第3話 体の奥の熱
初めて周りがはっきりと見えるようになってから、一ヶ月は経ったと思う。
その間に首が据わり、両手や両足も、ある程度自由に動かせるようになった。
「シリル王子〜、王子の大好きなぬいぐるみですよ〜」
木製の柵で囲われた赤ちゃん用のベッド。
その傍から、メイドさんが犬のぬいぐるみをゆらゆらと見せつけてくる。
「あぁう!(もふもふ!)」
両手を目一杯に伸ばすと、メイドさんは「きゃ〜」と嬉しそうな悲鳴をあげた。
「王子王子、こちらなんていかがですかっ。王都に来た商人から取り寄せたものなんですけど」
「シリル様、こちらも……!」
「あーう、あううう!(どれも可愛い!!)
ベッドの周囲に次々と集まったメイドさんが、その手に多様なぬいぐるみを携えて覗き込んでくる。
僕の好みを完全に見抜いているとしか思えないぬいぐるみたち。
思わず頬を緩ませると、メイドさんたちは胸を押さえていた。
――そう、メイドさんである。
絵画が描かれた天井と、そこから吊り下げられた豪奢な照明からなんとなく察していたけど、どうやら僕はいいところの家に転生したらしい。
「シリル王子〜こっち見てください〜」
それも、どこかの国の王族に。
シリル、というのが今世での僕の名前のようだ。
「あう〜」
言われるがまま、されるがままにメイドさんの声に従う。
するとメイドさんたちはまた嬉しそうに「きゃー」と叫んでいた。
そんなメイドさんたちの反応を眺めながら、僕は中空へ目を向ける。
そこにはぬいぐるみに勝るとも劣らないもふもふの毛玉が漂い続けていた。
そのあまりの可愛さに「にぱぁ」と笑いかけると、毛玉さんたちもまたゆらゆらと揺れて返事をしてくれる。
彼らに向けて手を伸ばせば、軽やかに僕の手へと飛び込み、すりすりすり〜とそのまんまるの体を擦り付けてくれた。
……癒される。
赤子への転生。前世と比べるとあまりにも身分違いの生まれ。メイドさんたちのお世話。自由の効かない赤子の体。
慣れない環境なのに、毎日心晴れやかに過ごせているのは、この子たちのお陰だ。
「はいはい、シリル王子、これが欲しいんですね〜」
「あぁう?(えっ?)」
頭上へ向けて腕を伸ばしたまま、手の中へ飛び込んできてくれた毛玉さんたちを撫で回していると、メイドさんの一人が微笑みながらぬいぐるみを差し出してきた。
両手にぽすんと置かれ、その拍子に毛玉さんたちが散り散りに飛んでいく。
「ああぅ……(みんなぁ……)」
ぬいぐるみはぬいぐるみで可愛いしもふもふだけど、毛玉さんたちに比べれば劣ってしまう。
彼らを惜しむように目で追いながら、僕はひとまずぬいぐるみを抱きしめる。
それにしても……。
「ああう! あう!」
「王子……?」
向こうの天井へと飛んでいった毛玉さんを指さして、メイドさんへ訴える。
するとメイドさんは僕の指の先を一瞬だけ追いかけて、すぐに視線を僕へと戻し、くすりと笑った。
「王子は絵画がお好きなんですね〜」
「なになに、シリル王子ったら、また天井の絵画を指差してるの?」
「そうなのよ。私たちに『あの絵すごい!』って言ってるみたいで、本当愛らしいわ」
ち・が・う!
僕は毛玉さんたちを指差してるんだって!
伸ばした指を折り、ぐぎぎと拳を作りながら足をバタバタとさせる。
しかし僕の必死の訴えはメイドさんたちの暖かな笑顔で流れていく。
疲労を感じてジタバタするのをやめた僕は、再び毛玉さんたちを目で追いながら考える。
……どうやら、中空に漂う毛玉さんたちは、僕以外誰にも見えていないみたいだ。
メイドさんたち以外にも部屋を訪ねてくる人たちへ同じように指差してみたけど、みんな首を傾げるばかり。
みんな見て見ぬふりをしているのかとも思ったけど、あんなに可愛い存在を前にして無視できるはずがない。
でもだとしたら、あの毛玉さんたちは一体……?
ライオンさんがいた空間。その地上にひしめき合っていたもふもふさんたちと姿は似ているけど。
……もしかして、僕の妄想が生み出した幻影とか?
いやいやそんなはず。
……ない、と思いたい。思いたいけど、会社員時代、夜な夜な犬や猫が部屋にいる妄想をして眠っていた実績があるので、完全には否定できない。
「……あう?(ん?)」
自分の目が信じられずに悶々としていると、周りのメイドさんたちが纏う空気が変わるのを感じた。
赤子を相手に綻ばせていた表情を引き締め、姿勢を正している。
この空気感から察するに――。
「おはよう、シリル。今日も可愛いわね」
妙齢の女性が覗き込んできた。
煌びやかなドレスに、綺麗に巻かれた銀色の長髪。
母性を感じさせる青緑の目はへにゃりと緩んでいる。
王子である僕のことを呼び捨てにするのは、今のところ彼女だけ。
そして何を隠そう、この人が今世の僕の母親だ。
「みんな、今日も息子をお願いね」
「お任せください、エイダ王妃陛下」
メイドたちへ優しく声をかける母の姿を、僕はまじまじと見つめる。
何度見ても不思議な感覚だ。
前世では、幼い頃に事故で両親を亡くした。
そんな僕と血の繋がりがある人がいるということが、まだしっくり来ない。
だけど、彼女に見つめられると不思議と手を伸ばしたくなるし、こうして会いにきてくれると落ち着く。
それはやはり、この人が母親だからなんだろう。
「ほら、シリル。今日はあなたに紹介したい人たちがいるのよ」
「ああう?(紹介したい人?)」
母の両手が僕へと伸び、首と背中の下に手を入れられる。
そうしてそのまま、腕全体で支えるようにして持ち上げられた。
……暖かい。
心臓の鼓動が聞こえる、母の胸の中。
その温もりを噛み締めていると、母は何かを見せつけるようにぐるりと振り返った。
「さあ王子王女たち、ご覧になって。わたくしの息子のシリルよ」
視界の先。部屋の両開きの扉の傍には、何人もの少年少女が並んでいた。
それぞれが仕立ての良い服を身に纏っている。
年齢も十代後半から七歳ごろまで様々。
そんな彼らが、一同に僕を注視している。
王子や王女ってことは、もしかしてこの人たちは、僕の兄姉……?
髪や目の色はバラバラだけど、もしかして母親が別なのかな。
王族だったら、そういうことがあるかもしれない。
と、とりあえず、挨拶はしておいた方がいいよね。
「あ、ああぅ、あぁい!(ど、どうも、シリルです!)」
精一杯に手を上げて名乗りをあげる。
「シリル、あなた挨拶できるの……!」
「シリル王子、可愛いだけでなく、賢くていらっしゃる」
「だから言ってるじゃないですかっ。シリル王子、時々何か伝えてくれてるって!」
母を筆頭に、部屋にいたメイドたちも何事か口にしている。
ふと見ると、僕の姉らしき人たちも表情を緩ませていた。
だが……。
「…………」
「ちっ」
「呑気なもんだ」
……?
兄たち、それも上の兄たちは、どこか冷ややかに僕や姉たちを見ていた。
どこか不穏な雰囲気を不思議に思う中、母に促され、兄姉たちが順々に僕の前に立ち、簡単な自己紹介と挨拶をしてくれる。
正直、一気に名乗られても覚えきれない。
向こうも覚えてもらうつもりはないだろうけど。
そうして一通り挨拶が終わると、兄姉たちは部屋を出ていき、僕はベッドへと戻される。
……そういえば、父親にはまだ会ったことがないなぁ。
王子である僕の父ということは、王様だろうから、忙しいのだろうか。
なんて思案を巡らせると、赤子の体はすぐに眠気が襲ってきた。
◆ ◆ ◆
真夜中。僕は目を覚ました。
真っ暗な室内の一角からゆらゆらと揺れる燭台の灯りが差し込んでくる。
夜番であるメイドさんが、手元で何か作業をしているんだろう。
この時間、何か騒ぎ立てて余計な仕事を増やすのも忍びない。
幸いなことに空腹感も尿意もないので、僕はいつものように頭上を飛ぶ毛玉さんへ静かに手を振った。
黒い毛並みの毛玉さん。
この時間でも、あの子だけは元気に飛び回っているんだ。
するとゆらゆらと、ベッドへと舞い降りてくる。
僕は胸の上で毛玉さんを受け止めると、そのままもふもふの体躯を撫で付ける。
手持ち無沙汰だから撫でるんじゃない。
ただ愛でたいから。撫でてあげたいから。喜んで欲しいから、撫でるんだ。
僕の想いは届いてくれているのか、毛玉さんもまた心地良さそうに僕に体を預けてくれる。
その信頼を嬉しく思いながら、確かな温もりを感じるお腹に意識を集中させる。
毛玉さんの温もり。
……いや、それだけじゃない。
このところ、薄らと覚えていた違和感だ。
こうして毛玉さんを撫でていると、体の奥底が熱くなってくる。
しかもこの熱、体の内側をまるで生き物のように動いて、手の先へと伝わっていくのだ。
そっと毛玉さんから両手を離し、手のひらを見つめる。
そうしていると、すぅっと熱が引いていく。
一体なんなんだろう……。
不思議に思っていると、視線を感じた。
首を起こしてみると、こちらを見つめる毛玉さんのまん丸お目目と目があった。
「あ、あうぅ!(ご、ごめん!)」
僕は毛玉さんになんて失礼なことを!
慌てて両手での撫で回しを再開する。
また熱が体の中を通って手へと迫り上がっていくけど、僕は気にせず撫で回し続けた。
毛玉さんに催促をさせてしまうなんて失態、なんとか挽回しないと……!
この日、僕は高熱で倒れた。




