第34話 伝承
まだ陽が上って間も無い時分の屋敷前のロータリー。
「いってきます!!」
僕は車窓から顔を出し、玄関ポーチに佇むエイダさんへ手を振る。
今日は待ちに待ったお出かけの日。
アドルフさんから提案された町の北方に広がる森林へ向かうんだ。
「はしゃいじゃって……先生、あの子をお願いしますね」
「はい、エイダ王妃。それが今の私の職務ですので。……ところで、私はもう医者ではございませんので、どうぞサイラスとお呼びになられてください」
「ふふっ、そうね。わたくしったら。ではサイラス、頼みましたよ」
「お任せください」
何やらエイダさんと一言二言交わしてから、サイラスさんも馬車に乗り込んでくる。
「母さまは、なんて?」
「いってらっしゃいと、仰られておいででした」
にこやかに答えるサイラスさん。
馬車はゆっくりと進みだす。
領都オリーゴを囲む市壁。その内外の出入りができる大門は四方に一つずつ。
僕たちが向かうのは、北門だ。
屋敷のある中心地から北門までは小一時間ほど。
車内に入りきれなかった毛玉さんたちが、馬車の周りをふわふわとついてくる姿を心苦しく思いつつ、僕は持ち込んだ一冊の本を広げた。
アドルフさんから森林のことを聞いてすぐ、サイラスさんに取り寄せてもらった本だ。
この本には領都オリーゴの歴史が読み物風に纏められている。
そしてその中に、北部の森林地帯を守護する精霊についての記述――伝承が記されていた。
文字の勉強も兼ねて、サイラスさんに読んでもらった部分を読み返す。
ここに書かれていた伝承は、簡単に纏めるとこんな感じ。
北方の山脈から下りてくる魔物の被害に悩まされていた町の人たち。
そこへふらりと現れた妖精族が、北方の地を差し出してくれるのなら、精霊と共に魔物の寄り付かぬ聖域を築いてみせようと持ちかけてきた。
町の人たちがその申し出を受け入れると、一夜のうちに北方の大森林が現れ、人々が魔物被害に苦しむことはなくなった――。
なんとも信じ難い話だけど、現にこの数十年、一度として町の北方から魔物が現れたことはないらしく、それどころか森の中でさえ見たことがないそう。
おかげで魔物討伐を生業とする冒険者たちの活動先が他の三方向に集中できるため、領都オリーゴは魔物被害に悩まされることなく栄えてきた。
「しかし本当によろしかったのですか? 護衛の冒険者を雇わず」
「まものはでないんでしょ?」
「そう聞いておりますが、万が一ということも」
「さいらすがいたらだいじょうぶ」
「〜〜〜〜っ!!」
冒険者を雇うのにもお金はいるしね。
エイダさんに金遣いが荒いって言われたら、森林に通える機会も減ってしまう。
それに街道で魔物と遭遇した時の感じからして、精霊さんたちは魔物の気配に敏感だ。
みんなのことを考えるとあって欲しくはないけど、もし魔物がいたとしても、みんなの様子を見ればすぐに逃げられるはず。
「ところでさいらす、せいれいとあうには、どうすればいい?」
「……伝承の守護精霊についてでございますか」
「うん」
まぁ一番の目的は精霊さんたちに羽を伸ばしてもらうことだけど、せっかく精霊さんがいるなら会ってみたい。
「えるふのひとをさがすのがいいのかな」
「恐れながら、いかに妖精族が長命といえど、森が現れたのは三百年も前とのこと。もし本当に実在したとしても、存命はしていないかと」
言われて以前の読み聞かせを思い出す。
妖精族は太古の時代から精霊と生活を営んできた種族。
尖った耳と人族の倍ほどの寿命、そして種族全員が《精霊眼保持者》であることが特徴だ。
性質も精霊と近く、それゆえ自然を愛し、その多くが自然の中で生涯を終えるのだという。
まあでも、変わり者というのはどこにでもいるもので、逆に人との交流を求めて自然の外へ繰り出す妖精族も一定数いるらしい。
伝承に出てきた妖精族も、そういうタイプだと思っていたけど、サイラスさんの見解は違いそうだ。
「もし、って。さいらすは、でんしょうじたいをうたがってるの?」
「魔物が現れていないことから、強大な力を持つ精霊が何かしらの加護を放っていることは確かでしょう。しかし、守護精霊というのは……。以前も申し上げましたが、守護精霊は、血族の魔力を対価とするもの。つまり子孫がいなければ、契約は破棄されます」
そっか。
本当に精霊と契約していたら、契約した妖精族の子孫がいるはずってことだ。
まあでも、精霊さんがいることは間違いなさそうだし、出会えることを期待するしかないかな。
◆ ◆ ◆
市壁を抜けて少しして、馬車は北方に広がる森林の前で止まった。
森林の近くには掘立て小屋が何軒も立ち並んでいて、ちょっとした村の様相を呈している。
木こりたちの作業小屋兼家らしい。
確かに領都オリーゴの町の周辺は平原で、伐採するとなったらこの森林ぐらいしかないけど。
でも伝承だと、妖精族に北方の地を差し出したんじゃなかったのかな。
勝手に木を切ったりして怒られない?
「人は都合の良い話を認めて、他は無視するものですよ。伝承とはそのようなものです」
み、身も蓋も無い。
馬車を下りてサイラスさんと共に森の中へ足を踏み入れる。
進めば進むほど、空気が澄んでいくのがわかる。
伝承云々がなくても、ここを聖域と思ってしまうほどに、静謐で穏やかな雰囲気。
「チュンチュンチューン!!」
「うわっ」
「ど、どうされましたか?」
僕の声に、前方を歩くサイラスさんが振り返ってくる。
頭上をすごい勢いで小鳥さんが飛んでいったからびっくりしたんだ。
でも、うん。
僕は周りを見回す。
馬車や部屋の中で窮屈そうにしていた精霊さんたちが、思い思いに森の中を飛び回っている。
子猫さんは倒れた木の幹の上を軽快に進み、小狐さんと小兎さんは足元の悪い道の脇をじくざぐに走り回り、豆柴さんは僕の周りをぐるぐると回るようにして駆けている。
小鳥さんはアグレッシブな飛行を見せているし、カワウソさんは……あれ? カワウソさんは?
僕がきょろきょろと探していると、前方を歩いていたサイラスさんが声を上げる。
「シリル王子、川です」
もしかして……!
慌ててサイラスさんの下に駆け寄る。
徐々に水音が大きくなってきた。
「! かわいぃ……!」
予想通り。
穏やかな流れの川の水面に、カワウソさんの姿があった。
顔だけを水面から出して、四本の手足としっぽで、ぶんぶんと必死に水かきをしている。
すいすいと泳ぐその姿を目で追っていると、不意にカワウソさんが川辺に寄ってきた。
「キュイ!」
川辺に両手をついて、僕に向けて鳴き声を上げる。
気持ちいいよ〜と言っているみたいだ。
……なんて、なんて可愛いんだ。
やっぱりもふもふさんたちは自然の中で伸び伸びしているのが一番だなぁ。
心洗われる気持ちで川の中を眺める僕に、サイラスさんが一言。
「シリル王子、お着替えは持ってきておりませんので、川には入られませんよう」
「わ、わかってるよ」
僕をなんだと思っているんだ、まったく。
川沿いに歩いて行くと、開けた場所に出た。
サイラスさんが「休憩いたしましょう」と地面に敷き布を敷いてくれる。
僕はそれに大の字で寝っ転がると、木々の合間から覗く青空と周りを飛び交う精霊さんたちを眺める。
幸せだ。精霊さんたちが幸せそうで、幸せ。
にへへと口角が緩むのを自覚して口元を抑える。
そうして少しの間みんなの姿を見守っていると、ふと気づいた。
そういえば精霊さんって自然の中にいるはずだけど、ここまで新しい精霊さんと出会えていないよね。
森の中って、精霊さんがたくさんいそうなイメージだったのに。




