第16話 脱走
僕が疑問と期待を抱いた瞬間、小鳥さんは両翼をまるでクジャクのように広げた。
閉じているときは羽毛が重なって濃い緑に見えるけど、こうして扇状に広がると、翡翠色の宝石のような淡く煌びやかな印象に変わる。
どうしたの、そんなに見せつけてくれて。
撫でていいのですか。
いやわかってます。そういう話じゃなかったよね。
ここ半月、部屋に来なくなったサイラスさんが大丈夫かどうかの話でした。
「! あう!?(うわ!?)」
小鳥さんの羽をすりすりと撫でたくなる衝動を抑えていると、僕の体がふわりと浮かんだ。
ちょちょ、もしかしてサイラスさんのところへ連れて行ってくれようとしてる!?
嬉しいけど、待って待って! 今はダメだって!
「あーう!(おろして!)」
「チュン……」
訴えは届いたのか、浮遊感がすぐに消え、絨毯の上にそっと戻される。
僕は慌てて室内のメイドさんを見た。
「大丈夫ですよ〜。サイラス様は、お忙しいだけですから。また近く、いらっしゃいますよ〜」
「それまでは私たちと遊びましょう!」
どうやら直前まで扉の方を見ていたおかげで、僕の体が浮いたことは見られなかったらしい。
突然赤子が宙に浮かんだなんてところを見られたら、また騒ぎになってしまう。
「……チュン、チュゥン……」
メイドさんたちのぬいぐるみ接待を赤子らしく受ける視界の隅で、しょんぼりとしている小鳥さんの姿が映る。
……僕のことを思ってしてくれたことなのに、怒るみたいな感じになってしまった。
すごく申し訳ない。
それに、サイラスさんに会えるなら会いたい。
あれだけ根気強く僕に付き合ってくれた人だ。
突然いなくなると、気にもなるってもの。
「あーう(ごめんね)」
メイドさんの接待から解放された僕は、いの一番に小鳥さんへ駆け寄る。
そうして頭をちょんちょんと撫でながら、僕の気持ちを伝える。
サイラスさんの元へ連れて行って欲しくないわけじゃないんだ。
ただメイドさんたちの目がある時は嫌なだけで、小鳥さんの気持ちはありがたいよ。
僕の気持ちは伝わったのか、項垂れていた小鳥さんの頭がぐいと持ち上がり、代わりにぐりぐりと僕の手のひらに押し付けてくる。
よかった。わかってくれた。
僕は安堵しながら小鳥さんを撫で回し、ふと考える。
今は昼間だからメイドさんの目があるけど、夜、寝静まる時間だったら、メイドさんの目を盗めるんじゃないかな。
「チュン!」
◆ ◆ ◆
「それじゃ、よろしくね」
「ええ」
「シリル王子、おやすみなさいませ」
「あーい!(おやすみ!)」
夜になり、部屋で待機する夜番のメイドさんを残して、他のメイドさんたちが部屋を出ていく。
僕はベッドの上から彼女たちに満面の笑顔で手を振った。
「や、やっぱり私が夜番変わろうか?」
「何言ってるのよ、持ち回りでしょ」
「は〜い……」
胸を押さえ出したメイドさんたちが扉の前で何事かやりとりをして、ようやく室内で二人きりになる。
夜番のメイドさんは部屋に戻るなり、僕の元へと歩み寄ってくる。
「いつもは早くお眠りなのに、今日はまだ眠たくないのですか?」
「あう!」
そりゃぁいつもは気絶してるからね。
メイドさんをこうやって見送ったのも、思えば今日が初めてだ。
「……あら?」
外から吹き込む風で、カーテンがバサリと揺れた。
その音に、メイドさんが不思議そうに顔を上げる。
「夕刻ごろに閉めなかったかしら」
そう言って、メイドさんが窓へ歩み寄る。
ま、まずい。
「あーう!(だめ!)」
「シリル王子……?」
「あうう!!(開けといて!)」
窓へ手を伸ばしたメイドさんへ叫んだ。
メイドさんは驚いた様子で僕の方を振り返る。
「閉めないで欲しいのですか?」
「あい!」
「……王子の背で届くとは思えないし……わかりました。では今日は開けておきましょう。夜風が心地いいですものね」
「あいあお!(ありがと!)」
「はうっ!」
感謝の言葉を口にする。
……あと少しでちゃんと発声できそうだった。
もう数ヶ月もすれば、簡単な単語ぐらいなら話せそうだ。
それはともかく。
なんとか窓を閉めるのを阻止した僕は、いそいそとベッドに横たわる。
そうして目を瞑ってしばらく。
「ふふっ、やっぱりシリル王子は寝つきがいいですね」
頭の上でメイドさんの声。
シーツをそっと丁寧にかけられる。
そうして気配が遠ざかっていった。
僕は薄目を開けて、部屋の中で唯一光を放つ場所を見る。
ベッドから少し離れた小さな椅子に腰を下ろすメイドさん。
その前の丸テーブルに置かれた燭台の灯りだ。
夜番のメイドさんは、僕が眠っているのを確認すると、その後はいつも何か作業をしている。
今は縫い物をしているみたいだ。
あの作業をしている間なら、僕がベッドにいなくても気付かない……はず。
「……あーう(よ、よし)」
僕はそろそろとベッドを抜け出す。
こんもりとした膨らみは残したままゆっくりと床へ降り立ち、窓辺の小鳥さんに囁く。
「あうあうう(お願いします)」
「チュン!!」
僕が頭を下げると、小鳥さんは嬉しそうに羽を扇状に広げた。
そしてあの浮遊感が僕を包み込む。
僕の全身がふわりと絨毯敷の床から離れると、開け放たれた窓へと吸い込まれていく。
予想していたこととはいえ、思わず漏れそうになる声を必死に押さえながら、僕は室内を振り返る。
メイドさんは僕の脱走に気付いていないみたいだ。
「チュンチュン!!」
気合い十分の鳴き声をあげる小鳥さんの導きで、僕の体は夜空を駆け、いつの間にか正面に見えてきた石造りの円塔へと吸い込まれていった。




