第13話 サイラスの決意
オブライエン王国王都の中心地には、広大な庭園と幾つもの絢爛な宮殿を備える王宮区が広がっている。
その一角に構える石造りの円塔こそ、国王を始めとする王族たちの居家であるイニティウム宮殿を凌ぐ高さを許された、数少ない建築物の一つ。
王宮に勤める魔術師たちの詰所である魔術塔だ。
「おお、サイラス殿! 今お戻りに?」
シリルの過ごす小タキトゥス宮殿を辞したサイラスが魔術塔へ戻ると、馴染みの同僚が話しかけてきた。
白衣を纏っているサイラスと違い、同僚の男は紫紺を基調としたローブを身に纏っている。
「ええ。これから報告書の作成です」
「ああ、例の。確か小タキトゥス宮殿で魔術に襲われたという……。サイラス殿も災難ですね。ヴェロニカ王妃の我儘に付き合わされるとは」
「……」
「っと、これは失礼」
サイラスの無言の眼差しに、男は口元を覆う。
そうしてそのまま、二人は魔術塔の通路を並び歩く。
「しかしサイラス殿、ご承知かと思いますが、報告書は事実のみを書いてはいけませんよ。ヴェロニカ王妃のご機嫌を損ねないよう、『魔術行使の可能性は完全には否定できない』――程度のことは書いておかねば、面目が保てませんからね」
「ええ、もちろんですとも。……では、私はここで」
扉の前で同僚と別れ、サイラスは部屋に入る。
魔術塔に設けられた彼の部屋だ。
整理整頓が行き届いた室内。
慣れた動きで白衣をポールハンガーへかけ、奥の机につく。
そうして、椅子の背に体を預けてぼんやりと天井を見上げた。
その瞬間に漏れ出たのは、歓喜の声だった。
「なんて、なんてことだ。シリル王子殿下が、あれほどの才をお持ちだったとは……!」
今日一日、サイラスの感情は激しく上下に揺さぶられ続けている。
そもそもの発端。ヴェロニカに無茶な調査を命じられ、憂鬱な気持ちで一日が始まった。
そうして小タキトゥス宮殿を訪ねると、シリルは以前に献上した魔鉱石を肌身離さず持っていてくれたのだ。
王族というのはこの王宮内において、贅沢に溺れることと横暴に振る舞うことがある意味で許された存在。
そんな環境で、まだ幼いといえど、王子が自分の差し出した物を大切にしてくれていることに、感動しないはずがない。
サイラスもその例に漏れず、喜んでいた。
そしてその矢先、精霊魔法に閉じ込められ――あの光景を目の当たりにしたのだ。
『あう、あい! あーい!』
暗闇に覆われる室内で、あまりにも堂々とした赤子の声。
それが響き渡ったかと思えば、サイラスの魔法をして突破できなかった精霊魔法が立ち所に消失した。
開けた視界の中。サイラスの目には、中空を見つめて微笑むシリルの姿。
その姿を見た瞬間に、サイラスの中ですべてが繋がった。
庭園で吹きつけたという突風。部屋を覆い、そしてすぐさま消失した精霊魔法。魔鉱石の中の魔力の残滓。
そのすべての中心にいたのは、他でもないシリルだった。
サイラスはゆっくりと目を閉じ、噛み締めるように呟く。
「まさかシリル王子が、《精霊眼》の持ち主だったとは。いいやそれだけではない、あのお歳ですでに魔力を扱っている……ッ」
改めて言葉にしながらも、サイラスは身震いを抑えられない。
もちろん、赤子であり、まだ話すことのできないシリルがそうだと語ったわけでは無い。
むしろ、「精霊が見えているのではないか」という問いに、シリルは「あーう?」と首を傾げていた。
だが、間違いない。もはや疑いようがない。
シリルは精霊を見ることができる。
それどころか、精霊に魔力を捧げることで引き起こす奇跡――精霊魔法を行使してみせたのだ。
「しかし、疑問は残りますね。精霊魔法を行使する際の魔力の予兆。それを私が一切感知できなかったとは」
サイラスには、並の魔術師以上の実力を有しているという自負がある。
そしてその自負がただの自惚れでないことは、宮廷魔術師という肩書きが保証している。
そのサイラスをして、あの場で魔力の興りを感知できなかった。
「それにあの時のシリル王子のお振る舞いは、まるで精霊を宥めていたような……いいや、考えすぎですか」
精霊が魔力の提供もなしに、力を振るった――なんて、突拍子も無い思考に陥りそうになったところで、自嘲の笑みとともに頭を振る。
「いずれにしても、あれほどの才能が悪い方向へ進まないよう、何よりも途中で手折れることのないよう、しっかりとお支えしなければなりませんね」
《精霊眼》を持ち、一に満たない齢で魔力を扱える。
そんな突出した才能は、王族の中にも、それどころかこの国を見回しても存在しない。
シリルの無垢で偉大な才能を伸ばす――。
それは、長きにわたり王宮に仕えてきたサイラスが、初めて王族に対して抱いた使命感だった。
「……さて、問題は」
年甲斐もなく緩む口元を押さえながら、サイラスは手元に視線を落とす。
机の上には羊皮紙と羽根ペン、そしてインク壺。
これからヴェロニカへ、報告書を書かなければならない。
「シリル王子のことは……あまり公にはしない方がよさそうですね」
この国を――王宮を渦巻く現状を思い、サイラスはシリルの才能を今しばらく胸の中に秘めておくことを決意する。
そうして羽根ペンを手に取ったサイラスは、静かにペン先を滑らせた。
《調査結果》
庭園における魔術行使の可能性は皆無。
ヴェロニカ王妃陛下を襲った風は自然的なものであると推測される。




