EP 8
胃袋を掌握する月兎族村長。絶品手料理に潜むヤンデレの気配も、家賃食費タダなら福利厚生です!
「お疲れ様でした! 定時ですので、本日の業務はこれで終了とさせていただきます!」
ポポロ村役場の壁掛け時計が午後5時を指した瞬間、私はノートPCをパタンと閉じ、華麗なる退勤宣言をキメた。
かつてのブラック企業や、王太子に振り回されていた日々では考えられない、輝かしき『定時退社』である。
「お、おう……お疲れさんやで、お嬢……」
私が構築したExcelマクロのおかげで、1ヶ月分の帳簿処理を半日で終えてしまったニャングルが、燃え尽きたようにキセルを咥えて力なく手を振っている。
私は意気揚々と役場を後にし、コン太(ラバーブーツ着用)を引き連れて、村長であるキャルル・ムーンハートの自宅へと向かった。
ポポロ村の村長宅は、なんと広々とした5LDKの一軒家である。王都の貴族の館のような無駄な装飾(大理石や無駄なシャンデリア)はなく、木とレンガを基調とした実用的で温かみのある造りだ。
「ただいま戻りました、村長」
「あ、エミリアちゃん! おかえりなさい! お仕事お疲れ様!」
玄関を開けると、人参柄の刺繍が施されたエプロン姿のキャルルが、パタパタと兎の耳を揺らして出迎えてくれた。
彼女の後ろからは、食欲を暴力的に刺激する凄まじく良い匂いが漂ってきている。
「さあ、手洗ってうがいして! ご飯、もうできてるからね!」
ダイニングテーブルに案内された私は、そこに並べられた夕食のラインナップを見て息を呑んだ。
メインディッシュは、熱々の鉄板に乗せられた分厚いハンバーグ。
付け合わせには『太陽芋』のホクホクとしたマッシュポテトと、みずみずしい『月見大根』のシャキシャキサラダ。そして、艶々に炊き上がった『米麦草』のご飯に、具沢山のスープ。
「こ、これは……」
「ふふっ。ポポロ村名物、ロックバイソンの挽肉を使った特製ハンバーグだよ! お肉がちょっと硬いからね、エロ本を取り上げて賢者モードにさせた『たまんネギ』をたっぷり練り込んで、極限までお肉を柔らかくしてあるの!」
「……食材の背景に若干のコンプライアンス違反(エロ本没収)を感じますが、素晴らしい栄養バランスです」
私は席に着き、ハンバーグにナイフを入れた。
ジュワッ……! と、肉汁が滝のように溢れ出す。それを一口大に切り分け、口へ運ぶ。
「んんっ……! 美味しいっ!!」
前世で疲れ果てて食べていたコンビニ弁当や、王都で出された『見栄えばかりで味が薄いフルコース』とは次元が違う。
ロックバイソンの強烈な肉の旨味と、たまんネギの信じられないほどの甘みが口の中で爆発し、特製のソーリーフ(ソース味の葉)で作られたデミグラスソースがそれを完璧にまとめ上げている。
「きゅ、きゅぅぅん……(よだれが……)」
足元でコン太が羨ましそうに見上げているので、私は【ネット通販】で『無添加・国産牛の高級ジャーキー』をポチり、彼の皿に出してやった。コン太は泣きながらジャーキーに齧り付いている。
「あはは、エミリアちゃんがいっぱい食べてくれて嬉しいな。お仕事、大変だったでしょ? ニャングルったら人使い荒いから」
キャルルは自分の食事には手をつけず、両手で頬杖をつきながら、私が食べる姿をニコニコと見つめている。
「いえ、大変どころか。業務の自動化により生産性が300%向上しましたので、肉体的疲労は皆無です。それにしても、村長のお料理は絶品ですね。これを毎日食べられるなら、エンゲル係数が実質ゼロ……家賃もタダ……ROI(投資対効果)がバグっています」
私が社畜特有の早口で絶賛すると、キャルルの兎耳がピクンと嬉しそうに跳ねた。
「ほんと? 嬉しい……。ねえ、エミリアちゃん」
ふと、キャルルの声のトーンが一段、下がった。
温かく可愛らしい村長の顔から、一瞬だけ、底知れない『何か』が覗いた気がした。
「エミリアちゃんの心音、すごく落ち着いてる。トクトクって、規則正しい、嘘のない綺麗な音……」
「心音、ですか?」
「うん、私、耳がいいから。相手が嘘をついてるかどうか、心臓の音で全部わかるの」
キャルルはスッと立ち上がり、テーブル越しに身を乗り出してきた。
彼女の顔が近づく。王都の氷血公爵(変質者)とは違う、ほのかな甘いお菓子の香りがした。だが、彼女の大きく愛らしい瞳孔は、なぜか真っ暗に開ききっている。
「エミリアちゃん。私のご飯、美味しいって言ってくれたよね。……ずっと、ポポロ村にいてくれる? ずっと私のそばで、お仕事して、私のご飯を食べてくれる?」
「ええ、もちろんですが」
「もし……もしもだよ? 王都のあの馬鹿な王太子や、変な公爵がエミリアちゃんを迎えに来て、ここから連れ出そうとしたら……どうする?」
ゴクリ、と。
私は無意識に唾を飲み込んだ。
キャルルの手元を見る。彼女が何気なく握りしめた木製のスプーンが、ミシミシと悲鳴を上げ、次の瞬間、バキッ! と粉砕された。
月兎族の最上位種にして、元・近衛騎士隊長候補。その気になれば、素手で魔導戦車をスクラップにできるほどの腕力。
(あ、これ……選択肢を間違えたら、物理的に『村から出られない体』にされるやつだ)
本能が警鐘を鳴らす。ヤンデレ特有の「愛が重すぎるゆえの監禁・束縛ルート」への分岐点。
だが、私は理系社畜OLである。
感情や恐怖に流されず、常に『論理と契約』で物事を処理するのが私の流儀だ。
私はハンバーグの最後の一切れを優雅に飲み込み、ナプキンで口元を拭ってから、キャルルの真っ暗な瞳を真っ直ぐに見返した。
「キャルル村長。雇用契約および労働条件の観点からお答えします」
「……え?」
「現在、私はポポロ村役場から『手取り25万円・残業代完全支給・定時退社・完全週休二日制』という完璧なホワイト待遇を受けています。さらに、村長からの『家賃100%補助』および『現物支給(最高品質の三食昼寝付き)』という、実質年収換算でプラス200万円相当の福利厚生を享受しています」
私は人差し指を立て、プレゼンを行うようにハキハキと告げた。
「これほど完璧な労働環境を捨てて、インフラも衛生観念も崩壊している王都へ戻るなど、経済合理的観点から見て『あり得ない』選択です。王太子が迎えに来ようが、氷血公爵が来ようが、内容証明郵便と物理的バリケードで叩き出します。私から自主退職(村を出る)を申し出る確率は、0%であると断言いたします」
ピタッ、と。
キャルルの耳が動き、私の心音を確認する。
当然だ、私は一切の嘘をついていない。論理的な事実を述べただけなのだから。
数秒の沈黙の後。
パァァァァァッ! と、キャルルの顔に明るい光が戻り、瞳孔が通常の可愛いサイズに戻った。
「っ……! エミリアちゃあああんっ!」
ガバッ! と、キャルルがテーブル越しに私に抱きついてきた。
すごい力だ。背骨が軋む。だが、その抱擁からは先ほどの薄暗い執着ではなく、純粋な歓喜と愛情だけが伝わってくる。
「嬉しい! 嬉しいよぉ! ずっとポポロ村にいてね! 明日のお弁当も、私が腕によりをかけて最高の人参ハンバーグ作ってあげるからね!」
「あ、ありがとうございます……っ(ぐぇっ、苦しい、圧迫死する……)」
私はキャルルの背中をポンポンと叩きながら、内心で冷静に計算していた。
(ちょっと愛が重くて、たまに物理的な圧が凄いけれど……これだけの絶品手料理と家賃タダの生活が手に入るなら、この程度のヤンデレ化は『許容範囲内の職場ハザード』ね)
美味しいご飯で胃袋を完全に掌握された私は、この愛すべきヤンデレ村長と上手くやっていく自信を深めていた。
インフラが整い、ご飯が美味しく、定時で帰れる。
これこそが、私の求めていた真のホワイト・スローライフなのだ。
だが翌日。
私は村の農業視察に出向き、このポポロ村が抱える「狂った魔植物の生態系」に直面し、再び頭を抱えることになるのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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