第33話 わがまま
「広い部屋に住みたい?」
昼食の場で、僕は早速エイダさんに持ちかける。
「うん。いまのおへや、せまくって」
「…………」
エイダさんは手にしていたスプーンを置くと、ナプキンで口元を拭う。
そして諭すように言った。
「いいこと、シリル。確かにあなたは、昨日見て回ったこの町の……いいえ、それだけじゃないわね。この辺り一帯を統べる領主です。だけどね、勘違いしてはいけないわ。今こうして食べている物も、住んでいる場所も、領民の生活の上に成り立っているということを」
「う、うん」
「それにあなたの部屋はこの屋敷で一番広い部屋。もっと贅沢をしたいというのなら、大きくなって、自分でしっかりと稼いだお金で贅沢なさい」
「……ご、ごめんなさい……」
怒られた。
いや、至極もっともな話だけど。
……何が、王子で領主で、多少のことはなんとかできるはず――だ!
僕は何の力もないただの三歳児だよ!
「わかったのならいいの。さ、シリル。冷めないうちに食べましょう」
「は、はぁい」
僕がしゅんとしていると、エイダさんは一転、優しい声音で促してくる。
その揺れ幅にどうしようもなく泣きそうなあたり、僕は性根までこの人の子どものようだ。
……また怒られてしまった。
◆ ◆ ◆
午後は部屋で机に向かっていた。
机の上には紙の束が積み上がっている。
僕はそれを、対面に座るサイラスさんの説明を交えながら読み進めていた。
正直なところ、まだ幼く、王侯教育も始まっていない僕がここまでする必要はない。
領内のことは家宰のアドルフさんに一任しておけばいいのだし、そのために彼がいる。
だから、僕のすることといえば精々がお願いされた書類に判を押すぐらい。
だけど僕はサイラスさんに「書類も読みたい」とお願いしたのだ。
文字は読めば読むほど学びになる。
こういう公文書は同じような表現が多い上によく纏まっていて、より勉強になった。
文字をたくさん覚えれば覚えるほど、サイラスさんの力を借りなくても本を読み進められる。
それは結果として、もふもふさん探しにも役立つはずだ。
そんなつもりでサイラスさんにお願いしたら、「そのお歳で領地に目を向けられるとは……」と感動していた。
……なんか、サイラスさんのその反応も慣れてきたというかなんというか。
ちなみにサイラスさんは僕の護衛魔術師なのに、まるで秘書官のような仕事までしてくれている。
宮廷勤めだったのでこういうのは慣れっこなのだそう。
それにしても、こうして書類と向き合っていると会社員時代を思い出す。
読めない文字と数字の羅列な分、余計に疲れてしまう。
だけどあの頃よりは遥かにマシだ。
何せ今は、視界の至る所にもふもふさんがいるんだから!
「ンナァ……?」
机の上に、子猫さんが現れる。
書面が子猫さんに隠された。
んふふ、こらこら、んふ、だめだって……。
いやもうしょーがないなぁ。
え? いえいえ、しょうがなくなんてありませんよ。むしろ光栄です、んへへ。
僕は子猫さんに手を伸ばし、さわさわと撫で回す。
疲労が一気に吹き飛んでいく。
「シリル王子」
「!? な、なにっ、あそんでないよ!?」
「それはもちろん存じておりますが……?」
不意にサイラスさんから声をかけられた。
慌てて居住まいを正す。
「実はエイダ王妃から、シリル王子が贅沢を覚えてしまったと嘆きの声をいただきまして」
「えっ?」
「なんでも、シリル王子から『部屋が狭いから広くして』と我儘を言われたと」
「あ、あはは……」
エイダさん、サイラスさんにも相談していたのかッ。
「王宮の外へ出て世界が広がった分、良くない影響が出ているかもしれない。悪い道へ進まないように、しっかりと見てあげてほしいと」
ま、まあ確かに。
ここ最近は立て続けに良くないことしてるもんね。
馬車を飛び出して魔物の方へ向かったりとか。
でもそれは誤解で――。
「もちろんシリル王子のことです、何か事情がおありなのでしょう。よろしければ、このサイラスにご相談いただけませんか?」
……! サ、サイラスさぁぁん!!
「さいらす、だいすき!!」
「んぐっ、ぐぅ……」
「さいらす……?」
よろよろとよろめくサイラスさん。
彼の後方に漂っていた毛玉さんが慌てて避けていった。
言われてみれば、精霊さんのことを話せるのはサイラスさんだけなんだし、彼に相談するのが一番。
ということで、なぜか口元を覆っているサイラスさんへ、僕は事情を話す。
王都からここまでの道のりで精霊さんたちがついてきたこと。
そしてそんな彼らが窮屈そうにしていることを。
「精霊が、シリル王子のお傍を離れない、でございますか」
事情を聞いたサイラスさんは、俄かには信じられないといった様子で眉間を押さえる。
「恐れながら、シリル王子は本当に、精霊との契約は交わしておられないのですよね?」
「うん。だってぼく、けいやくのしかたもわからないよ?」
「野良の精霊が自らの意思で……? そんな話は聞いたことが……」
またぶつぶつとつぶやくサイラスさん。
窺うように周囲へ視線を巡らせる。
「この室内に、精霊が?」
「うん。いるよ」
「……馬車で息苦しさを感じていたのは、精霊の神威に当てられていたということですか」
それは単にぎゅうぎゅうだったから、だと思うけどなぁ。
「承知いたしました。確かにエイダ王妃には話せないご事情でございましたね」
「そうなんだよ」
「しかし私はこの辺りに明るくなく、魔術特訓の場を見つけるのにも難航している始末……。どちらも、少しお時間をいただくことになりますが」
「しかたないよ。さいらす、ずっとおうきゅうにいたんでしょ?」
長きに渡り宮廷魔術師として働いてきた人だ。
王都から遠く離れたこのニール公領について何も知らないのも当然。
……ん、待てよ。
「じゃあさ」
「はい?」
「あどるふに、きいてみようよ!」
◆ ◆ ◆
ということで。
早速、僕はアドルフさんを呼び出した。
家宰である彼は、日中はこの屋敷の執務室で仕事をしているそう。
暇な時でいいよと伝えたはずなのに、アドルフさんはすぐに部屋に現れた。
「し、失礼いたします」
上擦った声と共に現れたアドルフさん。
青い目は伏し目がちで、顔には汗が滲んでいる。
体調、悪いのかな。
「ごめんね、とつぜん」
「いえ、とんでもございません。……それで、ご用件は」
おずおずと探るような声に、僕は答える。
「あどるふにききたいことがあるんだ」
「……はい」
「――このあたりに、しぜんのおおいばしょってないかな?」
「……は? 自然の多い場所、ですか?」
アドルフさんが固まる。
予想外の質問の呆気に取られている。
「うん。せっかくおうきゅうをでたし、のんびりしたくって。みどりのおおいところで、あそべたらなーって」
「は、はぁ、なるほど……」
僕は無邪気に、遊び盛りの子どもを装って補足する。
精霊さんを連れ出すためであることが、間違っても悟られないための偽装だ。
「いやはや、そうですよね」
アドルフさんは何事か呟くと、先ほどまでとは打って変わって、にこりとした笑顔を向けてくる。
「でしたら町の北方に広がる森林はいかがでしょう」
「しんりん?」
「ええ。王都からいらっしゃった王子は、町の南方の景色しかご存知ないでしょう。ですが北方には、その先の山脈へと続く森林が広がっているのです」
確かに市壁に阻まれて北側の景色は見たことがないけど、そんな風になっていたんだ。
森林なら、自然が大好きな精霊さんたちも楽しめるかも。
「お待ちください。森林となると、魔物が出現する可能性も」
「えっ」
それまで静観していたサイラスさんが割って入る。
魔物がいるなら、精霊さんたちを連れて行くわけには……。
「ご安心を。その森林一帯は、かつて妖精族と契約を交わした守護精霊によって、魔物の寄り付かぬ聖域となっているのです」
「……!」
せ、精霊だって!?




