EP 3
COP無限大!? 氷魔法剣士クラウスの熱力学無視の冷却技術と、計算不能な優しさに理系社畜の心拍数がバグる件
ポポロ村の農業が生み出す莫大なGDP。
その屋台骨を支えているのは、栽培技術だけではない。収穫された特産品(月見大根や太陽芋など)の鮮度を保ったまま他国へ輸出する、『コールドチェーン(低温物流)』の存在である。
午後。私は役場のCIO(最高情報責任者)として、村の物流倉庫の視察に訪れていた。
「さて、この村の冷凍設備はどうなっているのかしら。電気(魔力)の供給インフラとコンプレッサーの性能によっては、設備の刷新も視野に入れないと――」
倉庫の重い扉を開けた私は、そこで行われていた『冷凍作業』を目の当たりにし、言葉を失った。
「――ひっ、ふぅっ。いきます……!」
タローマンのワゴンセールで売られているような、安物のカーキ色の作業つなぎを着た青年がいた。
淡い銀青色の短髪に、気弱そうな翠の瞳。線は細いが、無駄のない体幹をしている。
彼は腰に提げていた無骨な短剣を抜き放ち、山積みになった木箱(収穫したての野菜が詰まっている)に向けた。
「パキパキパキッ……!」
青年の手にする短剣の刃先から、大気中の水分が瞬時に結晶化し、美しい青氷のロングソードへと形を変えた。
彼がその氷剣を木箱に向けて一閃すると、一切の爆風や音を立てることなく、木箱の中の野菜だけが『瞬時に完璧な冷凍状態』へと移行したのである。
「…………は?」
私は持っていたタブレットを落としそうになった。
「ちょっと待って。今、何をしたの?」
私の声に驚いたのか、青年は「ひぃっ!?」と情けない悲鳴を上げ、氷の剣を慌てて元に戻した。
「す、すみません!! 僕、何か間違えましたか!? 野菜の細胞壁を壊さないように、急速凍結帯(マイナス1度〜マイナス5度)を一瞬で通過させるように魔力制御したつもりだったんですが……っ、やり直しますぅ!」
オドオドとペコペコ頭を下げる青年。
だが、私の理系脳は完全に沸騰していた。私はものすごい勢いで青年に詰め寄った。
「違う、そうじゃないわ! 貴方のその氷魔法、単に『冷たい氷を出している』んじゃないわよね!? 大気中のエンタルピー(熱量)を局所的に強制収束させているのに、周囲への熱排気(排熱)が全く発生していないじゃない!」
「えっ? えんたるぴー……?」
「つまり、熱力学第二法則を完全に無視した超高効率な熱交換現象よ! エネルギー消費効率(COP)が理論値を超えて無限大に達してるわ! 貴方のその魔力回路、一体どういう構造になってるの!? ちょっと解剖……いえ、詳しくヒアリングさせて!!」
私が鼻息荒く迫ると、青年は「ひぃぃっ! 解剖!? 食べても美味しくないですぅ!」と壁際に追い詰められて震え上がってしまった。
「あ、ごめんなさい。取り乱したわ」
私はコホンと咳払いをして、冷静さを取り戻した。
どうやら彼が、ニャングルさんが言っていた『冷凍物流の要』である自警団員兼・農作業員らしい。
「私は役場の新しい事務員のエミリアです。貴方が、クラウス・レオパルドさんね?」
「は、はい……。クラウスです。あの、エミリアさん、怒ってない……ですか?」
翠の瞳が、捨て犬のように私を上目遣いで見つめてくる。
なんだこの庇護欲をそそる小動物系男子は。距離感バグの氷血公爵とは大違いの、完璧なパーソナルスペース(2メートル)の確保。コンプライアンス意識の高さを感じる。
「怒ってなんかいないわ。むしろ、貴方のその技術的価値に感動しているの。ちなみに、この冷凍作業で貴方はどれくらいのお給料を貰っているの?」
私はタブレットで人事データを検索した。
自警団の基本給に、農作業手当、そしてこの圧倒的な冷凍鮮度保持技術手当。
合算すると、年収換算で約450万円。20歳の青年としては、ポポロ村でもかなり優良な部類に入る。
「年収450万円……。素晴らしいわね。しっかり労働価値が評価されているわ」
私は頷いたが、ふと彼の身なりを見て眉をひそめた。
「でも、解せないわね。それだけの収入があるのに、貴方の着ているその作業着、どう見てもタローマンで1000円以下で売られている型落ちのワゴン品じゃない。お昼ご飯だって、さっきから気になってたけど、そのカゴに入ってる『太陽芋の焼き芋』一個だけ?」
「あ、はい。僕、あまり物欲がなくて……これでお腹いっぱいですし」
クラウスはへへっと照れくさそうに笑った。
納得がいかない。生活コストを限界まで切り詰めるのはリーザだけで十分だ。
「じゃあ、貴方のお給料はどこに消えているの? まさかニャングルさんの銀行で悪質なローンでも組まされているんじゃ……」
「違います! ニャングルさんはとても良い人です!」
クラウスは慌てて首を振った。
「お給料は……その、村の孤児院の子供たちにお菓子や本を買ってあげたり……怪我をして働けないお爺ちゃんたちの薬代(月光薬)を払ったりしたら、大体なくなっちゃうんです。僕一人が生きていく分なんて、少しの芋と寝る場所さえあれば十分ですから」
「…………は?」
私は、自分の耳を疑った。
稼いだ金の大半を、見ず知らずの他人のために無償で寄付している?
自己投資でもなく、将来への貯蓄でもなく、100%の純粋な利他行為?
「……コスパ最悪じゃない」
私は思わず、ドスの効いた低い声を出してしまった。
「な、何か……っ」
「貴方は、自分の高度な技術(労働力)を提供して得た対価を、全くリターン(見返り)のないところに投資しているのよ!? 自分自身のROI(投資利益率)が完全にゼロ、いやマイナスじゃない! そんなの、自分で自分をブラック企業化するようなものよ! なぜそんな自己搾取をするの!?」
前世でサービス残業に苦しめられてきた私にとって、正当な対価を受け取らずに他者のために己をすり減らす行為は、見ていて一番腹立たしい。
私がまくしたてると、クラウスはビクッと肩を震わせた。
だが、彼は逃げなかった。
いつもオドオドしている彼の翠の瞳に、その瞬間だけ、静かで、透き通るような強い光が宿った。
「……計算、ですか?」
「え?」
「エミリアさんの言う通り、損か得かで言えば、僕のやっていることは損なのかもしれません」
クラウスは、少しだけ困ったように、けれどこの上なく優しく微笑んだ。
「でも……子供たちが美味しそうにお菓子を食べて、お爺ちゃんたちが痛みを忘れて笑ってくれる。それを見るだけで、僕の心はこんなにも温かくなるんです。……誰かを守りたいと思うことに、誰かを助けたいと思うことに、損得の計算なんて、必要ないじゃないですか」
ドクンッ。
私の胸の奥で、心臓が大きく跳ねた。
「エミリアさんだって、村のみんなのために、毎日一生懸命お仕事してくれているって聞きました。貴方も、すごく優しい人なんですね」
「なっ……!?」
ドクンッ。ドクンッ。
タブレットを持つ私の手が、微かに震える。
(えっ? 何これ。動悸? 不整脈(不整脈)? いや、サウナの入りすぎによる自律神経の乱れ……?)
頭の中のスーパーコンピューター(理系脳)が、全力でエラーメッセージを吐き出している。
王太子の「真実の愛(笑)」には鼻で笑った。公爵の「狂った執着」には防犯テープを張った。
私は、論理と計算で導き出せない感情なんて、全てノイズとして切り捨ててきたはずなのに。
彼の、損得を一切計算しない、あまりにも純粋で無防備な『優しさ』が、私の鉄壁のコンプライアンス防壁を、あっさりとすり抜けて胸の奥に直撃したのだ。
「ぼ、僕……生意気なこと言ってすみません! お仕事に戻ります!」
クラウスが慌てて氷の剣を構え直し、残りの木箱の冷凍作業に戻っていく。
「…………っ」
私は顔にカッと熱が集まるのを感じながら、足早に倉庫から逃げ出した。
「おかしいわ……絶対におかしい。私の心拍数が、ただのオドオドした農作業員相手にバグを起こすなんて……!」
王都のキラキラしたイケメンたちには1ミリも動かなかった私の心が、タローマンの作業着を着た気弱な青年に激しく揺さぶられている。
(だ、ダメよエミリア! ああいう自己犠牲タイプの男は、一番早死にする不良債権なんだから! 投資対象としては最悪よ!!)
私は必死に脳内で言い訳をしながら、赤くなった顔を冷やすために、全力で役場へと駆け戻った。
この『計算不能な感情』が恋と呼ばれるものであると、私が論理的に認めるには、もう少し彼と一緒に、いくつもの危機を乗り越える必要があった。
読んでいただきありがとうございます。
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