第14話 読み聞かせ
自分がまだ赤子でよかった。
最近、常々思う。
黒い毛玉さんが室内を闇で覆ったことで、もはや言い逃れはできないかと思ったけど、なんとか誤魔化すことに成功したのは、僕がまだ赤子だからだ。
首を傾げて、「何言ってるかわかんない」的な顔をしておけば、大人は何もできない。
もし僕がすでに言葉を話せる齢だったなら、はっきりと答えるまで、追求は免れなかっただろう。
ヴェロニカから命じられた調査のために来ているサイラスさんには申し訳ないけど、毛玉さんを捕らえられるわけにはいかない。仕方ない。
とはいえ、闇に飲み込まれたのは僕やサイラスさんだけじゃなかった。
「今のは一体!?」
「もしや刺客がシリル王子のお命を!?」
なんて混乱するメイドさんたち。
あまり大きな騒ぎになると、今度こそ毛玉さんの存在が露呈する。
そんな不安を抱いたけど、サイラスさんがメイドさんたちに何事か声をかけ、事態は沈静化したのだった。
僕は毛玉さんのことを誤魔化すので精一杯だったので、詳しい話は聞こえなかったけど、「調査のために魔術を行使しました」とかなんとか、サイラスさんが言っていた気がする。
でもあれって、黒い毛玉さんの力だよなぁ……?
いくつか気になることは残りつつも、また元の日常が戻ってきた。
あれからしばらく経つけど、ヴェロニカが難癖をつけてくることはないし、新たな調査員が派遣されてくることはない。
僕は引き続き毛玉さんたちをもふっているし、治癒魔術を使っている。
もちろん、これまで以上に人目を憚って。
そして、課題としていた情報収集についてだけど――。
「あら、今日もいらっしゃいましたね」
扉のノックの音に、メイドさんが笑いながら顔を上げた。
僕も釣られるように扉へ目を向ける。
メイドさんの手で開かれた扉の向こうから、大量の本を両腕で抱えたサイラスさんが現れる。
「こんにちは、シリル王子。さて、今日もお付き合いいただけますかな」
◆ ◆ ◆
あの日以来、サイラスさんは毎日のように部屋を訪ねてくるようになった。
最初は僕のことをまだ疑っていて探ろうとしているのかと思ったけど、どうにも様子がおかしい。
メイドさんたちのように、ただ僕の傍にいるだけで、何かしてきたり、訊いてくることもない。
ただ部屋で過ごしているだけ。
もしかしたら、宮廷のお医者さんは意外と暇なのかもしれない。
そんなこんなですっかり彼がいることが当たり前になったある日。
僕はサイラスさんが携えていた本を指さしてみた。
魔鉱石の時のようにくれるかもしれない、という打算的な考えで。
えっ、文字は読めるのかって? 表紙の文字はまったくわからないけど、そこは頑張るしかない。
なんて決意とは裏腹に、サイラスさんはそれはもう嬉しそうに「シリル王子、本に興味がおありですか!」と言って僕の隣に座り、本を広げて読み始めてくれた。
僕が読み聞かせに耳を傾けるうちに、サイラスさんも熱が入ったのか、毎日新しい本を持ってきては読み聞かせてくれる。
流石に宮廷魔術師だからか、読み聞かせてくれる本の大半は魔術関係のものだ。
でもそのおかげで、ずっと知らずにいた魔術や魔力のことがわかってきた。
僕が使っている治癒魔術をはじめとした魔術は、体内を流れるエネルギーである魔力と媒介を必要とするそうだ。
この場合の媒介は詠唱や魔鉱石のような特殊な物質、あとは魔法陣的な文字図形の術式があたる。
そして、魔力量は個人差がある。
人によっては魔力をほとんど備えていない場合もあって、そういう人たちは俗に魔術適正がないと言われるそう。
そしてこの魔力量、どうやら先天的なもので、五歳ごろに当人の魔力量は確定するらしい。
それからどれだけ努力しても、魔力量は変わらない。
魔力は消耗すると気を失うので、魔力量の少ない者はまともに魔術を扱えない。
そんなわけで、多くの貴族や王族は五歳ごろに魔力の測定を行い、その資質を見定めてから魔術教育が始まるのだそう。
この話に僕は首を傾げた。
体内の魔力を消耗すると気絶する――というのは、僕のこれまでの経験と合致する。
だけど僕、魔力はどんどん伸びてるんだよなぁ。
治癒魔術を行使できる回数もどんどん増えている。
もしかして、五歳ごろまでは何もしなくても魔力が成長するんだろうか。
まあだとしても、これまで通り魔術は使い続けるけどね。
だって毛玉さん、もふれなくなるし。
っと、ここまでの情報は魔力量の話を除いてなんとなく予測はついていた。
だけど、毛玉さんの話は完全な予想外。
「よいですか、シリル王子。この世には、精霊という特別な存在がいるのです」
本を読み聞かせてくれているサイラスさんが、一際丁寧に、優しく、ゆっくりと切り出してくれた。
僕は興味があったので、「あーうあう?」と首を傾げて見せた。
――精霊。
それは自然が形と意思を持って具現化した存在。
「強大な存在になれば、どんな者でもその姿を見ることができます。しかしこの世に満ちる大抵の精霊の姿は、素質なき者の目には映らない。生まれたばかり、まだこの世界に存在を確立しえない微精霊の姿を捉える素質のことを、《精霊眼》といい、その素質を持つものを《精霊眼保持者》と呼ぶのです」
この話をする時、サイラスさんは本から顔を上げ、僕を見つめていた。
諭すような、言い聞かせるような声で。
「《精霊眼保持者》は生まれながらに精霊に愛された存在。精霊と契約し、魔力を対価として命じることで、魔術を越える力を引き起こせるのです」
つまり僕はその《精霊眼》を持っているらしく、中空を揺蕩う毛玉さんたちはやはり精霊というすごい存在のようだ。
僕はこの話をサイラスさんから聞いた時、歓喜に震えた。
だってサイラスさんの話では、精霊はこの世に満ちてるんだよ!?
こんなに可愛いもふもふさんたちが、世界中にいる……!
素敵じゃないか!
それにしても、精霊が引き起こす魔術を越える力って、部屋を覆ったあの暗闇とか、ヴェロニカを襲った突風のことだよね。
でも僕、別に毛玉さんと契約とかしてないし、魔力を対価にして命じたりなんかもしてないんだよなぁ。
毛玉さん。その正体がわかったようなわからないような。
ただ一つだけ変わらずはっきりとしているのは、もふもふで可愛いということだけだ。
◆ ◆ ◆
「ンナァァ……」
「あぁう……?(ネコちゃん……?)」
気絶明け独特の重い意識の中に、ネコちゃんの鳴き声が飛び込んできた。
ゆっくりと目を開け、音の正体を探す。
それはすぐに見つかった。
「あう!?!?(ネコちゃんだ!?!?)」
開かれた視界。いつもは毛玉さんたちの誰かが乗っている僕の胸元。
その上に、真っ黒な子猫が佇んでいた。




