人にする?
うーん、ちょっと考えられない。
「……!」
途方に暮れていると、前方の霧の中にぬぅと何かの影が現れた。
大きな影。山みたいなシルエットをしている。
「って、あれ……?」
その影が、またぬぅ……と霧の中に溶け込むようにして消えていった。
迷子になった時は、その場から動かないのが鉄則。
だけどこの状況は明らかに異常だし、それになんだかあの影が、僕のことを呼んでいる気がする。
「まあなんとかなるよね!」
いざという時は治癒魔術もある。
僕の中で治癒魔術への信頼はかなりのものになっているのだ。
影が消えた前方へ向かって歩き出す。
足元しか見えないから慎重に。
草花が生い茂っていた足元は、緑が薄れていき、土が剥き出しになってくる。
平坦だった地面も徐々に傾斜が増して行く。
……というか、正直かなりしんどい。
土もサラサラとした砂みたいで、踏ん張りが効かないし。
「うあっ!」
言った側から、ずるりと足を取られてその場に転げる。
両膝と両手にじんじんとした痛みが走るけど、そんな時の治癒魔術。
「って、あれ?」
魔術を使おうと、いつもの要領で体内の魔力を引き上げようと意識を集中させる。
なのに、体の奥底から一向に熱が――魔力が感じられない。
戸惑いながら両手を見つめていると、その手にふっと影が落ちる。
見上げると、前方にまたあの巨大な影が現れていた。
僕が見つめると、またすぐに消えて行く。
「しんぱいしなくても、いくよ!」
擦り傷のできた手をぎゅっと握り込んで、また歩き出した。
◆ ◆ ◆
しばらく斜面を登り続けていると、途端に霧が晴れた。
頭上の太陽の陽射しが直接照り付けてくる。
眩しさに思わず目を細め、手で庇を作る。
そうして目の前の光景に息を呑んだ。
「いけ……?」
斜面を登り切った先には窪地が広がっていて、そこにキラキラと輝く水溜まり。
池の中心には小島があって、そこに巨大な岩が聳えているのが遠目からでも見える。
ふと振り返って見ると、先ほどまで視界を覆っていた霧がまるで雲海のように広がっていた。
まるで引き返すのを拒んでいるみたい。
「あそこにいけって、ことだよね……?」
サイラスさんがいたら怒られそうだけど、池の中へ飛び込む。
小さな手足を必死に動かして、なんとか小島へ渡り切る。
さ、三歳児がすることじゃない。
はぁはぁと息を整えて、小島へ視線を向けると、遠目にも見えていた巨大な岩が目の前に飛び込んできた。
「っ! これって、どうぶつのせきぞう……?」
大人の背丈ほどの高さに、馬車の車体と同じぐらいの全長の石像。
横向きではパッと見たところただの大きな岩にしか見えないけど、よくよく細部を見てみると、表面がまるで長毛を表現するように細かく削られている。
というか、そんな長毛の間から足も見えるし、後ろを見てみたらウシのような尻尾も彫られていた。
前側に回り込んでみると、はっきりと動物の顔をしている。
牛さんのような顔に、二本の立派な角。
正面から見ると、背中に当たる部分が一部、コブのように盛り上がっているのがわかる。
というかこのシルエット、さっき霧の中に現れた影と同じだ。
「けがながいから、うしじゃなくて、やくみたい」
足元まで伸びて、垂れ下がっている長毛は、撫で心地が良いに違いない。
んぬぅ……石なのがもったいないなぁ。
未練がましく石像の顔に手を伸ばして撫で付ける。
「! あったかい……」
手に伝わってくる温もりに、僕はハッと顔を上げる。
石像に彫られたお目目と目が合う。
「……もしかして、きみがぼくをよんだの? わっ!?」
強い風が吹きつけてくる。
まるで僕の質問を肯定するみたいに。
その風に攫われてきたのか、また濃霧が視界を覆っていく。
意識までも吹き飛ばされそうな風の中で、手に伝わってくる温もりだけは、ずっと感じられた――。
◆ ◆ ◆
「――ぁ」
「お目覚めですか、シリル王子」
目を開くと、視界には頭上で飛び回る精霊さんたち。
全身にも精霊さんたちの温もりを感じる。
そうしてすぐ傍からはサイラスさんの優しい声。
「ぼく、ねてたんだ」
「はい、それはもうぐっすりと」
そっか、あれは夢だったんだ。
ゆっくりと起き上がると、僕の体に乗っていた毛玉さんたちが慌てて飛び降りて行く。
ご、ごめんよ。
「ねぇ、さいらす。まだおやしきにはかえらなくてもだいじょうぶ?」
「シリル王子が昨日、遅くまで決裁作業を頑張られていましたからね。差し迫ったお仕事もないでしょうし、夕食ごろにお戻りになられればよろしいかと」
空を見上げる。
太陽はちょうど頭上。お昼時ぐらいかな。
だったらまだ時間はありそうだ。
「じゃあ、いきたいところがあるんだ」
「お供いたします。それで、どちらへ?」
立ち上がって、パンパンとお尻を叩く。
そうしてサイラスさんへ振り返って答えた。
「このしんりんの、しゅごせいれいさんのところ!」




